第216話 才能7

昼食には早い時間に紬、桜と菫の三人には留守番を言い渡し、八城は自宅とされている家を一人出る。

向かった先は1番街区の片隅にある元収容所を訓練場兼宿舎に改造した場所だった。

ただ、宿舎兼訓練場とはいうが、所詮名ばかりだと八城は思う。

何故ならその場に足を踏み入れた途端、この場所に嫌気が差していたからだ。

番街区居住区画から大きく離れた……

いや、もっと正確に言うのであれば追いやられたと言った方がしっくりくるこの場所には、約二〇〇名の子供が住み込んでいる。

少年たちに人権など必要ないと、布切れ一枚の隔たりが内と外を分ける境界線だ。

手前にある訓練場を歩くが、訓練に励む者はいない。

そもそも指揮を執る物がいない中でやるべき事を見つけられないのだろう。

疲れ切った身体を壁に預け、そこかしこに子供が座っているのがこの場所の全てだ。

八城が、静かに足を踏み入れれば、珍しい外からの来客に僅かな喧騒が周囲を満たし、濁った瞳が来客を歓迎ともつかない視線で出迎える。

89の英雄、クイーン討伐の功労者。

外からの見栄えの良い評価でしかないハリボテを、八城自身は口が裂けても言いたくはないが、収容されている二〇〇名の子供にとって、八城はこの場所で最も希望に近い場所に居る事は確かだ。

そんな居心地の悪い視線を一身に浴びながら八城は薄汚れた通路を歩き、一つの部屋の前に辿り着く。

部屋に置いていあった書き置きの番号と、目の前の部屋番を照らし合わせ、冷たさを感じさせる鉄扉を躊躇いなく開けば、そこには全身に虚無を宿した『浮舟桂花』が座っていた。

一際鼻をつくカビ臭さと、喉に絡み付く埃っぽさに思わず八城は顔を顰める。

「なんだ、この部屋……少しは掃除をさせた方がいい。ここまで不衛生だと気分も滅入るし、最悪病気になるぞ」

カビ臭さと湿気が室内を満たし、心無しか足取りすらも重く感じる。

ただこの部屋の雰囲気が悪いのは、なにも環境だけではないだろう。

弔いの場に立っているような桂花の表情と、時折扉の外から聞こえて来る言い合いをする子供のさざめきが、根本的な原因を作り出している。

桂花の前へ歩みでた八城へ、桂花は作り笑いを浮べて出迎える。

「いらしたんですね。ようこそ一番隊宿舎へ……とは言っても、ここでは碌なおもてなしもできませんが」

自宅に居た時とは打って変わり、薄い迷彩色の隊服に身を包んだ『浮舟桂花』の乾いた唇が、かろうじて言葉を紡ぎ出す。

「ここの隊員は、訓練をしないのか?」

「はい、丹桂からの命令ですから。それに犠牲になるなら、これ以上辛い思いをする必要もありません」

空の感情が剥き出しに、単調な桂花の言葉は残酷を過ぎて冷酷ですらあるのかもしれないが、彼女にその自覚はないのだろう。

だが、ここの子供達が死んだように壁に座り込んでいる理由の得心がいった。

つまりは、本当にやることがないのだろう。何をやって良いかすら分からない。隊長である浮舟桂花は何も指示を出さないのだから。

「……とにかく、掃除だ。こんな所にわんさか居るから気が滅入るんだ」

八城は締め切りになっていたカーテンを開けば昼のまだ高い光が、部屋の隅々を照らし出す。

一華が動き出すまであと一週間しかない。八城は焦る思考を記憶の隅に追いやって、小さな嘆息を漏らした。

「ここの宿舎に住んでる餓鬼を全員訓練場に集めろ。これが俺からお前への最初の命令だ」

八城の『命令』という言葉に、ゆっくりと椅子から立ち上がり「……了解しました」とだけ言葉を零し桂花は部屋を出て行った。

まだまだ、道のりは長そうだと八城は此処に来て何度目とも分からない蒼穹に輝く空を見上げて間もなくして、訓練場に集まったという報告と共に訓練場へ足を踏み入れる。

八城が壇上に立った訓練場で、その人数を見た感想はこの掘建て小屋にこれだけの人数が居たのかという、ここの住人への微かな怒りだった。

なるほど、人権などというものを取り去れば人の価値は豚まで落ちるとは良く言ったものだ。

そう、人が人たらしめる権利を剥奪された子供達、自身の命を自身の拠り所を他の誰かに委ねる事しか出来なかった敗残者の末路だ。

そしてそれは、八城とて変わらない。

No.を与えられ、指示を受けて戦場をゆく八城も、ここに並べて同列としても見分けはつかないだろう。

ただ少し抱える事情が違うだけだ。

古びた壇上に立ち、約二〇〇名の子供は八城の目下に並んでいる。

見た目の年齢通りなら、ここに集まった少年たちはいずれも思春期と反抗期の真っただ中だろう。

しかしながら目の前の少年たちは反抗の糸目も掴めぬまま、生きる気力を引き抜かれた哀れな群れと成り果て、ただ呆然と突然現れた八城を遠い瞳で見つめている。

「総員傾注せよ!」

微かにざわめいていた少年たちの声が、『浮舟桂花』の一言によって静まり返り、全ての視線がただ一点八城へと注がれる。

以外や以外だが、全員の視線が集まれば、そこそこの戦力に見えて来るから不思議な物だ。

「あ〜と……お前ら初めまして。東京中央遠征隊、No.八、東雲八城だ。これから浮舟桂花率い居る一番隊は……まぁ、あれだ。つまりお前らはこれから俺の指揮下に入って戦ってもらう事になる。そして、もうしばらくとないうちにクイーン討伐の任務が俺達に課せられる」

それぞれに声も上げる事もなくただ八城の声に耳を傾けている所を見れば、この中でその事実を知らない者などいないのだろう。

ともすれば、東京中央クイーン討伐を前にした7777番街区での壇上から見た落ち着き払ったよく知る彼らと姿だけは重なるが、此処に居る少年たちは本質が違う。

諦めている。

落ち着いているのではなく、身の危険に焦る事に諦めている。

そしてだからこそ、八城は此処に立っていた。

「だが、その前にだ。お前らが日々の清掃業務をちゃんとしないので、これからお前らには二〇〇人掛かりでこの宿舎全体を清掃してもらいます」

アルミの薄壁に囲まれた薄壁の内側の静まり返っていた会場は疑問を伴った喧騒に塗り変わるが、八城はそれらを顧みることはしない。

あくまで気を使わず、この哀れな子供へいつも通りに振る舞うのだ。

「お前らは、今日の夕方までに各自の部屋と部屋の前の通路の清掃を終わらせるように!終わらない奴は俺と一緒に夜の食料調達任務に出るからな!それから、桂花!お前はこいつら全員の監視をしろ、しっかりやってない奴が居たら逐一俺に報告すること!以上、総員作業に取りかかれ!」


八城のあくまで高圧的な物言いに、少年たちは似たり寄ったりの反応を見せた。

それは無気力に踞っていた少年たちからすれば小さな変化なのかもしれないが、八城にとっては大きな変化だ。

「お前ら!か!い!さ!ん!早く行け!」

八城の最後の念押しの一言で、少年たちはそれぞれの部屋の清掃のために散っていく。

数分後、広訓練場に残されたのは疑問符を浮べる桂花と、八城の二人だけだ。

「……八城さん、これに何の意味があるんですか?どうせあと数日しか生き長らえられないここの子供に、雑用なんて今更……」

「そうか?たとえ明日死ぬ事が決まっていても、俺は無意味だとは思わないがな」

「ですが、あの子達はもう……」

浮舟桂花の言いたいとする事は分かる。

これから死ぬ人間に時間を要する何かを強要するのは余りにも酷な話だ。

「だからこそだ。アイツらは間違いなく今のままなら死ぬだろう。だが、死ぬからって無意味に壁に寄りかかって時間を過ごすよりは、掃除でもしていた方が余程気が紛れるだろ。死ぬまでの時間を死ぬ事考えて生きていたら誰だって気がおかしくなる」

「ですが、最後の時間までは静かに過ごす権利が彼らにはある筈です」

次の瞬間に浮べた八城の微笑は桂花のその言葉を間違いなく嘲笑っていた。

「……何が、おかしいんですか」

睨む桂花に、八城は笑いの零れる口元を押さえた。

「いや、笑って悪いな。だが、やりたい事も分からない子供にやりたい事をして過ごすなんて出来る訳がない。それに、アイツらに『人としての権利』なんてないだろ?そもそもここの住人がアイツらの人として権利を奪ったんだ。今更俺達大人が人間面して接する方が余っ程アイツらにとっては気が散るんじゃないのか?」

一人一人の視線の先に八城がいたが、少年たちの捉えた『東雲八城』という人物に抱いた感想は、きっと何も無かったのだろう。

恨みでも、憎しみでも、諦めでも、敵対でもない。少年たちの浮べたのは正しく『無』だった。

『またか』と。八城を捉えた少年たちの瞳はそう訴えていた。

何人の大人があの少年たちの前に立ったのか、八城は知らない。

だがあの類いの瞳を八城は知っている。

あの瞳は、もう、死に焦らない空虚だ。

隣人が居なくなる事で、自身の死を否応無しに自覚する。

一日目は、自身にも訪れるかもしれないという恐怖だったかもしれない。

二日目は、分たれた関係に悲しむだろう。

だが一週間……

一ヶ月……

半年と続けば、もう何も感じない。

水分補給に水を飲むが如く、生活の一部に『死』が滑り込めば、死に何も感じなくなるのは必然だ。

人数が減り、友人が減り、会話が減り……

生きる為に必要だった形状のない見えないなにかが減っていく。

そうなれば最後、麻痺した痛みが死を呼び込む。

じっくりと下火の釜の中で燻されていくように、熱さを感じる事なく最後の瞬間を刈り取られる。

恐怖を呼び覚ますとすれば、きっと『奴ら』と対峙したときだけだ。

数々の肉親と親友を奪い去った人の形を模した怪物のパレードに出くわして、もう一度麻痺した感覚が呼び覚まされる。

だが、恐怖を呼び覚まされれば、普通では居られない。

それは、女郎に出くわしたあの少年たちが実証していた。

「アイツらは今、この西武中央の中で人として扱われていないし、アイツら自身がそれを当然と受け入れ始めてる。だから俺は人じゃないアイツらの名前は聞かない。だけどな……」

何時かの紬を思い出す。兄を失ったあの頃の紬は、あの少年たちと同じ瞳をしていた。

だからこそ、紬を一人にしてはいけないと八城はそう思って八番隊へ入隊させたのだ。

そしてそれはきっと正解だった。

今でこそ大分歪んでしまった紬だが、あの頃の紬は紬自身を人間として扱っていなかった。

少しずつ、深い山の雪が融けていくように人間性を取り戻したのはあの頃の八番隊の人間が居たからこそだ。

自身が人と知っている者たちが、人としての在り方を見せ続けたからこそ、紬はもう一度人に立ち返る事ができた。

「だからさ、お前は人間でいてくれ浮舟桂花。人間である俺やお前だけが人間をやめざるを得なかったアイツらを人に戻してやれる」

中央という組織が出来るまでの間、似た様な出来事が数多くあった。

何も出来ない役立たずは命を張れ、さもなくば生きている意味はない、そんな風潮は絶えず存在する。

多くの年齢層の人間がより集まる中で『役立たず』の部類に当てはまるのは子供だけなのだろう。

何も出来ない子供は役立たずだと罵られ、決めつけられて戦場へ押し出される子供が生きる術など持ち合わせる事もなく散々に散っていった。

同じ事の繰り返しで、なにより人の犠牲で安心出来る神経を持ち合わせているのはきっと八城も変わらない。

「俺も、お前もアイツらも、間違いなく周りの人間と変わらない人の筈なんだけどな……悲しい事に住人の誰もアイツらが人としてある事を認めちゃくれないんだ」

桂花自身にも憶えのある実感の籠った呟きは、桂花の思考と鼓動を大きく乱す。

「だから、お前が見ててやってくれ……。アイツらの事、頼んだぞ」

諦観にも似た冷たい吐息を吐き出して、八城は振り返る事なく少年たちが出て行った扉へと踵を返したのだった。


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