02 初めてのお客様

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 初めてのメイド服は何もかも新鮮だった。初めてワンピースを着て、初めてエプロンを身につけ、手袋、タイツ、カチューシャ……そして、初のバイト。とにかく初めて尽くしで体中の血が隅から隅まで巡り、高揚感と緊張感も血管の中を競うように泳いでいるようだ。今なら突飛な行動を起こしてもおかしくない状態である。


「メイド服は慣れたかしら?」

「ものの数時間じゃ慣れませんよ」


 萌――茂勝(しげかつ)――と優美は店内の掃除を行っていた。

 優美が店に出てから30分ほど経ったが客の姿はなく、店内には暇な時間が流れていた。

 今日はまだ見ぬもうひとりの先輩メイドの郷子(さとこ)――浩介(こうすけ)――は、まだまだ料理の仕込みが忙しく、厨房から出てこない。


「優美ちゃんのおかげで、掃除が早く終わりそうですわ」

「いや、私はそんな……」


 優美は恐縮しながら集まったゴミを、四苦八苦しながらもちりとりに集めていく。多分、まともに掃除したのも初めて――は言い過ぎだが、感覚を忘れるほどしていない。ゴミ箱に何回も行き来し、ようやく掃除を終えて踵を返すと、萌が空いた手を伸ばして微笑んでいた。


「自在ホーキとちりとりを貸してください。わたくしが置いてきますわ」

「は、はい。お願いします」


 ロッカーに掃除道具をしまいに行く萌を確認してから、優美は成実に話しかけた。


「お客さん、来ないわね……」


 半分寝ていた成実が、寝ぼけ眼で訊き返した。


「ふぇええ、何がどうしたって?」

「『お客さんが来ないわね』って言ったのよ」

「優美ちゃん、今何時~?」


 優美は壁掛け時計に目をやった。


「9時44分よ」

「ありゃ~まだそんな時間? それじゃ、来るわけないよ。ウチの店は昼が忙しくなるんだから」

「午前中は誰も来ないの?」

「ゼロじゃないけど、来ないねぇ~。平日は2、3人来たらいいほうだよ」

「ええっ、全然来ないじゃない!」 

「うん、来ないよぉ~」

「何かすることはないのかしら?」

「ないよぉ~。優美ちゃんも寝よ~? このカウンター、なんの木か知らないけど、良い匂いがするんだよねぇ~。萌さんが言うにはフィットチーネとか言ってたよ~……」


 成実の声が眠気に浸食されて完全に溶けている。優美が何かを言う前に寝息が聞こえてきた。


 ――フィトンチッドのことかしら? ……もう、また萌さんに聞いて、仕事をもらわないと……。


 時給が発生している以上、時給分は働きたかった。入って初日の新人が、ハナから成実と同じ行動をしているわけにはいかない。

 そのとき、ドアがゆっくり開かれ、呼び鈴がおとなしめに鳴った。


「お客さんだ!」


 成実が俊敏な動きでお出迎えの態勢に入る。優美は驚きながらも隣の先輩に倣った。ふたりの視線の先には、ひとりの女が立っていたのである。

 愛嬌のある幼顔とツインテールが特徴的な人物。スレンダーな体型も加わって、中学生ぐらいに見えてもおかしくなかった。

 首からはピンクのデジカメが提げられていた。肩からはたすきがけに、チェックで大きめのカバンがかけられている。重さのせいか太ももの辺りまで下がっていて動きづらそうだ。

 女が店内をキョロキョロと視線をせわしなく動かしている。やがて、ふたりの視線に気づき、疑問を口にした。


「今って営業してます?」


 予想よりも大人っぽい声に、ふたりは心の中で少し拍子抜けした。


「は~い。ただいま営業中でございます。いらっしゃいませ~お嬢様」


 ロッカーから帰ってきた萌が、やわらかな笑みを振りまきながら応対する。

 遅れてふたりも居住まいを正して、


「いらっしゃいませ~お嬢様。『メイドォール』へようこそ~」


 声を合わせてあいさつをした。

 女が顔を輝かせて両手をパンと合わせた。


「わぁ、ありがとうございます。メイド喫茶に入ったの、初めてだったので。本当にお嬢様と言ってくれるんですね」

「あら、そうなのですか~。初めての店でうちを選んでいただき、ありがとうございます」


 萌が折り目正しく一礼する。成実と優美もやや遅れながらも礼をする。


「あららら、いやいやそんな。あの、そちら行ってもいいですか?」

「もちろんですわ」

「やった! それじゃ、失礼しまーす」


 女は成実が座っていた隣の席に座った。


「近くで見ると、本当にみなさんかわいいですね。名前を教えてもらってもいいですか?」


 最初に成実、次に萌、最後に優美がそれぞれ自己紹介をした。


「お嬢様のお名前は……?」


 初めての接客に緊張しているらしい。優美がおずおずと控えめに質問した。


「わたしは横山(よこやま)美喜(みき)と言います。大学1年――といっても4月になったら2年になる19歳です。よろしくお願いします」


 屈託のなさそうな顔で美喜は答えた。

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