第257話 根城25

目線の高さの枝を分け入り、隼の如く風を手繰り寄せながら菫と浮舟衣は雑林を走り抜ける。

絶対の死をもたらすクイーンからの一撃を、菫は記憶の中に燻る戦闘技術のカートリッジを使いこなす事でどうにか戦場での均衡を保ち続けていた。

だれ?

なに?

何処で?

知らぬ記憶に関して菫は記憶の中を探ってみても、宛先のない記憶の断片には人の存在が垣間見える事はない。

いつ得たのか分からない、菫の知らぬ何処かで得た学習として蓄積している卓越した技術の数々の出所に菫は底知れぬ恐ろしさを募らせる。

「これは、誰……なの……?」

戦場で絶え間なく刃を振るうが、その実知らぬ記憶の主たちの意のままに量産刃を振るい続ける。

記憶の動きを真似る度、鮮明により深く

使う技の記憶は顕著に、より忠実に菫の元に力をもたらした。

だがこの強さは、菫の物ではない。

見た事も、ましてや振るった事もない。

にもかかわらず、菫は戦場において生き残る術を知り尽くしている。

それも一人や二人ではない。

十人、二十人……

いや……

そんな生温い数ではない。

数千という数と体験のある筈のない戦いの記憶。

手練から素人まで、微かに覚えているのは振るった数と濡れた数……

そして思い出したくもない快楽の様に駆け巡った、己の食欲が満たされた数だ。

「知らないなの……こんなの、私じゃないなの……」

競り合いの末、僅かにブレた菫の量産刃がクイーンの腕力で押し込まれる寸前に、浮舟衣は菫と入れ替わる様にクイーンの前へ出た。

「おいおい!ボサッとしてんじゃねえよ!戦えないなら下がれってんだ!」

菫の存在が周辺の感染者を遠ざける役割を担っている以上、ここで菫を失うこと、それは即ちこの作戦従事者全員の死を意味する事となる。

衣は菫を守る為にクイーンの相手をするが拮抗は一瞬、衣はクイーンの出鱈目な腕力の前に一撃離脱で時間を稼ぐしか手段が無い。

「おい!クソ姉貴!死んでまで人様に迷惑かけてんじゃねえよ!」

思い出の中に居るそのままの姉の姿を象ったクイーンは、衣には聞き慣れた小さな鼻歌を口遊み続けている。

忙しい両親に変わって台所に立つ姉が、決まって口遊んでいた聞き慣れたフレーズが雑林の中で剣戟の合間に衣の耳朶を打った。

「おい……あんだよ……なんだ!そりゃあ!」

どんな攻撃より、もっとも衣を揺さぶるのは兄妹の中で最も付き合いが長かった姉との思い出に他ならない。

「なんでその姿で、てめえが……」

どう足掻いても、自身へ言い聞かせても、その姿は間違いなく衣の世話を焼いてくれた浮舟茨の姿でクイーンはその姿のまま衣の命を奪おうと姉であった筈の両手を伸ばして来る。

兄妹の為に料理を作り、手を繋ぎ、頭を撫でた姉の手が……

「クソったれがぁあ!」

衣の持てる渾身の豪腕で振るった量産刃はクイーンの手を押しのけた様に見えたが、クイーンはいとも容易く衣の振るった量産刃を手のひらで掴み、力任せに量産刃を根元から圧し折った。

「させない!なの!」

菫は星の数程脳裏をよぎる自身の奪った何かの数を考えない様にしながら、菫は二つの記憶の中にあるカートリッジを捻出する。

記憶の詳細で覚えているのは、痛みだ。

赤い紅い、刃が抜かれ瞬時に感じたのはある筈のない痛みの記憶。

そして、白く粟立つ刃を躱そうにも躱せなかった記憶。

たった二人だけが、与えた痛み

「これは、覚えてるなの……」

掴み掛かった紙一重、衣とクイーンの死の蟠った隙間に滑り込む。

柄で内肘部分を押さえ込み、次いだ鞘で迫る左を打ち払う。

「おい!お前も早く下がれ!」

衣が助けられたのも束の間、次いで菫がクイーンの間合いに取り残されている。

菫は両腕が塞がり、次に行動をこす事間々ならない。

菫がクイーンを押さえたと言っても、クイーンの豪腕の前では瞬間でしかない。完全体のクイーンの動きを止める事など未完成のクイーンである菫では到底不可能だ。

だが、これでいい。

菫は時間を稼いだだけだ。

「……八城兄ちゃん、待ったなの」

後ろに立った影は音もなく、ただそれ故にクイーンは気付かない。

菫の言葉に、クイーンの後ろから本命の返事が返る。

「悪い、パーティの支度に手間取ってな」

瞬間、反撃の狼煙を知らせる鈍色の一閃が走った。


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