第199話 享楽5
夕刻、西武中央管轄の777番街区に到着して直ぐに八城と菫は窓のない完全個室の部屋に押し込められた。
此処までの遠征の道程は全員無事に進んでおり、怪我人もおらず順調そのもののだったのだが『浮舟桂花』が率いる一番隊は小さくない混乱に包まれていた。
それは道中、戦闘となる地区をいとも容易く潜り抜けてしまった事が事の発端となっている。
嬉しい誤算は長く続けば不気味となるのは当然で、それが何度も立て続けに起これば異変を疑うのは当たり前だった。
だが八城にはこの現象の原因となっている者が分かっていた……
というか、察していた。
「なぁ、菫……」
「ん?何なの?八城お兄ちゃん」
密室の部屋で二人きり、特にやる事もなく快適なベットに一人横たわる八城は、部屋の隅の椅子に座り、部屋に置かれていた本を読んでいる菫に声を掛けた。
「お前さ、何か知ってる……というか、何かやってるだろ?」
「……さっぱり、身に憶えがないなの」
「今の間はなんなの?っていうか別に怒ろうとしてる訳じゃなくてさ、お前が奴らを遠ざけてるじゃないの?」
だらだらと汗をかきながら気まずげに瞳を逸らす菫は、何を隠そうクイーンである。
ただ彼女はクイーンの成り損ないのクイーンでしかない。しかしクイーン特有の性質を持っていてもおかしくない。
「スゲエなぁ……お前最強じゃん……」
「シーなの!言わないで欲しいなの!聞かれたら私はきっとあの怖い女の人に殺されてしまうなの……」
「ああ、……まぁ確かに、そうかもな」
少し前JR日野駅構内にて『浮舟桂花』は何度クイーンを倒すと言った事だろうか?
それもクイーンの少女が目の前に居る事も知らずに……
「別に誰に言うつもりもないけどさ。誰にも言わない代わりに、この先もその調子でよろしく頼むな」
「別に構わないなの。でも、私が遠ざけられるのは八城お兄ちゃんが『ふぇいず2』って言ってる奴らだけなの。それ以上の個体は今の私じゃ遠ざけることは出来ないなの」
『フェイズ2』までと言っても、それだけ出来れば万々歳である。
「そうか……じゃあもしかして桜とは連絡が取れたりするのか?なんか、番街区で言ってただろ?繋がりがどうとか、桜の感情が気持ち悪いとか何とかってさ」
「一応は出来るなの、でも今は他のクイーンの命令と絡んで、私の命令が桜に上手く伝わらないかもしれないなの」
「今はって、事はお前からの命令が桜に通るかどうかは、距離とか時間帯の問題なのか?」
「そうなの。夜はクイーンが寝静まるなの。だから『子供』に飛ぶ命令も単純になるなの。その単純な中なら私の命令も桜に届くと思うなの」
つまり、今は電話回線が混雑している為に繋がりにくいが、夜になればクイーンの指令系統も落ち着いて菫も桜へ通信が出来るという事だ。
「お前、本当に便利だな」
「そうでもないなの。こっちから桜には命令を送れるけど、桜からこっちに来るのは痛みとか嬉しいとか、桜が思った事がそのまま伝わって来るなの」
「それってあれか?聞きたくもない音楽を耳元でずっと流し続けられてるみたいな感じか?」
「それに近いなの。でも桜の音は安定してるから、うるさい程には伝わって来ないなの」
菫が話す言葉の数々は正直全く要領を得ない話で、当人でもない八城には二人の間でどんな風に情報のやり取りが取り交わされているか分からない。
だが、離れた場所から情報のやり取りが行える事はこれ以上ない朗報だ。
「つまりだ。お前は今まで通り片時も離れず、ずっと俺の傍に居てくれればいい」
ある意味クイーンの住処に自ら近づく愚行を犯さなければ、一家に一台菫が居ればこの世界を生き残るには十分という事に違いない。
菫は八城からの愛の告白を全く意に返した様子なく、読んでいた本の続きのページを捲って行く。
「お前そういえば、今の見た目七歳ぐらいだけど、漢字とか平気で読むし、実際お前って元の年齢とか何歳なんだ?」
菫の言動は見た目通りの七歳児だが、妙な所で七歳児らしくない情報を持っていたりする。
本を読めばある程度の漢字を読むし、時雨の下品な会話には顔を赤くする。
知識として持っている物が七歳児の容量を遥かに超えているのは間違いない。
「覚えてないなの……気付いたらお姉ちゃんと一緒に居たなの……でも漢字は読めるなの」
お姉ちゃんとは、桜の事ではないだろう。
無色の妹の姉は、大食だ。つまり無色の妹として意識が覚醒した時から菫はずっと大食の姉と思考を共有していたという事だろう。
「じゃあアレか?今は桜と意識が繋がってるから、自然と漢字も読める様になったって事か?」
「分からないけど、多分そうなの……」
自信なさげに答える辺り菫自身も自身について分からない事が大半を占めているのだろう。
「そうか。お前も大変だな」
「それを言うなら八城お兄ちゃんも大変なの。こんな所に連れて来られているなの」
「そうだな、お互い大変だ……から……って、あれ?やべっ……なんか、眠い……」
傷も癒えぬままの遠征に、瞬きさえも億劫になってきた頃合から八城は抗えない急激な眠気に襲われていく。
「先に寝るわ、お前も明日は早いんだ。きりの良い所まで呼んで、早く寝ろよ……」
そう言ったきり八城は腕を枕代わりに瞼を閉じて寝息を立て始め、菫は読んでいた本のページを静かにまた一つ捲るのだった。
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