第230話 薄明1

そして、翌々日

秋の晴れ間に漂う洗濯物の落ち切らなかった汚れの詳細を数えては、八城は痛む心中に瞳を逸らす事だけはしなかった。

全200名の部隊員の内、帰還したのは140名

数字だけ見れば健闘と言って差し支えないだろう。

八城は、素人同然の子供を資源探査の名目で番街区の外へ放り出したのだからこの結果は当然と言える。

一部隊20名の割当で一〇の部隊に分けた部隊内容としては一部隊が全滅。

他部隊は、隊長3名が未帰還。

道中の激戦で、生死不明の部隊員が15名

他部隊員22名は全てが戦闘の末に未帰還となった。

だがそれでも彼らは帰って来た。

きっと少年らは外に出て知ったのだ。

最も目を背けて来た、一つの事実に……

「そうだよな、この番街区にも、ここから出た外にも、何処にも逃げ場なんてない。たかが二〇〇人で寄り集まった所で生き残れる程、この世界は甘くない」

たとえ、西武中央から死ぬと分かる無理難題を押し付けられようと、自分たちの生き残る目が残っているのは『無理難題』の方だと知ったのだ。

そして同時に思った筈だ。

今まで、自分たちの方こそが生き残らされてきたという事実に。

目に見えない何処かで、自身たちの身代わりとなった者達が居た根拠を、外の世界に見た筈だ。

泥が落ちきらない洗濯物が風が吹く度に揺らめく夕方に、八城は歩き出す。

昨日夜中のうちに降った雨でぬかるんだ土を宿舎入り口で入念に落とし建物最奥にある鉄扉に手を掛ける。

広い訓練場には140名の子供。そして、向かい合うように紬、桜、菫、テル、桂花と大男、『G.O』が居並んでいる。

八城も壇上へと登り、資源探査から帰って来た少年たちと向かい合う。

据えた空気は重く、誰の発言も許さない網目状の緊張の走る中で八城は極めて明るく口を開いた

「お前達、外の世界はどうだった?」

新作映画の感想を尋ねるような気軽さが含まれた八城の口調に、目の前の少年達からは最初とは別種の憎悪にも似た視線が壇上へと集中する。

「最悪だったろう?なんで自分たちがこんな目に遭わないといけないんだって思っただろ?そう思った奴は」

八城は満面の笑みでこう続けた。

「ここから、逃げていいぞ」

その言葉に困惑を露わにする少年達だったが次に続く言葉に少年達顔は困惑から焦燥へ塗り変わる。

「この四方七十キロ。この西武中央に所属する番街区が統治する範囲を何の物資もなく突破出来る自信がある者だけこの場からの退席を許す。何処へなりとも好きに行け」

微かに起きた喧騒すら掻き消す静寂は、この場から逃れる術が居ない事を証明していた。

誰もそんな芸当が出来る者は居ない。

それがたとえ八城だろうと不可能な芸当だろう。

「……だろうな。だが悲観する事はない。お前達は良くやってる方だ。碌な訓練も受けず、急に呼ばれたと思えば命を賭けろと理不尽を言われてるんだからな、正直たまったもんじゃないだろ?」

甘い言葉と共感は、次の言葉を繋げる呼び水だ。

「だがな、残念ながら、もうお前達の番なんだ。お前達の前に立ってた良い大人はもう居ない。此処に居るのはお前達の隣に立つ悪い大人だけだ」

八城の良く通る声は否が応でも少年達に今の現実を突き付ける。

これから八城が

前に立つ八番隊が

ここに集まった年端もいかない少年達が

此処に居る全員が己の命を賭ける作戦を

「明日夕刻、クイーン討伐を敢行する」

言葉とは、傷を癒す薬で、

痛みを和らげる麻酔で、

酔う為の酒でもあり、

恐れを無くす麻薬でもある。

傷をつける事も出来れば、傷を隠す事も出来る。

だから言葉は恐ろしいし頼もしい。

八城は今更ながらそう思う。

今から八城は子供を創り変える。

根本から別の物へと昇華させる事は出来ないが、たった一時だけ彼ら彼女らの選択を掻き立てる為に……

「俺達は捨て駒だ。木っ端の一欠片程にも誰の為に命を捨てるのかも選べない程の捨て駒だ」

八城の前に立ち並ぶ二百名の子供達、その全てが壇上に立つ八城へ幼い瞳を向けている。

等しく動揺を知らせて揺れている瞳は、これから身に及ぶ危険を察知している。

だが、それでいい。

「今更お前達に隠しても仕方ない。今からはお前達が直視したくなかった正直な話をしよう」

精一杯の誠意を見せる為に八城は最も汚い言葉を選び取る。

「お前達は慣れた筈だ!間近で死を実感した筈だ!あの物資調査はその為のものだ。お前達の前で散っていった者達が味わった痛みは次にお前達を襲い、それこそお前達にとって最後の感覚になる!そしてその痛みは!この作戦中の何処かで、お前達の身に必ずやって来る!保証しよう。お前達はこの作戦の何処かで必ず全員死ぬ事になる。これから行く場所はそういう場所だ。今隣に居る人間も!前に居る人間も!視界に映る人間は等しく死ぬ!お前達の中で生きて帰れるか心配している者がいるのなら、それは杞憂だ。心配無用だ!お前達は必ず全員死ぬ事になる!」

恐れと痛み、そして諦めはこの世界において重要だ。

西武中央の住人もこの疫病にも似た病いに侵されている。

そして、この少年少女も例に漏れず侵されている。

だから、八城が発したこの言葉たちを認めさせる実績が必要だった。

『東雲八城』という名前だけに縋ってもこの作戦は上手く行かない。

だから八城はここで少年少女の退路を断つ必要がある。

「お前達にはもう西武中央に居場所はない。今作戦で仮に何処かで隠れて生き延びたとしても、お前達に戻れる場所は何処にもない!お前達のトップが指し示したこの作戦は!そういう作戦だ!」

八城は喉の奥から堪えるように笑みを零す。

そうだ。今は笑え。

深夜に浮ぶ三日月の如く、口角を吊り上げて笑ってみせろ。

「おかしいだろ?思わず笑っちまうぐらいには面白い。それに心配事が少ない方が大抵の物事は上手くいくが、生きて帰れるかの心配をしなくいいなんて、ギャグのセンスが高過ぎて笑えないぐらい面白いよな?」

八城の笑い声以外に、誰も言葉を発する事はない。

140名の子供達には、泣いている者も居れば膝から崩れ落ちている者も居る。

当然だ、信じてはいなくとも生きて来た西武中央から彼らへの死刑宣告である。

耐えられている子供の方がむしろおかしいだろう。

だが、そんな子供とは正反対に隣の浮舟もその隣に居る菫も、遠くで見つめている紬も桜もただ黙って八城を見つめていた。

八城の前に広がるのは、子供の群れだ。

泣き崩れ、嗚咽を零し、それぞれが声を上げている。

きっと彼らは同情して余りある。

彼ら彼女らが居なくなっても声を上げる大人がいないからこそ、最後の最後ここまで来て密かに声を上げている。

きっと八城だけは見届けるべきなのかもしれないが、それでも八城は一つ瞑目した後に、声を張り上げた

「全員立て!まだ俺は誰も座って良いなんて言ってない!それから俺はまだ喋っている途中だろ。俺が喋っている間は、誰一人、呻き声一つ出すんじゃない!」

低く低く、弱り切った彼ら彼女らを責め立てる視線と声音が全体へ伝播すれば少年少女の中に残ったのは八城への不信感と微かな怒りだけだ。

八城は全員が立ち上がったのを確認し、口元に張り付けていた笑みを解く。

「もう一度だけ言わせてくれ。これから正直な話をしよう」

最初の繰り返しだ。

そうだ、昔の八城がそうだった様に無力の子供は悪い大人に騙される。

「お前達はこの作戦で間違いなく死ぬ。そう、何の戦果を期待されることなく無駄に、だ……」

何千何万と、きっと平和だった頃から変わらない、普遍の共通事項。

誰かの為に犠牲になるのは何時だって無力な子供だ。

だが八城にとっての目の前の子供は、それだけの意味を持っていない。

命を張って教えられたのだ。

あの先達の背中はもう見えないけれど、確かにここに引き継がれている。

全員に聞こえる様に声を張れ、

誰もが黙る結果で示せ、

その為の最善をこの場でこの子供に提示出来ずに誰が『大人』を名乗れるものか。

きっと八城知る『大人』ならそう言うだろう。

そうだ、第一声は決まっている。

太々しく、大胆で、何時でもどうにかする自信に満ちた笑みで……


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