雨の匂いは遥か彼方に

綿柾澄香

そして、私は彼と出会う

 傘を回すと、私はタイムスリップすることができた。

 時計回りで未来へ、反時計回りで過去へと。


 だから、雨の日はいつも傘をクルクルと回して遊んでいた。

 原理は不明。理論も理屈も理由もわからないけれども、傘を閉じれば、いつでも元の時代に帰ってこられたし、困ったことは一度もない。


 世の中に不思議なことの一つや二つ、あったって別にいいじゃないか。むしろ、過去や未来のいろんなものを見る事ができて、楽しくてお得な能力(私の力なのかどうかは定かじゃないけど)で、ハッピーだと思う。


 だから、私は雨の日が好きだ。


 朝の天気予報で雨の予報が出ていると、小さくガッツポーズを作る。西の空に大きな積乱雲があると、つい笑みがこぼれてしまう。どこからともなく雨の匂いがしてくると、高揚してしまう。


――きっと、傍から見た私は雨好きのただの変態ね。


 なんて自虐しながら、私はチャップリンのように傘を開かずに、ステッキのようにクルクルと華麗に回してみる。


「ふむ、こっちの回し方じゃあタイムスリップはできないのか」


 ひとつ、教訓を得たわ。と、腕を組む私の鼻頭にぽつり、と一粒の雫が落ちてきた。

 自然とこぼれる笑み。

 私は嬉しさのあまり、すぐに傘をさす。


 さて、今日は未来へ行こうか、過去へ行こうか。


 どちらにしようかな、と神様に訊ねてみて、未来行きを決める。よし。と、私は勢いよく傘を時計回りに回した。


 クルクルと、傘の回転に合わせるようにして回る景色。初めのうちはこの回転に目が回ったけれど、今では平気だ。しばらく続いた回転の後、ピタリと傘を止めたタイミングで、回転していた景色も止まる。


 さて、今回は何年後の未来かな? と、辺りを見回してみる。どうやら、そう遠くはない未来のようだ。景色があまり変わっていない。傘を叩く雨の音もさっきとあまり変わらないから、あんまり未来に来た気がしない。


「ま、いっか」


 私が飛ぶ先はいつも雨だ。まあ、傘を使った時間移動なのだから、それが自然だと言われればそうなのだと納得するしかないのだけれども。


「アスカ」


 と、不意に声をかけられて、私は肩を竦めてしまう。

 もしかして知り合い? 違う時代に干渉してしまっても大丈夫かな? っていうか、そもそも誰!?

 なんて、思考がぐるぐると廻って硬直してしまっている私の肩に手が置かれた。


「おい、アスカ」

「は、はいっ!」


 もうどうにでもなれ!


 と振り返る。そこには一人の男の子が立っていた。私と同じ高校の制服を着ている。けれども、知り合いじゃない。彼の方から話し掛けてきたということは、この時代では私は彼と知り合いだということか。


「どうした? なんか変なもんでも食った?」

「べ、別に?」

「そうか、ならいいけど。あ、そうそうオギがさぁ……」


 彼は親しげに話しかけてくるけれども、彼のことを知らない私は曖昧に相づちを打つことしかできない。きっと、私の愛想笑いは見るに堪えないものだったと思う。


……にしても、目の前で話すこの見ず知らずの男の子、笑顔が可愛いし、声は聞いていてすごく心地いいし、背も高いし、魅力的っていうか素敵っていうかなんていうか、端的に言ってすごく好みです。こんな男の子と親しくなっているなんて、グッジョブ未来の私!


 けれども、私はどうやってこんな男の子と知り合ったのだろう、と疑問に思って、恐る恐る、けれどもなるべく自然にさりげなく彼に訊ねてみる。


「あ、あのさ、私たちが初めて出会った日のこと覚えてる?」

「ああ、いきなりアスカが話しかけてきた日のこと?」


 私から!? そ、そんな勇気私にはないよ!?


 とはいえ、彼がそういうのならそうなのだろう。一体未来の私にどんな変化があったというのか……とりあえず、今は話を自然につなげることに注力しよう。


「あー、そうそう。確かその日の天気は……雨……」

「いや、雨は降ってなかっただろ。晴れ……てもなかったけど、雨は降ってなかった」

「だ、だよね!」

「いきなり話しかけてきて、スミマセン人違いでした、なんて酷いぜ?」


 ああ、なるほど。誰かと勘違いして話し掛けてしまったのか。それなら少し納得。それからしばらく彼と話して別れた後に傘を閉じて、元の時間に戻ってきた。


 雨はもう止んでいた。

 雨の匂いは遥か彼方に感じる。


 あれだけ素敵な彼との出会いがこの先待っているかと思うと、なんだかワクワクする。ただ、彼と話してみてわかったのは私たちの仲は恋人同士じゃないということ。それは少し残念だったけれど、まあ更にその先のことは私の努力次第だろう。


 視線を上げると、そこには友達の後姿があった。今の私はとても高揚している。鼻歌交じりによう、と彼の肩を叩く。

 振り返った彼の顔を見て、私は驚く。


「あ、スミマセン人違いでした」

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雨の匂いは遥か彼方に 綿柾澄香 @watamasa

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