第210話 才能1


住人の期待は限界に達していた。

東京中央遠征隊No.八である『東雲八城』

西武中央遠征隊No.一である『浮舟桂花』

両名の結婚を祝福する住人の様子は異常な光景だった。

歓声と共に沸き立つ無数の期待の眼差しが、中央を通る八城と桂花を見つめていた。

二人の婚姻を素直に祝福している人間などあの住人の中には居ない。

住人が期待する事柄は一つ『両隊によるクイーンの討伐』ただそれだけを求めた期待という悪魔じみた好意の塊だ。

そして、その塊を打ち砕く為の子供二〇〇名の犠牲が、今作戦の中核を担っている。

八城は自身の知る限りを喋り、訪れたのは僅かな沈黙だった。

「……それで、隊長はどうするつもりなんですか?」

束の間の静寂に続いたのは、桜のそんな言葉だった。

冷えきった無音のリビングの中で桜は唯一八城へ期待を寄せる。

「隊長は、その子供達を助けるんですよね?」

探る様な、答えの決まっている問いの答えを確かめる様な視線が桜から八城へ続くが、八城はその言葉を否定する様に小さく頭を振った。

「今の俺には手立てがないんだ。訓練された人員も方法も、歌姫もこの作戦には居ない。おまけにクイーン討伐の要の三シリーズも西武中央では使えない。誰がどう考えてもこの作戦は成功しない」

「なら隊長は、この子供二百名を犠牲にしても良いって言うんですか!」

「良い訳がないだろ!人が!子供が!こんな風に消費されていい訳がないんだよ!」

机に乗り出した桜に対して八城も苛立ちを露わに立ち上がるがそんな八城の言葉にも納得のいかない桜はそれで食い下がる事はなかった。

「なら私も隊長のお手伝いします!それに7777番街区に居る遠征隊だって今から呼び寄せれば間に合う筈です!」

桜の言う事はある意味で正しく、ある意味で間違っている。

「それは無理だ。東京中央はこの一件に介入出来ない」

西武中央と東京中央、そして横須賀中央という区切りが出来た時からずっと間違い続けて来た結果だ。

この激動の四年を戦場の中で生き残った人材は何を差し置いても確保しなければならない資源だ。

それはある意味で武装や食料より重視される事のある優先順位に属する。

そして前回の作戦において、作戦に従事した人員の価値は大きく跳ね上がっている。

それはある意味西武中央が今最も求めている肩書きを持った人員の集まりでもあるのかもしれない。

だが、西武中央が『クイーン討伐』という結果をどれだけ焦がれたとて、その実現は不可能だった。

だが東京中央ではそれを為した人員が……英雄と呼ばれるべき人間が一人も欠ける事なく存命している。

東京中央がその人員を無益な西武中央へ貸し出す事は決してないだろう。

東京中央が許したのは、たった一人。

こと『東雲八城』程度であれば目を瞑る事も出来るだろうが、隊の単位でのクイーン討伐戦に東京中央が関わる事は絶対に有り得ない。

「俺達は曲がりなりにもクイーンを討伐した立役者だ、その俺たちが東京中央の為ならまだしも、西武中央の為に人員を割く事は柏木が絶対に許さない。そして何より東京中央の民衆もそれを許さないだろうな」

「なら隊長の三シリーズだけでも取りに戻りましょうよ!あの刀さえあればまだ勝機はありますよ!」

「厳密に言えば三シリーズは俺のじゃない。アレの所有者は元々俺じゃないからな。俺が『雪』を東京中央の外へ持ち出す事は許可されてないんだ」

「でも!そんな事を言ってる場合じゃないですよ!子供命が掛かってるんですよ!」

「だが!俺達がそれをすれば今度は西武中央に違う火種を作る事になる!三シリーズは三本しかないんだぞ!その力を誇示して目の前の子供を助けられたとしても!今度はその助けた子供が苦しむ事になる!それに、それをやってしまったら俺は規則を意に介さない一華と同類になるぞ……」

気に喰わなければ人をも躊躇なく殺すのが『野火止一華』という女の本質だ。

だが、人を生かす為の法がある東京中央の中で東雲八城が東京中央の法を犯せば、その行いが遠からず人を殺す事となる。

直接手を下す違いはあれど、本質的な結果は同じ事になる。

「俺は東京中央であるところの『柏木』を裏切る事は出来ない。それで子供二〇〇名の命を無駄に散らせる事になっても、俺たちは遠征隊として東京中央を最優先に考えるべきだ」

あくまで遠征隊のNo.八は東京中央から与えられた役割だ。

『雪』はその役割に与えられた唯一の武器でもある。

だが、現在の八城はその役割から完全に逸脱していると言えた。

その証拠に柏木は唯一のお墨付きを与えている情報屋のテルをこの場に寄越して来たという訳だ。

紬もその事を良く理解しているのだろう、テルを一瞥した後に手に持っていた小太刀を鞘ヘと収める。

「……了解した。私は八城くんの指示に従う」

何時もの無表情を張り付かせた紬の言葉に、桜は表情に険しさを募らせた。

「なんでですか!紬さんだって隊長に昔助けられたんじゃないんですか?!その紬さんが子供達を諦めるって言うんですか!」

「分かっている。だけど、いくら八城くんでも、誰も彼もを助けられる訳じゃない。それもクイーンの討伐にもなれば、話は別。……私も、あの戦場で死にかけた」

紬が思い返すのは、フェイズ4『ピクシー』に単身挑み、どうにもならない状況の中で『九音』からの一撃で命からがら生き延びた事実だ。

「時雨も、桜も、八城くんでさえ、あの戦場で一歩間違えれば死んでいてもおかしくなった。みんなあの場所で終わっていても不思議じゃない……むしろ生き残った事が奇跡に近い。それなのにこの戦いには足りない物が多過ぎる。桜の奇跡が起こるべくして起こるなら、この戦場で奇跡は起こらない。だから八城くんの考え方は間違っていない」

堪える紬の言葉に、桜は奥歯を食いしばり八城を見た。

「ここで私達がこの子供達の事を諦めたら!それこそ終わってしまいます!お願いします隊長!東京中央が動けないなら!此処に居る私達が子供達を何とかする手立てを考えないといけないんじゃないんですか!」

「だから!……だから、私が八城くんにこの子供達を助けて欲しいと思うのは、身勝手な我が儘になる……。自分が出来ない事を人に求める我が儘は、言ってはいけない」

それは余りにも当たり前なわきまえだと言えた。

『我が儘を言ってはいけない』それが誰かの命を脅かす事になるのなら尚更だろう。

八城には八城の、紬には紬の……

そしてなにより桜には桜の実力と、可能の範囲がある。

その範囲から逸脱すれば、身を危険に晒すのは我が儘を聞いた当人だ。

「でも、そんなの……私は!この子供達の前で私は言えません!」

紬と同い年から年下しか居ない計二〇〇の名簿が散乱するテーブルの上に、桜はどうしようもない現実を見つめていた。

「この子供達の未来を作ったのは、俺達にも原因の一端があるんだ。俺達はクイーンを討伐した。そのせいで此処に居る『浮舟桂花』も俺達と同じ戦果を遠征隊として住人から求められている」

「だからって!なんで子供が犠牲にならないといけないんですか!こんなの誰がどう考えたっておかしいですよ!それに、住人が不満を打つけるならそれこそ私たちに向かうべきなんじゃないんですか!」

「住人に不満はないんだよ。むしろ逆だ、住人は西武中央に期待している。期待して……期待した結果、叶わない期待が不満になってる。だから西武中央はこの子供を使って、もう一度住人の期待を徹底的に潰さなきゃいけないんだ」

「でもこんなの正しくないって!隊長だって分かってる筈です!お願いします!こんな間違ってる事はやめさせて下さい!」

桜の懇願聞いてなお、八城は痛々しげに視線を逸らす。

「そうだな、これは間違いなくおかしいし間違っている。だが、遠征隊の地獄の様な四年を積み上げた精鋭を失うぐらいなら、まだ何も知らない子供を失った方が賢明な判断ではある。そして、それ以上の策を俺達は提示出来ていないんだ」

奥歯に苦さを噛み潰し、仕方がないと八城は自身に言い聞かせるが桜はそれでも首を横に振った。

「隊長は雨竜さんの言葉を忘れてしまったんですか!」

その一言が引き金だった。

八城の中で押さえていた激情が、桜の胸ぐらを掴み上げた。

「忘れられる筈がないだろうが!」

この話を聞いて何度八城は感情を抑えただろうか?

一度や二度か?

いや、もっとだ。

ある者は戦い傷付き、またある者は八城の目と鼻の先で息絶えた。

西武中央という括りで八城が見たばかりに、子供を何十人と無駄死にさせた。

助けられた筈の目の前で、助けられない一瞬の出来事だった。

この四年で見慣れた、最後の八城を見る瞳が今も八城の瞳の奥に焼き付いている。

「これを見ろ!この子供二〇〇人!道理はなくとも、現実がそうなんだよ!犠牲は少ない方が良い!誰だってそうする!そして、その少ない犠牲に含まれるこの二〇〇人に、誰も未来を与えてやれなかった結果がこれだ!俺達がクイーンを倒したばっかりに!今度はここで人が死ぬ!」

驚き半分、恐怖半分と言った桜の反応だが、それでも次の瞬間には八城に食って掛かる。

「なら!もう良いです!私が一人でどうにかしますから!この手を離してください!」

まるで子供の喧嘩の様に暴れる桜だが、八城は桜を一人で行かせるつもりは毛頭ない。

八城は桜からテルへ視線を移す。

「テル、俺のシングルNo.は剥奪されているのか?」

そのたった一言で八城の問いの意図に気付いたテルは、嫌そうに一つ桜を見る。

「されてないっすよ。次いでに言うなら八番隊としての指揮権も取られていないっす。なので今の八番は隊長としての強制力を持った命令を桜さんに下せる立場っすよ」

戯ける様に言ってみせるテルに八城は次いで紬を見る。

「なら命令だ。この家で別名あるまで紬と共に待機しろ。紬は桜が別行動を起こさない様に見張ってろ。反抗するようなら、ある程度の教育をしてやれ」

八城はもう桜を見ていない。

ただ淡々と機械的に一つとして感情を灯さない表情で命令を下していく。

そして紬の『了解』という返事を聞き届け、八城は桜を突き放した。

「紬、桜は上の部屋を使え。腹が減ってるならキッチンの上の棚に食料が入ってるから好きに食え」

必要事項を言った八城はソファーに座り直し、桜はその様子の八城にただただ怒りが湧き上がる。

「……隊長は本当に、子供を見殺しにするんですね……」

桜の絞り出す声にすら八城は敢えて一つとして反応を示さない。

もう話をする事はないと態度で示していた。

悔しさより、尊敬していた人物に対する失望が大きいが、誰かがどうにかしなければいけない。ただそれだけを胸に秘め、玄関へつま先を向けた所で、紬が目の前に立ちはだかった。

「何処へ行くつもりか知らないけど、大人しくしておく事を勧める」

「……隊長の命令だからですか?」

「それもある。でもそれだけじゃない。とにかく痛い目に遭いたくないなら、そこから一歩でも前に出る事はお勧め出来ない」

「……失望しました。紬さんも隊長も……最低です」

「最低……多分その言葉は間違ってない。でもそれは桜も変わらない。きっと桜も何も出来ない。クイーンを倒す事も、二〇〇人の子供を助ける事も出来ない」

「でも!やろうともしない人よりマシです!」

「それは違う。出来ない事をやろうとして結局出来ないのなら、むしろそっちの方が悪い。潔く諦める方が良い事もある」

「……ハハ、結局分かり合えませんし、時間の無駄ですね。紬さんそこを退いて下さい!」

「出来ない。これは隊長からの命令。隊長からの命令を隊員は聞く義務がある。命令に背くなら桜は一華と同類になる。だから退かない」

「助けられるのなら、一華さんと同類……それもいいかもですね」

確固たる決意は揺らがず、さりとて紬の意思も揺らぐものではない。

「力不足だと言っている。私にも勝てない桜がどうやってクイーンを倒す?」

「……やってみないと分からない事もあると思いますけど?」

今までの桜から想像も付かない、暗い瞳を伴った桜の一歩が挑発的に踏み込まれた直後、菫は読んでいた本をパタリと閉じる。

「やめるなの、桜」

その声はある種の特別な響きを伴っていた。

たった一人、この場で彼女の因子を分け与えられた桜にとってのみ、彼女の言葉は意味を伴う強制力を発揮する。

その言葉が桜の耳朶を打ったと同時に、桜がその場に崩れ落ちる。

まるで全身を上から押さえ付けられているかの様に……

その場に倒れ臥したのだった。

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