恋は衝動

サトクラ

第1話 ごめんちょっとよくきこえなかった

「明日から1週間くらいセブ島行ってくるね。」

「…だれと」

「下の階のおねーさん」

「…上の階の佐々木さんじゃなくて?下?」

「うん」

「………そう。」


 あまりに唐突すぎて少し反応が遅れてしまった。大体いつも突拍子もない子だから始めの頃に比べれば慣れてはきたが。しかし、海外か。しかも1週間とは随分長い。スケジュールを調整する必要があるな、と頭の中で今後の予定を立てながら、それに伴う交換条件を提示した。


「行ってきても良いけど、きちんと後片付けしてからにしてよ。私はやらないわよ。」

「えーっ!いつもはやってくれるじゃん!」

「…いつもはこんなに散らかさないでしょ。どーすんのよ、これ」

「えへへ。」


 るいは締まりのない顔で笑うと上目遣いでこちらを覗き込んだ。全然反省してないな、こいつ。


「そんな顔しても誤魔化されないからね。」

「美咲ぃ、おねがい…。」

「…。」

「…。」

「…。………あんたも手伝うのよ?」

「もっちろん!任せて!」


 本当にわかってんのかこいつと思いながら、改めて部屋の中を見渡すと、床にはありとあらゆるものが散乱していた。ワインボトルはそこかしこに転がっているし、グラスの破片はきらきらと輝きを放ち、カーテンは端の方のアジャスターフックが外れてしまったのかダラリと右肩を下げている。何より一番ひどいのは、床や壁一面にに広がる真っ赤なシミである。目にも派手だが、あの独特な匂いが部屋に充満していて油断すると自分まで酔ってしまいそうだった。


「それで?下の階のおねーさんとやらは誰からの紹介?私は聞いてないわよ。」


 部屋の惨状にげんなりしながら必要最低限の情報を聞いておく。仮とはいえ私はこの子を監督する立場にある。本人が良しとしても、不測の事態が起こった場合はカバーしなければならない。


「んー?一昨日はじめたネトゲで知り合っただけだから、別に紹介とかじゃないよ。」

「は?」


 想像もしていなかった言葉に脳が理解を拒否する。彼女の言葉を何度もリフレインしやっと理解できたところで、反射的に口が動いた。


「やめなさい。」

「え?」

「セブ島に行くのはやめなさい。」

「なんで!さっき良いって言ったじゃん!!」

「…それは、青木か飯塚あたりの紹介だと思ったからよ。まさか一般人なんて。」


 最近遅くまで起きてるとは思っていたが、まさかそんなことになっているとは。彼女は自分の特性を理解しているのか。


「大丈夫だよ1週間くらい!ねー良いでしょ?」

「ダメです。あなた先月三日と持たなかったの忘れたの?」

「…あれは、ふかこーりょくだよ。あたしのせいじゃないもん。」


 曽我部るいは恋多き女だ。目が合った、手が触れた、自分に微笑んでくれた、などほんの些細なことで恋に落ちてしまう。別にそれ自体は珍しいことではないが、彼女は一つ厄介な性癖を持っていた。曰く、「好きな人の血の色がこの世で最も素敵な色」らしく、そのが見たいがために殺してしまう、と。何を言っているか分からない?大丈夫、私も全く理解できない。


 ともかく彼女は恋の衝動殺人衝動には決して抗えない。どんなに頑張っても5日が限界だ。それ以上持ったことはこれまで一度もない。今日だってそうだ。「おうちで映画デート♡」と意気揚々と出かけていったが、呼び出されてみれば部屋一面血の海である。スプラッタ映画でも見ていたのか。どうやら相手への愛が深まれば深まるほど、一度切れてしまった理性が戻るのが遅くなるらしく、本日の被害者は残念ながら原形をとどめていなかった。


「結果が全てよ。…とにかくダメ。」

「たまにはいいじゃん!」

「絶対ダメ。」

「むー!!!もう寝る!」

「ちょっと!ちゃんと断りなさいよ!!」


 バンッ!と力任せに閉められたドアを見ながら声を張り上げたが、それに対する返答はなかった。あの様子だと無理矢理にでもセブ島に行きかねない。本部に連絡して応援を要請し、なんとしてでも止めなくては。後が面倒くさい。ましてや今回はセブ島である。国内のような工作ができるはずがない。尊い一般市民の命を散らすわけにはいかないのだ。


 ふと、むせ返るの匂いに我に帰ると、荒れに荒れたこの部屋を、結局自分一人で後始末しなければいけないことに気が付き、深い深い溜息が口から溢れ落ちた。

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恋は衝動 サトクラ @5aT0

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