08 『メイドォール』へようこそ
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「おはよう、よく寝られた?」
目をこすりながらリビングに現れた豪篤に、彩乃は茶碗に白米をよそいながら訊く。
豪篤はあくびをしつつ、
「まあまあだな」
彩乃の向かいに腰を下ろし、白米が盛られた湯気が立つ茶碗を受け取った。
「おお、今日の朝食は豪華だなー。まるで旅館の朝食みたいだ」
ふたりの目の前には、ご飯、みそ汁、鮭の塩焼き、焼き海苔(のり)、納豆、たくあん、かつおぶしがかかったほうれんそうのおひたし、生卵が並べられてある。
豪篤が例えたとおり、量では旅館の朝食とひけをとらなかった。
「アンタのために姉ちゃんが5時に起きて作ったんだから、感謝して食べなよ」
言葉は恩着せがましいが、口調には弟を応援する姉の優しさがあふれていた。
「姉貴、本当にありがとう! いただきます!」
豪篤も曇りのない笑顔で答え、心の底から感謝し、食べ始めた。こっちに来てからの様々な思いが浮かんでくる。その思いとともに食べ物を咀嚼し、すべて自分の血となり肉となるように、力強く飲み込む。
朝食を綺麗に食べ終えた豪篤は、玄関まで出勤する彩乃のことを見送りに来ていた。
「それじゃ、行ってきます。面接がんばって! 緊張しすぎないこと、わかった?」
ドアを開け、半身の状態で彩乃は豪篤を激励する。
「うん、気をつけるよ。姉貴も電車に乗り遅れないようにな!」
「大丈夫、大丈夫。それじゃーねっ」
ドアが閉まり、瞬時にして静寂に包まれる。
豪篤はドアに背を向けてリビングに戻る。その顔を見れば、決意に満ちあふれていた。
「やっぱ、開店して1、2時間は暇だねー萌ちゃん」
相変わらず掃除をサボり、腕と顔をカウンターにだらしなく置いている。
カウンター側では萌が、せっせとモップがけをしていた。
「そうですわね。あ、でも」
何かを思い出したのか、手を止めて萌はとろけるような笑みを成実に向ける。
「今日は面接をするとおっしゃっていませんでした?」
「うーん、そうだったっけ? 聞いてないよー?」
成実は小首をかしげている。
「あら~? おかしいですわね……」
つられて萌も小首をかしげたとき、厨房から郷子が出てきた。
「バーカ。昨日、店長が帰り際言ってたぞ。先週ぐらいに来たあのバカを面接するって」
「あのバカって……細マッチョのあんちゃんのこと?」
鳩が豆鉄砲を喰らったような顔になる成実。
「そいつ以外誰がいるって言うんだ。顔面が崩壊してる奴なんていらんぞ」
「へー、そうなの。何も変わってないことはないよ……ねぇ? わー、楽しみ楽しみー」
「何も変わってなかったら、それこそハットトリック級の大バカだ」
能天気に喜んでいる成実を視界から消して、郷子は腕を組んで壁かけ時計をにらむ。
「あらあら、ふふふ」
ふたりの会話を聴いていた萌は笑い、郷子の視線を追う。
「9時50分ですか。そろそろ来てもいいこ――」
萌の言葉が終わる前に、出入り口のドアが勢いよく開かれた。
「すいませーん、昨日電話した前野豪篤です!」
片手に紙袋を持った豪篤が店の中に入ってくる。今日は以前と違って、上は黒のパーカーに茶色のジャケット、下はジーンズといった格好をしていた。
「うわさをすればなんとやら。自分は引っ込むから、注文とっとけよ」
「はいっ」
厨房へ消えていく郷子の後ろ姿を目の端に入れつつ、成実が返事をする。
「あんちゃんこっちこっち」
成実が手招きをする。
「あ、成実さんでしたっけ。どうもどうも」
「いやいや、ずいぶんとまあ、見違えたね。やっぱ、あたしたちが見込んだだけあるわー」
「ん?」
「以前、来店されたときに言っていたのです。豪篤さんは、整えるところを整えれば格好良く見えるのに、と」
萌が成実の言葉を補足する。
「ああ、そういうことですか。いやあ、なんだか照れるなあ」
納得した豪篤は店内を見回す。
「あれ、店長さんってまだですか?」
「そうなんだよー。そろそろ来ると思うんだけど……なんか飲んで待ってる?」
「じゃ、前と同じコーヒーをお願いします!」
「はいはい。萌ちゃんが掃除中だし、あたしが淹れるねっ」
ドアの呼び鈴が、先ほど豪篤が入ってきたときと同じく、盛大に鳴った。
「悪い悪い。遅くなってしまって」
店長の島がようやくやってきた。豪篤の隣に座り、持っていたペットボトルのお茶を勢いよく口に流し込んだ。
「ふー、始めるか」
「はい、よろしくお願いします!」
緊張しているのか、豪篤から少し上ずった声が出てしまった。
「ははは、そんな緊張しなくてもいいよ。おお、服装はまともになったし、顔は綺麗になったね。むさくるしい男前路線より、断然こっちのほうがいいよ」
「あ、ありがとうございます!」
「毛の処理はした?」
「ええ、しなければならないところは全部やりました!」
「そっか。履歴書は持ってきた?」
「もちろん、持ってきました!」
豪篤は紙袋の中から茶封筒を取り出し、島に渡した。島は受け取った茶封筒から履歴書を取り出して、さっと目を通す。
「オッケーオッケー。それじゃ、明日からよろしくお願いします」
島は頭を軽く下げる。
「え?」
あまりにもあっさり決まり、豪篤は当惑した。未だに実感が湧かない様子で、周りの様子をうかがう。
「あんちゃんよかったね!」
「おめでとうございます」
成実と萌が拍手で祝福をしてくれている。
「さ、採用ですか?」
豪篤は不安気に訊き返す。
「うん。採用。だって君、今は女装栄えしそうな顔立ちになってるし。これ以上、注文つけて『メイドル』にでも逃げられたら、こっちが困るしね」
島は白い歯を見せてさわやかに言い切る。
「実演テストとかはしないんですか?」
「しないよ。うちはとりあえず、素材が良ければ使って育てる方針だから。でかいところと違って、即戦力タイプはいないね。今いる3人だって、ぶっちゃけ最初は目も当てられないほどだったし。まあ、そのタイプは来てくれればうれしいって感じかな」
「そうですか……」
豪篤は拍子抜けしているせいか、答える言葉が弱々しい。
豪篤の様子を察した島は、苦笑しながら言った。
「ああ、もしかして練習してきた? せっかくだし、ちょっとやってもらいたいな」
「わかりました! やらせていただきます!」
豪篤の顔に明るい表情が戻り、喜々として紙袋から黒髪のカツラを取り出す。すっかり慣れた手つきで装着し、ポケットから手鏡を出して手櫛で整える。それから目を閉じて深呼吸をひとつ。
豪篤は目をパッと開き、声を発した。
「いらっしゃいませー、おはようございます。『メイドォール』へようこそ~」
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