第304話 廃城5

一華にあらかじめ伝えていた作戦の合図と共に、感染者は一華の方向へと向かって行く。

作戦の第一段階は成功した事を確認した八城は一華へ集まって行く感染者を他所に校舎の外階段を登っていく。

目指すのは屋上である。

やはりと言うべきか外階段にも生者を探す感染者は彷徨っており八城は外階段の感染者を力任せに突き落としながら、体重が明らかに重そうな感染者に対してはすでに抜いていた刃で顎下から脳天を刺し貫く。

激戦にも思える外階段だが、上って行く外階段から見えた校舎内は感染者がひしめき合っており校舎内側からの攻略はやはり不可能だっただろう。

金玉が縮む思いをしながら屋上へ続く梯子をよじ登り、ようやく八城は最上階である屋上へと辿り着く。

屋上には幾つかのタバコの吸い殻がそのまま残っており、雨に濡れて屋上の床に張り付いている。

今時禁煙を厳にされている学内で喫煙する不届き者もいるのかと思いながら八城は父親を見た場所の真上のフェンスに途中で調達したロープを固定し、自身にもロープを巻き付ける。

このロープが八城の自重を支えきれなければそれまでだ。

「頼むから恐怖も忘れさせてくれよ」

八城は気付け代わりに先ほど一華から追加で貰ったフレグラを噛み砕き飲み下せば、恐怖は浮遊感にも似た快楽に変わる。

一世一代の賭けに、八城は迷う事なく全体重を掛ける。

鉄とロープの擦れる音に嫌な予感を感じながらもゆっくりと降りて行くと、その様子は一瞬で分かった。

立て籠っていたのだ。

父親は今にも外れそうな扉の前に椅子や机を並べ、感染者の侵入を阻んでいた。

そして、父の無事に安心したのも束の間――

それは一瞬だった。

教室内の安全を守っていたバリケードが決壊したのは。

鉄の耐久を超えた数の圧力は、全てを無視して窓下部をいとも簡単にぶち破り決壊した。

それを確認してからの八城の行動は早かった。

両足で窓ガラスを突き破り、自身に結びつけていたロープを刃で斬り外し父親の前に降り立つと直ぐさま目の前の一体の首元へ刃を滑らせる。

人間の血液にも似た感染者の体液が教室のフローリングを皮切りに積み重なった椅子と机を黒赤色に彩っていく。

一体、二体、三体、四体と立て続けに首を刎ねると同時に八城の中のフレグラの感覚も戦闘の空気と共に研ぎすまされていく。

予想外の闖入に呆気に取られている八城の父親へ感染者の手が伸びるのを間一髪のところで打ち払う。

「オヤジ!後ろだ!」

手に持っていた刀を父親へ無理矢理に手渡し、八城の父親も八城の意図に気付き、受け取った刀で八城の背後から迫る一体の頭部へ切っ先を突き立てた。

一歩間違えばそれまでだが、絶対に成功する事は分かっていた。

倫理的でも、本能でも、ましてや実力でもない。

それは親と子の間にある信頼と呼べる代物が在ってこそ為せる技だ。

八城自身が父親を信じているから、信じられている事が分かる。

共にあるだけで心地がよく、それでも近過ぎるのはたまに窮屈でかと言って突き放されているのも違う。

一ヶ月もの間、八城が探し求めたものがここにはあった。

「八城……八城なのか?」

そう問いかけてきた男へ視線だけを送りながら背に背負っていた刀を抜き放つ。

変わり果てている訳じゃない。

ただ雰囲気は大分違う。

いつでも飄々とした父の姿は何処にもなく、そこにはやつれた一人の中年男性が生徒十名を守りながら立て籠っていた。

命を賭けて、その身を賭して……

だが、それこそ八城が想像した通りの父の姿だ。

「オヤジ!学校の中の状況はどうなってる!この学内に居る生き残りはこいつらで全員なのか!」

血に混ざる油で滑るフローリングの上で八城はどうにか体勢を整えながら近づいて来る一体へ刀を振るい、着実に処理していくが数が数だ。

どう足掻いても扉から入って来る数を処理し切る事は出来ず、一秒、一分と経つごとに八城のフレグラの効き目は頂点から緩やかに降下して行く。

「今は目の前の流れを止める事が先だ!この先にある防火シャッターに行け!階段奥の防火シャッターまで行ければ感染者の流れを止められる!」

教室後方の入り口はひしゃげ、ロッカーなどを使い全く出入りが出来ない様に固定されているが、崩された前方の入り口は出入りが出来る様に薄くしていたのが仇となったのだろう。

そもそも教室内に立て籠る事を前提に室内に物資を調達していなかったというのが正しい。

教室から見える防火シャッターまで二十メートルと言った所だ。最上階において階段は一つだけ、階段下を塞ぐ事が出来れば余裕が出来る。

出来る事もやるべき事も一つだ。

「オヤジ!少しの間だけ、室内の相手を任せても大丈夫か!」

「八城待て!一人は危険だ!無茶をするな!」

教室内で刃を振るいながらではジリ貧になるのは目に見えている。

仕掛けるのなら拮抗している今しかない。

「心配だ?!その言葉は一ヶ月遅いんだよ!此処までずっと無理の連続だったんだ!大丈夫だ!こっちはなんとかするから心配要らない!」

そう言って八城が教室外へ駆け出そうとした瞬間、校舎を含む街中に無数に重なる発砲音が鳴り響き次いで校舎に何か大きな物体が激突したかの様な微かな揺れが教室を襲う。

校舎内に居る八城には外で何が起きたのか分からないが、ただ一つ言えるのは発砲音と重なるように、一瞬だけ感染者の挙動がピタリと止まったという事だ。

感染者が動きを止めた数秒は八城にとって十分な時間となる。

隙を見せた一秒で一気に階段まで駆け抜け、階段下へ感染者を蹴り飛ばす。

後ろから迫る三体の内二体を躱し、階段下へ突き落とし一体を手に持った刀を逆手に持ち替え胴体を突き刺した。

動きが止まる訳ではないが、時間を稼ぐなら上出来だろう。

八城は壁にあるハンドルを回し、防火シャッターを力任せに押さえ込み、掃除用のロッカーを倒し栓をする。

残るは四階廊下に残る感染者のみだが……

刀を突き刺した一体が起き上がり、八城を食う為にヨタヨタと近づいて来るが、今の八城にとっては脅威になり得ない。

「わざわざ届けてくれるなんて親切な奴も居るもんだ」

特別面白くもないのだが、込み上げそうになる笑いは口角を吊り上げ洩れそうになる笑い声を押し殺しながら、刺さりっぱなしになっていた胴から抜刀後に封殺する。

その後に待っていたのは八城一人が立つ蹂躙だ。

狭い通路、一気に感染者が掛かって来るとしても三体が限界、数はあるが圧力はない。

つまるところ今の八城の相手ではない。

血で血を洗う戦闘の終結は、静かで残虐だ。

廊下の隅から隅までを染めている赤の澱で血塗れた刃を手に持って廊下に立っているのは八城ただ一人のみ。

静かに役目を終えた刃を仕舞い込み、奥の無事を確認し足下に転がる亡骸から最愛の父である七瀬へ視線を移した。

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