06 ささやかな歓迎会
5
「それでは、豪篤くんの入店を祝してかんぱーい!」
茂勝が乾杯の音頭を取って、グラスを上げる。ひとりだけ20歳を超えているので、中身はビールだ。
「かんぱーい」
「ありがとうございます!」
修助と豪篤もグラスを上げて当て合う。
軽い硬質な音とともに、オレンジ色の液体が揺れた。未成年である修助と豪篤は、オレンジジュースである。
3人がひと口飲み、グラスがテーブルに置かれる。
こうして、ささやかな歓迎会がファミレスで始められた。
「本当はなー、浩ちゃんと店長もいりゃよかったんだけども」
茂勝が頬杖をついて残念がっている。修助は眉をやや八の字にして、
「べつに居酒屋でもよかったのに」
「そうすっと、君らの飲むもんがないじゃん。俺はビールが大好きだから、ノープロブレムよ! ほらほら、たけあっつぁんも好きなの食いねえ、食いねえ」
「じゃあ、肉とかいいですかッ? ……いや、やっぱりみんなで食べれるようなものを頼んだほうが……いや、スイーツのほうがいいんじゃ……」
豪篤はメニュー表に目を落としてぶつぶつ言い出した。
「はっはっは、食えるもん食っていいぞー。俺は金が余ってしゃーないぐらいだからのう」
「まさか、まだキャラがうまく切り替られてないんじゃ……」
修助が懸念を口にした途端、豪篤は驚いた顔をして修助を見た。
「なんでわかった!?」
「わ、聞いてたのッ?」
修助は心臓の辺りを押さえる。対して豪篤はこめかみを押さえた。
「そうなんだよ……。キャラに入るのは簡単なんだけど、カツラをはずしてもなかなか出ていかなくてな。
思考も女のものから、普段の自分の思考に戻りづらくて困ってんだ。8割方洗脳に近い形だったからなあ。あんなに脳みそを酷使したのは、初めてかも」
ふたりが「あ~」と懐かしいと言わんばかりに、何度もうなずいている。
「ふんどしのときのハイテンションは、あえて作ってたってか。はえー、いやいやたけあっつぁん、自分のキャラと心で対話しよーぜ。詳しいことは修ちゃんが今から話すからよ」
「はいはい。そうだね、そのほうが楽になるよ。素の状態のとき、公共の場では押し込めなきゃいけないけど、心の中まで押し込めちゃダメ。いつか絶対に爆発するから。
最初にキャラというか人格を、ひとりの人間として受け入れることも大事だからね。ちょっと言い方は悪いけど、支配ではなくて共存すること。ひとつの体を本来の人格と創り出した人格でシェアする感覚だね」
体験者のふたりのアドバイスに、深く豪篤はうなずく。
「心で対話、受け入れてあげる、支配じゃなくて共存、体を人格とシェアする……か」
うわごとのようにつぶやき、豪篤はふたりのアドバイスをひとつひとつ噛みくだいていく。
その間に、茂勝がウェイトレスを呼んで料理を注文した。
「そういえば茂勝さんって、どうしてこのバイトを?」
「月火水と、俺は事務方の仕事をしてるんよ」
「あれ、このバイトだけじゃなかったんですか?」
「そ、俺だけねー。なんでわざわざ事務方の仕事をしてるんだと思う?」
「えーっと、想像がつきません……」
「修ちゃんと浩ちゃんと違って、3日間はクソ真面目に仕事をしてよぉ。ほかの曜日はこうやってさ、はっちゃけるのを楽しくするためだ。でも、素というか休日はもっとはっちゃけたいんよ。だから、メイドをやってるときは、超がつくほど丁寧のキャラを演じてるってわけ。人生メリハリは大事よ大事」
「女装はどういったきっかけで?」
「高校生のころ、女友達にしてみろって言われてなー。化粧を任せて俺もノリノリで衣装に着替えて姿見に映し出されるや、そこにゃ、アッと驚く美人がいたってこった。それ以来だなー」
「確かに、美人ですもんねー。しかもあんな声を出せるだなんて。目の前の人から想像できませんよ」
「ありがとーよ。声は恥ずかしいから企業秘密ってことで。んじゃ、次は修ちゃんいってみよー♪」
茂勝は、隣で携帯をいじりながら聞いていた修助に水を向けた。
「僕はそうだな……もともと何かを演じるのが好きなんだよね。メイドのあのキャラは、もしも自分が女の子だったらどうするかというのを出してるんだ」
「あのキャラになりたいとかじゃなくて、自分基準で考えてるのか」
「良くも悪くも僕はナルシスト入ってるからね」
茂勝がうんうんとうなずく。
「確かに、言っちゃ悪いけどそうかもなー。メイドのときもカツラをかぶらんし、化粧も薄い。よほどの自信があるんだなって思った。だから、今も修助から成実になっても驚かないな」
「アハハハ、言ってくれるね」
豪篤は真面目に質問した。
「女装のきっかけはあったのか?」
「もともとちっちゃいころから、スカートとかワンピースとか着せられて、女の子の格好をさせられたことがあったんだ。小学校から高校に入学するまでは何もなかった。けど、劇団に入ってからはちょこちょこ女の子の役があって、役の勉強とお金のことも考えてバイトしてるんだよ」
「役の勉強のためだったのか。ここまでやれるなんて、純粋にすごいな」
「演技をすることが僕にとっての生きがいでもあり、ストレス解消にもなってる。まあでも、ストレスの原因でもあるけど。どっちだよって思われるけど、もう切り離せないよ」
「なるほどな……」
豪篤がソファにもたれかかると同時に、ウェイトレスが料理を持ってきた。
「お待たせいたしました! からあげポテトセットです!」
「おお、うっまそー。俺先に食ってもいい?」
茂勝は箸を構えて修助と豪篤に訊く。
「うん、どうぞ。豪(たけ)ちゃんも食べれば?」
「あれ、修助は食わないのか?」
「油ものはサラダを先に食べてからじゃないと」
「ふーん」
「そういや、豪ちゃんはなんでこのバイトを?」
「俺も気になってた! 最初に店に来たときはへんちくりんだったけどよ、女装しなくても身なりさえ気をつけりゃ、女の子にモテそうなものを」
からあげをほおぼって喜びに満ちていた豪篤の顔が、急速に暗くなっていく。
さすがにまずいと思った茂勝があわててフォローする。
「あー、い、嫌なら言わなくてもいいんだぞ。強制はしねぇーよ」
豪篤は何も言わない。からあげを口内から胃にしまいこんでから、ようやく声を発した。
「彼女にフラれたんです。アンタは女のことをよくわかってない。勉強して理解して……それでも気があるなら告白してこい、と」
顔にこそ出てないが、今にも泣き出しそうな弱々しい豪篤の声音。見栄で少し嘘も混ざっているが、ふたりは知る由もない。
「ひっでーえ女! ……と、言いたいところだけど、一理あるんだよなー」
「もてあそばれてる感も否めないけどね」
「たけあっつぁんは良くも悪くも素直でいい奴だからな」
「うんうん」
「ほかの女の子じゃダメなん?」
豪篤は一瞬驚いたが、すぐに真剣な表情で、
「俺にはあいつしか目に入らないんです!」
「悪い悪い。そして一途と」
「好漢(こうかん)ここにありってやつだね」
「つーかよ、女性誌とかファッション誌を読んで、話を合わせてあげればいいんじゃねぇの? 今の時代、インターネットも普及してんだし」
「ね。彼女は女になれとは言ってないよね?」
ふたりの疑問に、ここは正直に言うべきだと豪篤は悟った。
「ちょうど女装カフェの特集みたいなものをテレビで観て、実際に形だけでも女として働いてれば理解できると思って」
「だから、あのときうちに来たってことなのね」
「そうなるな」
「でも、こっちに来てくれてよかったよ。新しい仲間って理由がなんであれ、うれしいものだし」
修助は心の底からそう思ってるのか、言葉のひとつひとつに感情が込められていた。豪篤は、修助の頭をつい撫でたくなるような衝動を押し殺す。
「そう言ってくれると俺もうれしいよ」
「『メイドル』だっけか? あっちに行ってたら、どうなってたんだろうなー。でっけえ所だから、いろいろ厳しそうだろうなー。あー、やだやだ」
「いまさらそっちに行く気なんかありませんよ。今の『メイドォール』で勉強させてもらいます!」
「おっしゃ、よう言った! おっちゃん、その言葉が聞きたかったんよ。ウェイトレスさーん、この好感の持てる若い奴に、クリームソーダ! あと、俺はジョッキのビールを頼んますッ!」
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