第209話 林外8

「遅かったなの、待ちくたびれたなの……桜」

「はい、お待たせしました菫さん。それから……」

言葉を一区切り、無言のままに桜は無言のまま八城の前に歩み出た。

「ちょっと近くない?もう少し離れてもいいんじゃない?」

「……隊長。私達が言いたい事、わざわざ言葉で言わなくても分かりますよね?」

見下ろす桜の真冬の風の如く冷たい視線から逃げる様にソファーに座る八城は真向かいに居る桂花へ助けを求めるが、桜は目敏くその視線の先に居る桂花を睨みつける。

「あっ、そうですよね〜勘違いさせちゃ不味いですよね!なんせ今の隊長には最愛の奥さんがいらっしゃいますからね!」

桜の忌々しげな言葉に、紅茶を啜っていた桂花が吹き出し恥じ入る様に顔を朱に染めあげる。

だが、桂花のその反応が、更に桜の反感を掻き立てた。

「隊長!これは一体どういう事でしょうか!現状の詳細な説明をお願いしたいのですが!」

詰め寄る桜の後ろに続き、紬も土足のまま家に上がり込こむ。

「桜、今の反応で私は全てが繋がった。こいつら合体した。もう手遅れ」

銃器に手を掛けようとする紬に、テルはすかさず持っていた小太刀を紬へ押し付けた。

「あ!駄目っすよ!ここは一応番街区内なんで、発砲したら人も奴らも集まって来ちゃいますから!やるなら音無しの方でやってほしいっす!」

紬が九ミリ口径の拳銃を構えそうになるすんでの所でテルがその間に割り込んで来た。

「ムッ、了解した。なら音のしない方で片を付ける」

「お前はこの一瞬で何が分かったんだよ……というかなんでいきなりそんなに物騒なわけ?人の家の中で刃物出すのやめてくれない?」

「料理をするのに刃物は不可欠、特に筋肉質な肉は……斬りづらい」

「料理をリビングでする奴を俺は知らないし!そんなに料理がしたいならキッチンでやってくれ!というかそもそも!何でお前ら此処に来てんだよ!マリアと時雨はどうした!」

「裏切り者に教える情報はない。それより、最後に言い残した事は?」

「待て待て待て!なんで俺が裏切り者なんだよ!ちょっと桜!邪魔だから前に立つなって!」

覆い被さらんばかりに身体を寄せる桜を押しのけようとするが、桜も桜で頑に動こうとはしない。

「紬さん!今私が先に聞いてるんですから!ちょっと黙ってて下さい!」

「ムッ、それは此方のセリフ。桜は無意味な質問こそ時間の無駄。八城くんの離反は明らか。無駄口を叩かせる前に即刻首を刎ねる」

テルから受け取った抜身の小太刀を両手に、また一歩八城の座るソファーへ歩みを進めていくその時、紬の前に桂花が立ち塞がった。

「ちょっと待って下さい!悪いのは私なんです!八城さんを無理矢理連れて来たのも……その……私とけっ……結婚をする事になったのも!全部私のせいなんです!八城さんは悪くありません」

睨みを利かせる紬に対し、桂花は真っ向から紬へと向かって行くが、それはむしろ火に油を注ぐ行為だ。

現に紬は桂花が言葉を発する度に苛立ちを小太刀の切っ先に乗せ風を切る。

「……そんな事は知っている。泥棒猫は勿論報いを受けさせる。でも八城くんが先、お前は地獄への整理券を取って出直して来て」

あくまで第一目標を八城とばかりに紬の視線は小揺るぎすることもなく、八城ただ一人に視点を定めていたのだが、またしても立ちはだかる様にして桂花は紬の前に立った。

「お願いします!話を聞いて下さい!」

「私は同じ事を二度も言いたくない。私は八城くんに用がある。泥棒猫に話はない。切れ味が悪くなるからそこを退いて」

何やら不穏な空気の漂う中、テルは何故か横に居る菫を猫っ可愛がりをしつつ、猫の手も借りたいこの状況で、今にもキャットファイトが始まりそうな予感をヒシヒシと感じていた八城は、丸まっていた猫背をただす。

「ちょっと待て!これには色々事情があるんだって!」

「結婚は結婚、どんな事情があってもその事実は変わらない。そして今、八城くんが7777番街区からそそくさと出て行った事、全てに得心がいった。問答無用。大人しくしていれば痛いのは一瞬」

何時もは無表情の紬が笑みを浮かべる姿は、最早狂気を宿している様にしか見えない。

「お前の妄想力が思春期女子を遥かに上回ってるのは分かったから!何をするにしてもとりあえず俺の話を聞いてからにしてくれ!それでお前らが気に喰わないなら俺を煮るなり焼くなりすればいいだろ!」

八城は嫌がる菫と戯れているテルにお前も何か言えと視線だけで合図を送ると、菫を名残惜しむ様に、テルは二人へと向き直る。

「そうっすね。情報屋としても八城さんの話は詳しく聞きたいっすし、何よりお二人は此処に来た目的をお忘れなんじゃないんっすか?私達は八城さんの結婚騒動を探るんじゃなくて、あくまで柏木さんの指示で此処に来てるんっすよ?」

言い切ったテルの言葉に、若干の冷静を取り戻した二人だが、今度は八城が若干の焦りを見せ始めた。

「え?なにそれ?俺も初耳なんだけど?お前ら柏木の指示で来たの?」

「そうっすよ。私と紬さんそして桜さんは柏木議長の指示の元、正規の手続きを踏んで西武中央へ遠征して来ましたっす。それなのに、この二人と来たら八城さんの結婚式を見てからずっとこんな調子なんっすよ〜私じゃどうにも手が付けられなくてこうして直接お会いしにきたんっすよ」

ヤレヤレと言いたげに肩を竦めるテルに、八城は自らの立場に焦りを感じ始めていた。

「ちょっと待った!正規の手続き?柏木の指示?お前たちこの西武中央に何しに来たんだ?」

嫌な予感漂う単語のオンパレードに八城はテルに問いかけるが、テルは快活に笑い顔を見せて来た。

「それは八番には言えないっすよ〜だってねぇ、監禁状態で困っているならともかく、マイホームまで用意されて結婚しちゃってるんすもん。それもゴリゴリの西武中央中核の遠征隊一番隊のNo.一と結婚すよ?そんなの幾ら東京中央遠征隊の八番だろうと内部事情で迂闊な事は言えないっすよ」

あくまでふざけた口調を崩さないテルではあるが、それはハッキリとした区別だ。

情報屋としての甘さを見せない姿こそ、柏木が信頼を置いている一個人としての『テル』なのだろう。

だが今はそれが何とも八城を歯がゆくさせる。

「お前の秘密主義な所、本当に良さんにそっくりだな」

「その言葉は私の中で言われて嬉しい言葉ベスト3には入るっすね」

テルと自らを定義するこの少女は、何処をとっても雨竜良にそっくりなのだ。

外見や所作ではない、もっと深い目には見えない部分でテルは雨竜良を引き継いでいる。

秘密主義にして平和主義

ものぐさにして緻密

放っておいても、彼女は人へ害を為す行動を取る人間ではないという事だけは信頼が置ける、そんな人間だ。

だからこそ八城は、彼女へ秘密の言及をしないし、する必要もない。

「じゃあ八番。時間もないんで、とりあえずお聞かせ願えますっすか?私達がここに到着するまでの間に、西武中央で何があったのかを」

紬と桜の二人も、今は神妙に黙り込み八城が喋る次の言葉を待っている。

八城は、一度俯いたままの桂花を確認した後に、諦めた様に口を開いた。

それは暗くどうしようもない現実で、誰もがピクリとも笑えないつまらない話でしかない。

そして間違いなく、これから起こりうる子供達の話だ。

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