第269話 終戦5

八城が目を覚ましたのは、次の日の昼過ぎの事だった。


八城が寝ていたベッドの他に、二つのベッドが並んで置かれているが、二つのベッドには誰も居らず、部屋には八城だけが取り残されていた。

隊服と共に壁にかけられていた西武中央紋章の入った外套を羽織り、簡易テントの外へと出る。

秋中頃の昼とは言えど今年の冷え込みは夏の落差を感じさせる程に激しく、外套一枚で外に出て若干の肌寒さを感じてはいたが、八城は何を差し置いても知らなければならない事がある。

クイーンを倒した英雄を一目見ようとテント周りに集まって来ていた西武中央の住人を掻き分け、八城は中央街区の中心に鎮座する建物の三階を目指すが、西武中央議長である浮舟丹桂の居る建物周りは更に多くの住人が押し掛けていた。

何処か通れる道はないものかと、見回していると住人の数名が八城をジッと見つめて来ている事に気が付いた。

『おい、あれってもしかして東雲八城じゃないのか?』

一人の住人から声が波紋の様に広がり、続々とその視線は建物から後方に居た八城へと流れて行く。

「浮舟丹桂に用がある。悪いが、道をあけてくれ」

八城の言葉と同時に、集まった住人たちから歓声が上がった。

作戦指揮を受け持っていた八城が西武中央議長である浮舟丹桂へ会いに行くというのはつまり、作戦の終了を意味する行為である。

そしてクイーン討伐から生きて帰って来た八城の存在が住人へ示す意味とは、たった一つだ。

右を見ても左を見ても、西武中央の住人は勝者の凱旋を歓喜の声と共に迎え入れている。

あぁ、違う。これは、はしゃいでいるのだ。

結果だけを見て聞いて、西武中央の住人は欲しい玩具を買ってもらった無邪気な子供の様にはしゃいでいた。

失った内容など眼中になく、住人は結果だけを受け入れてただ喜びに打ち震えているのだ。

八城はただ黙って、住人の作った空白地帯を歩き建物の中へと進んで行く。

上質な絨毯の感触を靴底に感じながら、その部屋の前に立てば中から聞き慣れた二人の声が聞こえ、八城はノックも無しにその扉を開け放つ。

部屋中に居た二人は突如乱入して来た八城に対し警戒と共に睨みを利かせたが、入って来た主が八城だと分かると安堵のため息をついた。

「急に入って来てビックリするじゃないか。人の部屋に入るのならノックぐらいしたらどうなんだい?」

いつも通りの浮舟丹桂と、神妙な面持ちの浮舟桂花がそこに居た。

浮舟丹桂がお茶の用意を進めているところを見るに、桂花も今来たところなのだろう。

あの戦いの中、桂花が生き残っている事を確認出来たのは僥倖だが今日用があるのは丹桂の方だ。

「キミも飲むだろう?今お茶の用意をするから座って待っていてくれ」

そう言って、八城の前に差し出されたティーカップに手を付ける事もなく、八城は未だ分からない結果の確認を急く様に問い正す。

「……何人だ?」

主語もなく、ただそう尋ねた八城の問いに、食器棚へ手を伸ばしていた丹桂は当たり前のように小さく小首を傾げて見せた。

「ん?何人とはどういう意味かな?」

理性の紐を容易く引きちぎりそうな丹桂の言葉に八城は自由の利かない身体で良かったと心から思う。

だから、八城は奥歯を噛み締めて、もう一度丁寧に問い直す。

「あの場に居た隊員は何人……生き残ったんだ?」

「あぁ、あの子供達の事かい?それなら、十四人ほど生き残っているんじゃないのかな。いやはや、キミは本当に凄いね。聞きしに勝るとはこの事だよ。まさか三シリーズを使わずにクイーンを討伐してみせたのだから、やはりキミは常軌を逸していると言わざるを得ないだろうね」

「お前は……負ける事を期待していたんじゃないのか?」

「その通りだよ。確かに僕は彼らの死を容認していたし、そもそも彼らは捨て兵だよ、だが予想外にも尊い犠牲になる前にキミが救った。ただそれだけさ。私としては君たちが束になってもクイーンを倒す事は出来ないと踏んでいたのだけれど……残念ながらキミの戦力としての価値は私の予想の遥か上を行ったわけだけどね」

湯気の上がる紅茶を一口含み、琥珀色の液体を喉に押し流す。

不意に香る茶葉の芳醇な香りは、八城の理性を決壊の直前まで、何度となく揺さぶって来る。

「私としては西武中央の住人を、殺して黙らせてしまう方が手っ取り早くて後腐れも残らないと思っていたのだけれど、まぁ倒そうが倒せまいが、キミが実力で西武中央の住人を黙らせたのだから、問題は先送りに出来たと言ったところかな?」

「先送りだと?それはどういう意味だ?」

「そのままの意味さ、キミが東京中央に戻れば、またキミが同じ様に……いや、キミ以外の規格外が、この町に不要な希望なんてものを持って来る。そうなればこれまでの繰り返しさ。人の上に立つ人間がどんな優秀でも、どんな知略に長けていても『野火止一華』や『東雲八城』の様な、たった一人が西武中央には存在しないなら手の打ちようがない」

楽しげに笑う丹桂の口元だが、その瞳は一ミリたりとも笑ってなどいない。

絶対に解決出来ない問題だからこそ、口元だけでも笑うしかないのだろう。

「それに彼らは遠征隊や常駐隊を鋼鉄の壁か何かだと勘違いしてる。だから平気で結果を求める。だけどね、彼らは、脆い肉の壁でしかないんだよ。そして肉の壁に感情がある事を住人は知ろうとしない。同じ人間である事を理解していても、彼らは同じ立場の人間にしか優しくできないのさ」

心当たりは……………ある。

否定など出来る筈もない。

八城がこの建物に来る道すがら、何度感情をぶちまけそうになったか分からない。

そして、浮舟丹桂は八城の心情を見透かして下の広場で騒いでいる住人たちを見下ろした。


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