ⅠーⅢ 蘇る記憶 ②

 彼女の目から、静かに涙が頬へ落ちた。


「ずっと、ずっとずっと会いたかった」


 目から、言葉から、彼女のこの10年間の想いが溢れる。

 その表情から、俺のことを待ってくれていたという事実を改めて突き付けられた。

 心がキュッと締め付けられた。

 俺はこの10年間彼女のことを忘れていたというのに、彼女は覚えてくれていた。

 こんな俺のために涙を流してくれている。


「ごめん、約束忘れてて。俺、嘘つきで……、最低だよな……」


 謝らなくちゃ。そう思った瞬間に、言葉が喉から飛び出した。

 が、罪悪感からどうしても尻すぼみになってしまう。

 こんな奴のために泣いてくれている彼女に申し訳がなかった。


「ううん。嘘つきなんかじゃないよ。だって……」


 五葉さんはそう言いながら涙を袖口で拭う。

 そしてこちらを見て、赤くなった目元を緩ませた。


「今日。会いに来てくれた」


 そして俺がギュっと握っていた拳に自分の手をそっと重ねる。

 彼女の手はとても小さくて、とても……温かかった。


「偶然だ……」


「偶然だったとしたらっ!」


 言いかけた俺の言葉を遮るように彼女が強く言葉を被せる。

 ハッとして彼女の顔を見た俺に、五葉さんは優しく微笑んだ。


「それって、運命だよねっ」


 彼女のその一言に一気に胸が高鳴るのが分かる。

 運命……か。


「それに、さ。さっきも言った通り私は行き先を涼太君には伝えてなかった。私にも落ち度はあるの。だからそれ以上悲しい顔をしないで」


 彼女に言われて初めて自分が泣きそうな顔になっていることに気付く。

 そうだよな。せっかく昔の友達に再会できたんだ。

 こんな顔してたらそれこそ申し訳ないってものだ。


「悪かった。もう大丈夫だ」


 フルフルと顔を何度か振り、不格好ながらも笑って見せた。

 それを見て彼女もクスッと笑った。


「改めて、久しぶり。あっちー」


「うん、涼太君。あっ、でもっ!」


 何かを思いついたように彼女はポンと手を打った。


「もう私の名前覚えられたよね。だから「あっちー」じゃなくて、ちゃんと「碧依」って呼んでほしいな」


 えっ、名前呼び!?

 急な展開に動揺する俺を、彼女は期待するような目で見てくる。

 正直彼女居ない歴イコール年齢の俺としては、女の子の名前呼びはハードルが高すぎる。


「えっと。今まで通り五葉さんではダメ?」


「ダメ」


 笑顔で即答されたよ。

 これは、もう、覚悟を決めるしかないんだろうな。


「あ、碧依……」


「はいっ!」


 碧依は最高の笑顔で返事をした。

 その表情にまた俺は胸の高鳴りを感じる。

 収まれ煩悩、保てよ理性。




☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆




 その後俺と碧依は今まで何をしていたのかを話した。

 碧依は中学校に通いながら大きな病院で治療を受け続け、体の方は今ではもうなんともないそうだ。

 そこから一度俺たちが住んでいた町を訪れたらしいが、既に俺も都会の方へ引っ越していて、結局会えず仕舞いだったらしい。


「そういえば、朱音さんは今どうしてるの?」


 不意に気になったことを質問してみる。

 俺を引っ張り回しててたあの人のことだから、どこかでパワフルにやってるんだろうなと思うけど。


「あ、あぁ、お姉ちゃん。そう……だよね。うん」


 だが、碧依は打って変わったかのように顔に影を落とし、俯いた。


「碧依?」


 急な変貌に心配になって彼女の顔を覗き込む。

 彼女はハッとして再び笑顔に戻った。


「お姉ちゃんは私たちが昔住んでいた、「来美くるみ町」にいるよ」


「へぇー、そうなんだ。意外だな」


 あの人だったら都会に出てバリバリ仕事をこなしてそうなイメージあるけど。

 コミュニケーション能力抜群だしな。


「ううん、意外なんかじゃないよ。お姉ちゃんは誰よりも来美町が好きだったから……。ねぇ、涼太君?」


「どうしたんだ?」


「部長がね。今年はお盆休みあるって言ってたでしょ」


「あー、俺が異動になって人手が増えたからだろ? それがどうしたんだ?」


「うん。もし良ければなんだけど……、一緒にお姉ちゃんに会いに行かない? きっとお姉ちゃんも涼太君に会えたら喜ぶと思うから」


 来美町か。そういえば長いことご無沙汰にしているな。

 実家ごと都会に引っ越してしまったから行くこともなかったけど、そういうことなら久しぶりに尋ねてみてもいいかもしれない。


「分かった。調整しておくよ」


「ありがとう」


 その後来美町への小旅行の話を軽くして、明日(正確には今日)も早いと言うことで就寝することにした。

 碧依は同じベッドでも良いと言っていたけど、さすがにそれはまずいので丁重にお断りをしておいた。

 なぜか碧依はむくれていたけど。


 でもよくよく考えると、碧依と2人っきりで旅行ってことなんだよなと今更ながらに気付く。

 別に不服とかそういう訳じゃなくて、碧依みたいな可愛い子と2人きりで俺の理性は果たして維持できるのだろうかという不安にかられるのだ。

 いやいやと俺はその雑念を振り払う。

 こんな中途半端な気持ちを碧依に向けてはいけない。

 だって、俺はこの想いが碧依に対するものではないと知っているから。

 俺は重ねているんだ。成長した碧依にあの人を。

 姉妹だから似ているのも当然。

 避けた段ボールから現れた碧依に惹かれたのも、今にして思えば理解できる。


「はぁ、諦めたつもりだったのにな」


 俺は碧依には聞こえないよう、小声でそう呟いた。

 でも、今度のお盆休みに会えるんだ。

 その時に、今度こそこの引きずってきた想いを清算させる。

 次への一歩を踏み出すために。


 俺はゆっくりと目をつむり、押し寄せてくる睡魔に身を委ねた。

 初恋の人を思い出しながら――。

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