第224話 後顧6

アスファルト舗装が禿た道を歩き続けては、家を見失った迷い子のようにその足取りは重かった。

一度来た道を曲がり、更に曲がり、階段を上がっては下りを繰り返しても、狭い番街区内でその家は直ぐに八城の前に姿を現す。

知らぬ苗字の表札に、豪奢な造りの玄関口。

これで三度目となった夕刻の散歩にしては些か長過ぎるきらいがあるが、それでもこの帰路に着きたくない理由が八城にはあった。

微かに感じる人の気配は、間違いなく桜と紬、そして菫のものだろう。

八城はまたしても逃げるようにつま先を自宅とは逆へ向けたその時、直上の二階のベランダ部分から声が掛かった。

「八城くん……さっきフラフラ、家の前に来てなにをやっている?」

「なにもやってない。今から入るところだ」

ずっと見ていたのか、二階の出窓から身体を乗り出す紬の声に捕まり、八城はむざむざと豪奢な家に足を踏み入れた。

「お邪魔し……」ます、と言いかけた言葉を引っ込める。

誰にとっても自宅というのは特別なもので、たとえ今日から見も知らない家を自宅だと言われても、本質としてそう思えるかは別問題だ。

多分に洩れず、結局八城もそちら側の人間だったという事だろう。

もう何年も帰っていない自宅と見比べて、自身の立つこの場所が決して自身が思う自宅でないと認識していた。

「気にしていないつもりでも、なんだ……俺も以外としっかり覚えてるもんだな」

二階に居る女子三人に聞こえないよう八城は自嘲気味に口の中だけで呟いて、目的の人物の居るであろう二階へ上がり、その扉を開く。

出かけて行った時とはまた趣の違う成年向け雑誌を読み耽る三人を見て、何時もと変わらない三人の様子に微かな安堵が胸を満たす。

そして、だからこそ八城はこの安堵こそが煩わしくて仕方がなかった。

今現在、八城の考えている作戦は、ある意味で他人任せで、此処に居る三人に絶大な負担を強いる事になる。

何より、今まで八城自身が言っていた事をひっくり返す事にもなるだろう。

そして、八城が最も懸念する、何にも変え難い彼女たちが『普通』である事を手放させる事を強要しなければならない。

「……いや、これも俺の我が儘か」

「何が我が儘?」

八城の独り言を律儀に聞いた紬が、心配気に見上げて来て、八城は自身の考え事を口に出していた事にようやく気が付いた。

誤魔化すように八城は紬の頭をクシャリと乱暴に撫で付けて、三人の前に歩みでる。

「あ〜……」

いざ声を出す段階になって、八城は次の一言を用意し忘れていた。

目の前の三人が一様に小首を傾げ、何をしに前に出て来たのか?という視線が八城に突き刺さる。

「隊長?どうされたんですか?」

そう、この隊員達は八城にとって勿体ないほどに、普通だ。

切実に、実直に、ただ生きる為に自身に出来る手段を積み重ねてここまで来た。

他人を思いやり、時に無謀に時に涙を流してでも、血に濡れて地べたの汚泥に身を汚して長い道のりをここまで生きていた。

だからこそ、無理強いなど出来る筈もない。

こいつらの普通を汚していい権利は俺にはない。

「お前らは、これからも普通に生きていたいか?」

きっと最初の一歩になる。

八城が『鬼神薬』を初めて服用したときのように、一華と出会って奴らと戦い始めた時のように、一歩を踏み出せば、後は沼底に引きずり込まれるように状況に飲み込まれて行くだろう。

だから、八城は目の前の三人に選択を委ねるのだ。

「お前達は……その、まだ人間でいたいか?」

「その言葉の意味を計りかねる。八城くんは何が言いたい?」

「これからの作戦でお前達に絶大な負担を強いる事になる。そしてそれは多分お前達のこれからを壊す事にもなるかもしれない。紬、お前は少し前言ってたな……確か、全員でもう一度学校に通いたいって。その夢を捨ててでも前達は俺について来れるか?」

紬は八城の言葉に答えは決まっていると、まるで『そんな当たり前の事を聞いてくるな』と言いたげに不機嫌そうに眉根を寄せた。

「言った筈。子供を助けたいというのは、私と桜の我が儘。状況だけを言うのであれば、私達の我が儘に八城くんを付き合わせている。なら八城くんは私や桜に気を使う必要はない。それから一つ。私は夢を捨てない。私の夢に関わる全員を私は、私が生きる先へ連れて行く」

厚顔不遜であるにも関わらず、どこかやり遂げてしまいそうな自信すら感じさせる紬にこれ以上何を言う必要はないだろう。

八城は向こうに居る菫と桜へ視線を移す。

「桜と菫、お前達はどうだ?」

「紬さんと変わりませんよ。隊長が行くのなら私も行きます。だって隊長の居る所が私の経験上一番安全ですから」

「私は私の力で自分の意場所を作るなの、だから私に聞く必要はないなの」

鬱陶しそうに嫌がる菫を無理矢理に桜が抱きしめ、紬はそんな様子を横目に眺めつつ読み途中だった雑誌を誰の目を憚る事なく読み始める。

「そうか、そうだな。」

八城は一言目の言葉を見つけ出す。

気分が重いのは変わらない。

ただ彼女たちが望んでくれていると知るだけで、僅かばかり八城軒持ちは軽くなる。

「お前達に、一つ頼みがある」

言葉と在るが儘の結果を言葉にして紡げば単純で、結局負ければ死ぬだけだ。

だが、仮に勝ってしまった時……

その時、きっと彼女たちは八城と同じように呼ばれる事となる。

「頼む、俺と一緒に……」

今の今まで八城が一人で背負えなかった、その『名』を八城はずっと背に受け続けて来た。

そして、その名は決して光栄でもなければ、不可能を可能にする者の名前ではない。

八城の知る限りであるなら、その『名』はたった一人の弱い人間を死に至らしめる決定的な呪いの代名詞。

賛美と呼ぶものも居るだろう。

誰かはきっと恋い焦がれた。

そして多くの者は希望をその名に托す。

だから八城はこの名前が心底嫌いだった。

他を守ることを犠牲に、自身を守る事でそう呼ばれた八城は決してそう呼ばれてはいけない事を知っていた。

知っていてなお、その言葉を否定する事が出来ずに居た。

そして今、彼女達にその名を背負わせる。

最も八城が嫌い、仲間を失った為に付いた八城の代名詞。

「頼む、お前達は俺と一緒に、英雄に成ってくれ」

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