第215話 才能6

翌朝、空気の悪い中屋内に居る全員で朝食を済ませ用事があると言い残し、テルが出ていった後に八城は二階の二人の部屋を訪れていた。

用件は無論、昨日の話し合いの折り合いをつける為に訪れた訳だが……

桜は子供っぽくベッドの向こうで布団を被って踞り、紬はこの部屋に元々あったちょっと……

いや、かなりエッチな本を、菫と共に興味深く読み込んでいた。

「お前らさ、部屋に人が入ってきたらちょっとはこっち見ても罰は当たらないと思うんだけど、その辺りどう思ってるの?」

部屋に入ろうと、部屋の先住の三名は此方に一瞥すら返す事なくエロ本を読み耽っていた。

「人の部屋に入るときはノックをするのは常識。常識を守らない人間と話す事はない」

紬は、菫の教育にすこぶる悪いアダルト雑誌を無表情のまま捲りつつ、八城へ厭味を言って来る。

「いや待て、俺はノックしただろ。お前らが返事を寄越さなかったから、仕方なく入ったんだ」

「ノックをするというのは、相手の返事を待って初めてノックをした事になる。返事ない部屋に入るのは明らかなルール違反。これで仮に桜がシングルスの情事に耽っていたら八城くんは大変な事になっていた」

何処から仕入れた知識だと思ったが、広げている雑誌を見て今仕入れの最中だったのだろう。

「そりゃあ、その時は寂しいシングルスが楽しいダブルスになるだけだから問題にならないだろ」

八城の言葉に丸まった奥の布団がピクリと跳ねた気がしたが、きっと見間違いだろう。

「了解した。なら私は今度から八城くんが部屋に入って来る事が分かったら情事に励む事にする」

「相手にするかは別だからな、その辺はよく考えろ」

「桜は相手にして私を相手にしない理由を詳しく、返答次第では敵に回る事もやぶさかじゃない」

見ていたエロ本を菫に押し付け、紬はゆったりと腰の拳銃に手を伸ばす。

八城は発砲されては堪らないと、紬をすかさずベッドへと押さえ付けた。

「お前の頭のネジはユルユルすぎるだろ!何で一々物騒な物を持ち出さない話ができないの!」

「私の頭はユルユルかもしれない。でも、こっちは未使用だから緩くない自信がある」

自身に満ちあふれた発言の低俗加減に、八城は菫の読んでいる件の本を睨みつけた。

多分……いや、間違いなくこの本が原因だ。

今まさに神聖な知識の幅を広げている菫の本を八城は無言のまま奪い取り、開いている窓へと思いきり投げ捨てる。

「こんな本で得る知識なんて碌なもんじゃないんだよ。そもそもあの本、どちらかと言えば男が好んで読むもんだろうが!というか菫は教育に悪いからこんなもん読むな!」

宙を舞うエロ本を名残惜しそうに見つめた菫は、八城を屹度と睨みつけた。

「今は男と女で判別するのはおかしいの!男でもスカートを履く自由があるし、女でも男性向けのエロ本を読む自由があるなの!」

「あぁ!あるかもな!でも、お前まだ子供だろうが!なんで赤い両手でバッテンされてる大人向けの絵本を女子二人で平気で読んでるんだよ!」

「私の実年齢は分からないなの!もしかしたら私は八城さんより年上かもしれないなの!」

「知るか!とにかくお前は見た目が幼いんだから!お前が読んでる所をマリアにでも見つかったら俺が怒られるんだよ!」

紬はまだしも、菫が読破するには内容に些か偏りがあり過ぎる。

それに、菫の容姿の幼さと反比例している過激な内容は、年相応の八城の視線が釘付けとなる艶かしい男のロマン溢れる品となっていた。

八城としても自身の女性としての理想を押し付ける訳ではないが、ガチガチのエロ本を隠すでもなく、こんな昼間から女子同士で読み交わす胆力を持って欲しいとは思わない。

「紬!お前もお前だ!ああいう本を読むなとは言わないから、頼むから菫の目の届かない場所で読め!こいつが時雨みたいなったらどうするつもりだ!」

「それはそれ。私としては菫の進化の可能性の範囲を私達の価値観だけで決めるのは良くない。菫にはこの世界を自由に生きて欲しい」

紬のキメ顔が絶妙に腹立たしいし菫も紬の発言に同調するように首肯を見せて来る。

「お前、全然良い事言ってないからな!お前のそれは時雨以上にデリカシーと常識を破壊する化け物を生み出す過程の話をしてるだけだから!って言うか!それより桜はなにやってんだよ!好い加減布団から出て来い!」

「だっ、……だって、お二人がずっとその……変な本を……」

不貞腐れて布団を被っているのかとも思ったが違うらしい。

布団の端から出ている耳たぶが赤く染まっている所を見れば、桜はこの部屋で一人だけ二人の思春期女子のトーク力についていけなかっただけのようだ。

「良いから布団から出て来い!お前達に重要な話があるんだよ!」

八城が桜の被る布団を無理矢理に引っ剝がしベッドの上に座らせる。

放り投げた布団から、放置され微かに埃っぽい空気が部屋を満たし、紬と菫が八城へ非難の視線を飛ばして来る。

布団を引っ剝がされた桜も、視線が散漫的に部屋へと散っている所を見れば、昨日の不満は消えていないらしい。

「それで、何をしにいらしたんですか?私は隊長と話しをしたいことなんてないんですが」

「そりゃあ、俺もお前達と話をしたいことなんてないけどな、だが状況が変わったからにはお前達に伝える必要がある」

八城の緊張感を伴う言葉に、紬と桜の二人の表情は途端に険しいものになった。

「八城くん。状況が変わったとは、どういう意味?」

「そのままの意味だ。状況が変わった。だから端的に分かり易く言えば、俺はもう一度クイーンを倒そうと思う」

「じゃあ!隊長はやっぱり子供を助けるんですね!」

紬の口角が上がり、桜の表情が華やいだが、その言葉に八城は小さく首を振った。

「それは別問題だ。だが西武中央の言いなりのまま二〇〇人の子供を犠牲にさせるつもりもない。無論子供は生き残らせる方向で動くつもりだが、今回俺達は二〇〇名の子供を守れない」

「じゃあどうするつもりなんですか?」

返された問いに、八城は僅かに逡巡し口を開いた。

「徴兵された子供二〇〇名には番街区を守る為に、囮となって戦って貰う」

驚愕に見開かれた桜は、きっと更に八城を軽蔑しているのだろう。

だが綺麗ごとだけでクイーンを討伐できるわけでもない事も対峙した桜は理解している筈だ。

「そうしなければこの子供に居場所はない。そして俺達だけでクイーンを討伐するのは不可能だ。だから二〇〇人の子供には囮になってもらう他ない」

数だけで言えば三〇〇〇対二〇〇の絶対不利な状況下で、子供を守りながらクイーンを倒す算段など立つ筈もない。

だが、囮という役割りの危険性をこの場で理解していない者もいない。

「……囮ってことは、あの九十六番隊や十七番隊の様になる可能性があるってことですよね、でもそれって……」

「そうだ、俺達は子供を後方で囮に使って最速で群れの中央部へ進軍しクイーンを討伐する。使える人材は全て、クイーンに辿り着くまでの一点突破に集中させる」

歌姫攻城作戦、その作戦でフェイズ1、2、3までを引き込んだ百番隊と九十六番隊混成チームと十七番隊の隊長と隊員は作戦終了間際その殆どが感染していた。

あと桜の行動が数分遅ければ、その全員が死んでいてもおかしくない状況まで追い込まれていたのだ。

東京中央の精鋭と呼ばれても遜色無い人材たちですら、窮地に追い込まれるクイーン討伐という偉業は、訓練もされていない子供達にとっては自殺と遜色無い意味を含んでいる事は間違いない。

つまり、子供を戦場で戦わせるという事は『死ぬ』という意味に他ならない。

「八城くん。仮に私達だけクイーンの討伐を成功させても、後方ではきっと誰も生き残れない。そもそも訓練を受けていない子供が囮という役割を十全に果たせるかも疑問。そんな子供に背中を預けるのは危険極まりない。この作戦は再考すべき」

「かもしれない。だが統率者が居れば、子供だろうとこの立地を生かせば囮としては充分に機能を果たせる筈だ」

「……?そんな統率者が、いるの?」

「今はいない。だが、一人だけ心当たりがある」

口調を誤魔化した八城だったが、付き合いの長い紬はその考えを直ぐさま看破した。

「浮舟桂花の事を言っているならやめた方が賢明。彼女は壊れている。あてにするのは危険」

「壊れたら直せば良いいんじゃないのか?」

「直せない故障もある。それが血の通った兄妹の喪失ならなおさら」

意味深にも紬は言葉の隅に微かな哀愁を漂わせる。

だがなにより、兄妹の喪失?知っている限りでは浮舟兄妹は全員が存命している筈だ。

「それは、どういう意味だ?」

「テルから聞いていないの?これから八城くんに討伐依頼の来るクイーンは浮舟桂花の姉『浮舟茨』四兄弟の長女が素体となったクイーン」

紬の言葉を遅まきに理解した八城は、自身の喉の奥が急激に干上がっていくのを実感していた。

「……兄妹が四人?三人じゃなくてか?」

乞うように尋ねた八城の言葉に紬は指を四本立てた。

「浮舟の兄妹はテルから四人だと聞いた。数年前。東京中央が成し遂げたクイーン討伐に感化された西武中央は精鋭を集めてクイーンの討伐を決行してそこで一人失った。私もテルから聞いたからそれ以上は知らない。けど詳しく知りたいなら浮舟本人から聞いた方が早い」

「だが、それなら尚更『浮舟桂花』にとってそのクイーンは倒すべきなんじゃないのか?」

「それは違う。浮舟桂花は自身の隊員を死なせ、肉親を死なせ、今、無意味にも子供を死なせようとしている。そして自分に何も出来ない事を理解している。理解して、諦めてしまった。責任も後悔も目標も放棄した。そしてこの世界ではそれらを捨てた人間から死んでいく。だから私はあの女は使い物にならないと言っている」

思い返せばそうだ……彼女はずっと抱えていた。

随分と軽い身体を引きずり、死者の弔いを引きずりながら、死を選ぶ一歩手前まですり減らしながらもかろうじて生き長らえてきた。

それはまだ未来のある子供の命という責任から生まれる良心の呵責が彼女をどうにか戦場から帰還させていたのだ。

そして、彼女の『かろうじて』を奪ったのは誰でもない

「……そうか、これも俺の責任だな」

「捨てたのはむこう、責任問うならあの女にこそ責任はある」

ベッドのスプリンクが小さく跳ねて、紬はベットから飛び降りる。

「でも私は少し、あの女の気持ちが分かる。それに八城くんが必要だと思うなら、あの女の力はきっとこの作戦に必要」

新築同然の木目のはっきりしたフローリングに吹き抜けの天井から注ぐ薄い光の筋が廊下へと映り、紬はそれに沿って部屋を出て行ってしまった。

だがその背中に八城は自身ヘの責任を確認する。

やるべき事は決まった、後は思考と足を動かすだけだ。


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