Ⅰ-Ⅸ The last summer ①
7年前。
私がまだ中学生だったころの話。
当時お姉ちゃんには将来を約束した恋人が居た。
何でも幼稚園の時からの幼馴染らしい。
私も何度か会ったことがあるけれど、とても優しい人という印象。
人見知りな私に何度も声をかけてくれて、次第に私もその人をいつの間にか「お兄ちゃん」と呼んでいた。
それを聞いたお姉ちゃんは、いつも「まだ早いよ」と照れていたのを覚えている。
ある夜、お姉ちゃんが号泣しながら帰ってきた。
お母さんと一緒に訳を聞くと、その人にプロポーズをされたんだととても嬉しそうだった。
何だか私も嬉しくなって、お母さんと一緒になって、おめでとうと言ってお祝いをした。
それから程なくして、私と両親の下へその人が挨拶に来た。
その人に「やっと本当のお兄ちゃんだね」と言ったら、二人とも嬉しそうに笑ってた。
本当に二人とも幸せそうで、いつか私もこんな人と巡り合いたいななんて思った。
でも、お姉ちゃんの笑顔は長くは続かない。
それは突然の出来事だった。
仕事から帰ってきたお姉ちゃんはひどく青ざめた顔をしていた。
おかしいな、体調が悪いのかなとその時は思った。
けれど、お姉ちゃんはそのまま自分の部屋に引きこもり、仕事にも行かなくなってしまった。
私やお母さんが何度か話をして、ようやくその理由を話してくれた。
「私ね、捨てられちゃった」
そう言って、お姉ちゃんは近くに置いていた封筒をお母さんに渡した。
お母さんが恐る恐るその中を開けると、そこには見たことのないような一杯のお札が入っていた。
すぐにお父さんにその話をした。
お父さんは激昂して、相手のご両親に連絡をし、両親だけでの話し合いの場が持たれた。
私はその場には居なかったから詳細は分からなかったけれど、帰ってきた二人の顔は憔悴しきっていた。
そして、私はリビングへ呼ばれ、お姉ちゃんの身に起こったことを聞いた。
お兄ちゃんと呼んでいたその人には既に別の許嫁が居たにも関わらず、お姉ちゃんと付き合い、プロポーズをしていたこと。
縁談の話はお姉ちゃんよりもその許嫁の人の方が早く決まっており、お兄ちゃんもそちらの方に乗り気だということ。
お姉ちゃんが持っていた封筒は迷惑をかけたとのことで渡したということ。所謂手切れ金だ。
「それで、お父さんはすごすご帰ってきたっていうの!」
私は思わずお父さんに叫んでしまう。
こんな話を聞かされて、私も頭に血が上っていた。
「いや、抗議をしたさ。しかし、向こう側には既に弁護士が付いていてね。結納も済んでいないし、婚約指輪を渡したという事実もない。言った言わないの世界では婚約破棄に至る根拠としては弱いらしい」
「そんなのおかしいよ! お父さん絶対に騙されてるんだって!」
「そうかもしれない。だが、こうも言われたんだ。仮に民事訴訟の結果が婚約破棄と認められるとしても、裁判となるととても長い時間がかかる。その間ずっと心に傷を負った朱音を法廷に立たせて証言させたり、傷を負わせた相手の顔を拝ませ続けるのか……とね。正直どの口がそれを言っているのだと頭にきたが、朱音のことを考えると、確かにそれがベストに思えてしまったんだ」
お父さんはとても暗い顔で言葉を紡いでいた。
お母さんは横で黙ってお父さんの言葉を聞いている。
「分かんないよ! 訴訟とか、裁判とか、そんな難しい話私には分からない! お姉ちゃんのことを守ってくれないお父さんなんか大嫌い!」
私は感情的に机をバンと叩き捨て台詞を吐いて自分の部屋へ走った。
後ろからお母さんの引き留める声が聞こえた気がしたけれど、無視して自分の部屋に飛び込み鍵を閉めた。
そしてベッドに飛び込み大声をあげて泣いた。
大人になった今にして思うと、お父さんの考えは何も間違ってなんていなかったと思う。
後々冷静になって聞いた話では、相手方の人は「若い者の一度や二度の過ちは大目に見る」という姿勢で、向こう側に話をしてそちらを破談させるという道も絶たれていたらしい。
本当の意味での八方塞がりの結果お父さんも苦渋の決断を下したのだと、今にして分かる。
だけど当時の私は、そんなことが分かるはずもない。
お姉ちゃんの気持ちはどうなるの?
なんで相手は悪いことをしたのに何も罰がないの?
どうしてお父さんもお母さんも、言いくるめられて帰ってきたの?
嫌いだ。大嫌いだ!
お父さんもお母さんもお兄ちゃんも相手の両親も弁護士も皆嫌いだ。
私の、私の大好きなお姉ちゃんを傷つけるもの皆が大嫌いだ。
お姉ちゃんは何も悪いことをしていないのに、なんで、お姉ちゃんだけがこんな目に合わないといけないの?
ただ、幸せになりたかっただけなのに……。
☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆
語る碧依の顔は非常に暗い。
いつも天使のように笑う碧依の面影は、今の彼女にはなかった。
「子供だったな――って思う。本当はお父さんもお母さんもとても悔しかったはずなのに。それを押し殺してお姉ちゃんのことを一番に考えてくれていたのに」
「そうか」
俺は相槌だけをうち、後は黙って彼女の話を聴く。
部外者である俺が、励ましや慰めの言葉を彼女に投げかけようと、所詮は薄っぺらいものにしかならない。
それならば、余計なことは言わない。
それが、わざわざ俺に話をしてくれている碧依に対しての誠意だと思った。
「それからしばらくお父さんやお母さんと口をきかなかったんだ。でも、ある朝お父さんとお母さんが私に言ったの。『引越しをしよう』って」
「引越し?」
「そう。お姉ちゃんが一番楽しそうだった学生時代を過ごした場所。この『来美町』の環境がお姉ちゃんの心の傷を癒してくれるかもしれないって。だから私はお姉ちゃんと同じ高校を受験して、私が中学校を卒業するのを待ってから、引っ越してきた。もしかしたら涼太君にももう一度会えるかもしれないとも思ったけど――」
「あぁ。親父が都市部へ転勤になるっていうんで、丁度その時期にうちも引越しをしたんだ。今しみじみと自分のタイミングの悪さを呪いたくなったよ」
チラと目線で話を振られたので、俺も答える。
「涼太君は全然悪くないんだけどね」
「だけど、それが朱音さんと会えたかもしれない最後のチャンスだった――だろ?」
「――だね」
碧依は寂しそうな笑顔を浮かべた。
その笑顔が俺の心に刺さる。
もし、もしも俺の引っ越しがちょっとでもずれていて朱音さんと会うことができていたなら。
いや、たらればなんて考えていても仕様がないな。
「続きを聞かせてくれるか?」
「うん」
促す俺に碧依は反応し、その後の来美町での出来事を語り始めた。
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