第198話 享楽4
八城と菫を囲んで歩く計四十名と先頭を歩く十名、そして後方を歩く十名の大所帯は敵との会敵なく順調に進路を進んでいたが、八城は何処に向かっているのかさっぱり分からないままに、中央線の路線の上を歩き続け、多摩川一キロ手前の日野駅構内で休憩を取る。
かれこれ、二時間歩き通している間八城はずっとチラチラと視線を感じていたのは分かっていたが、話し掛けて来る事がなかったため、八城としても話し掛ける事はしなかったのだが、八城が菫と共に駅構内のベンチに座り込むと同時に、その女隊員が八城真ん前に立った。
「あの……東雲八城さんですよね?」
おずおずと話し掛けて来る女隊員を見れば、それは一華と正面からやり合おうとしていた分隊の隊長である。
「……お前らは俺が東雲八城だから連れて来たんじゃないのか?」
「やっぱり怒っていらっしゃいますよね……」
苛立ちを露わに素気無く返事をする八城に、女隊長は傷ついた様に瞳を伏せた。
「お前らは番街区の人間を人質にとって、俺を此処まで連れて来たんだぞ?俺も、俺の仲間もクイーン討伐からボロボロで、ようやく終わったかと思えば次は仲間だと思っていた同じ人間から銃を向けられたんだ。俺が今どんな気分か教えてやろうか?」
「それは……そうですね。すみません……」
目の前の女隊長に何を言っても無駄な事は分かっている。
根本的な問題は、彼女に対して命令をした人間が居る事にある。
だが、そう分かっていたとしても蟠っている感情は別問題だ。
「お前達が少しでも俺に対して悪いと思っているなら、お前らが何の為に西武に俺を連れて行こうとしているかぐらいは答えてくれ」
「それについてはお答え出来かねます。ですが、来て頂ければ直にでも分かるかと」
「それで俺が納得出来ると本気で思ってるのか?」
「納得を頂けない事は重々承知しています……ですが、私達には東雲さんが必要なんです。もし怒りが静まらないようであるなら、私の事を好きにして頂いて構いません。ですから……どうか……どうかお願いします」
女隊長を見れば顔は窶れ、纏う服も髪も手入れされておらずボロボロだ。
きっと彼女は八城と歳はそう変わらないにも関わらず、疲れきった双眸から随分と年上にみえてしまうが、その顔に八城は何処か見覚えを感じていた。
「……お前、名前は?」
「あぁ、大変申し遅れました。私、西武シングルNo一、西武中央遠征隊所属、浮舟 桂花と申します」
何と彼女は八城と同じシングルNo.らしい。しかもNo.一ともなればそれは遠征隊全隊を総括する役割を担っている。
ただ、八城の目から見た彼女は手練にも人を纏め上げる器にも見えないのは確かだ。
「……そうか、お前が西武のNo.sのトップだったのか」
八城を迎えに来るのにシングルNo.が動員されている。
つまり西武中央はそれ程までに八城を確実に確保したいのか、それともシングルNo.を使わなければならない程に西武中央は人手が不足しているのか……
何がどう転ぼうとも、八城にとって不都合には変わりない。
「いいんです。よく見えないと言われますから。まぁ、私自身自分今の地位に見合っていると思ってませんし……」
自虐的な笑いを張り付かせた桂花に、僅かな苛立ちを感じる八城だが、その事について責めた所で意味が無い。
「そうか……じゃああの大男はなんなんだ?あいつもシングルNo.なのか?」
八城の目から見れば『浮舟桂花』より、余程あの大男の方がトップを張るに相応しいように思う。
「あの方はアルファベットNo.の……名前は確かG.Oです」
『G.O』その単語を聞いた瞬間八城の口から乾いた笑いが漏れた……
それも、とびきりの乾いた笑いだ。
「おいおい、嘘だろ。お前達はGの持つ意味が分かって連れて来てんのか?」
「分かっていますよ。ですが彼は戦力になりますから。彼は私が唯一あなたを留め得ると思える人材です」
G.Oそれは紛れもない、大量殺人者であるあの大男だけが持つ事の出来る称号だ。
下位アルファベットの持つ意味は人を殺した数。
ただその数は、自身の指揮下にあった隊員を殺した数である。
そして八城の驚愕は上位アルファベットのGの方にこそある。
a.A.b.B.c.C.d.D.e.E.f.F.g.Gという小文字を含めた頭から数えた場合十四番目に当たるアルファベット番号という事は、十四回繰り上がった規模の破壊を行った罪人を示すという事だ。
仲間を15人そして、推定規模にして、364人以上の住人を殺している犯罪者という事になる。
それはつまり、丸々一つの『番街区』の住人を纏めて殺し回った殺人者という事だ。
西武中央では死刑を廃止している為、多くの犯罪者が地下区画に収容されており、戦力として十分な人間であり尚かつ部隊長からの推薦があれば徴兵される事となる。
つまり、西武中央シングルNo.一を持つ彼女が推薦したからこそ、G.Oは野に解き放たれたという事だ。
「お前、住人からの反感を考えなかったのか?」
「十二分に考えました。ですが住人から恨まれたとしても私達は貴方を手に入れる為に万全を期す必要がありました」
「万全を期すね……成る程。それで怪我人を寄ってたかって取り囲んで、銃で脅し付けて旅支度させた訳だ、お前達は本当にいい性格をしてる」
「それは……まさか指揮官である貴方が前線に赴いて怪我をしていると思っていませんでしたので……」
「そうかよ。まぁ、別にいいさ。今お前に何を言っても仕方ないからな。どうせ目的地に到着すればお前らのトップが挨拶しに来てくれるんだろ?その時に直接聞かせて貰うよ。お前達の処分も含めてな」
八城の投げやりな受け答えに何も言えずただ黙り込む桂花に、横に居た菫は桂花の頭をポンと撫でた。
「八城お兄ちゃん意地悪なの。この人悲しそうなの」
「そうだな、言われた事を言われたままに行動する奴は大抵そういう顔をするもんだからな」
「この人がやりたくない事をやってるって知ってて言ってるなら、やっぱり八城お兄ちゃんは意地悪なの」
「おいおい、俺の事意地悪だって言う前に、こいつらが最初に意地悪して来たんだぞ?それなのにこっちが親切にしてやる義理もないだろ?」
「意地悪をしたくない人が意地悪するしかないから困ってるなの。この人だけを責めるのは可哀想なの」
考えるまでもなく間違っていない菫の言葉に、八城は苛立ち紛れに菫の頭を撫で回し、燃える様に赤い長髪をボサボサにしていく。
「なっ!やめて欲しいなの!」
抗議する菫の言葉を、八城は全て聞き流し前に立つ桂花へ視線を移す。
「それで?お前は結局何を俺に言いに来たんだ?まさか自己紹介だけがしたくて話し掛けて来た訳じゃないんだろ?」
冬と秋の混ざり合った温く涼しい風の中で、桂花は神妙に頷いた。
「教えて欲しいのです。東京中央シングルNo.八の東雲八城さん」
疲れきった桂花の瞳には悔恨や疑問、そして大きな悲しみが詰め込まれ、それらは今にも飛び出さんと八城へ向けられる。
「東雲八城さん。あなた方はどうやって、クイーンを倒したのですか?」
鬼気迫る、縋る様な声に、隣の菫が僅かに怯えている。
「それは、西武中央としての質問か?それともお前個人的な好奇心か?」
「どちらかと言えば、私の好奇心です。多分西武中央に到着すれば同じ質問をされるとは思いますが、私はどうしても知りたいのです。何故あなた方はクイーンを倒す事が出来たのか、そして……何故私達にはそれが出来ないのかを……」
桂花は自身の両手を見つめ、何を思い出したのか瞳を伏せた。
今は何も持っていない両手に、八城は何時かの自身を見ている様な錯覚を覚える。
「お前は、今俺からその方法を知ってどうするつもりなんだ?」
八城が喋る事は変わらない。それが西武中央に対してであろうと、目の前にる『浮舟桂花』であろうと何も変わらないのだ。
そして、それは桂花自身も分かっている。
ただ、分かっていても今知りたいという思いを押さえられなかった。
「私は、今まで多くの仲間を失いました……。四年間、この世界が始まってからずっと戦ってきて目の前で仲間を失って、西武中央の為に戦って、そこで仲間を失って……もっと何か、あなた達には見えていて、私には見えていない何かが……私が有能だったら、もっと出来る事があったんじゃないかって……仲間の命が無駄にならない選択が、もっとあったんじゃないかって……」
その問いはきっと、言葉にしてしまえば数文字で片付いてしまうだろう。
クイーンを倒せるかどうかは有能の差ではない。
単純な実力と、三シリーズの有無がクイーンとの勝敗を分けた。
お互いの差はきっと広くはないのだろう。より多くの被害を出しながら前進し続けた東京中央と、住人の守護に重点を置いた西武中央だが、結局前線に立つシングルNo.のやる事は変わらない。
八城と桂花は変わらないのだ。
見た物も、戦いも、悲しみも、経験も、時間も変わらない。
一つ違うとすれば、それはある種の希望があるかどうかだろう。
八城には希望があり、
桂花にはなかった。
それだけの差が今『浮舟桂花』を限界へと追い込んでいる。
それは八城がこの四年でよく見知った、人間の限界だった。
「お前はずっと、シングルNo.なのか?」
「はい……」
「そうか、それは……」
きっと桂花は八城より余程優秀なのだろう。
人の死を悼み、悔やみ自身に刻み付けてシングルNo.を背負っている。
八城の持ち得るNo.八と桂花の持つNo.一ではその価値は雲泥の差があるだろう。
No.一、とは先駆けであり、見えぬ道を切り開き、番街区住人にとって希望の象徴という役割を果たさなければならない。
だからこそ、彼女は焦っていた。
『東雲八城』に出来て『浮舟桂花』に出来ない事であるなら、民衆はそれを許すのだろう。
だが、東京中央シングルNo.八には出来たのに、西武中央シングルNo.一に出来ないとなると話はそう単純ではない。
『浮舟桂花』の苦悩の日々はシングルNo.を承った日から幕を開け、二年前に東京中央奪還作戦において、一体目のクイーンを八城と一華が葬ったその時から彼女は、自分に再三自身に問いかけるのだ。
『自身が無能だったから、仲間が死んで行ったのではないのか』と
だが、八城とて自身に何度問いかけたか分からない。
分からないが、一つ八城にはだけ分かる事があった。
「それは……辛かっただろうな」
言葉の意味など考えず、何気なく呟いた八城だったがふと前を見上げれば、不『浮舟桂花』の瞳が潤み出していた。
「あっ!ちょっ!落ち着いてくれ。別に馬鹿にした訳じゃない!俺はただ、お前の気持ちが少しだけ分かると思ってからにって、あぁ……」
ポロポロと零れる雫の理由までは計りかねるが、周辺で休んでいる隊員の視線が妙に突き刺さる。
「八城お兄ちゃん、また泣かしたなの」
「お兄ちゃんは別に虐めた訳じゃないから……それから『また』ってなに?俺が日常的に女の子を泣かしているみたいじゃん」
「桜はよく泣いているなの」
「桜のアレは泣いているんじゃなくて、構って欲しいのポーズみたいなものだから」
「じゃあこの人も構って欲しいのポーズなの?」
「これは違う。というか、今回は間違いなく俺のせいだ」
八城は駅のベンチから立ち上がり、声を殺して泣いている桂花にハンカチを差し出す。
「いいか?俺とお前の違いはハッキリ言ってない。多分俺よりお前の方が優秀だろうし、今俺の置かれてる状況にお前が居れば、もっと上手く立ち回るとすら思う。だから逆だ」
「逆……ですか?」
「そうだ。お前はさっき俺に見えててお前には見えないと言っていたが、そもそも俺に見ない物を、優秀なお前は見過ぎてるんだろうな。だから多くが見えるお前は苦しくなる。お前は多分頑張れば多くの期待に答えられるんだろうが、逆を言えば頑張らないと多くの期待に応えられないって事だ。だがな頑張れずに多くの期待に応えられない事と、自分が無能である事は全くの別問題だ」
八城としては慰めたつもりだったのだが、その一言を皮切りに桂花は八城の隊服を掴み八城の身体ごと壁に押し付けた。
「では何故!何故私達はクイーンを倒せないんですか!あらゆる人員もつぎ込んで!あらゆる武装を使って!犠牲も厭わず立ち向かって!それでもクイーンには勝てなかった!私達とあなた達、一体何が違うというのですか……」
「違いはない。ただお前達には、クイーンを殺す為に必要な物が揃ってないだけだ」
幾ら頭を捻り作戦を練ろうと、奴らは此方の予想を軽々と飛び越えてくる。
持ち得る全ての武器を使い、思考を止めず、死の間際まで戦い続け、気力の最後の一絞りまでたらし込もうとも、クイーンに勝つ事は奇跡に等しい所行だ。
「八城さんあなたは今足りない物とおっしゃいましたね。ですが仮に私の手に三シリーズがあったとしても、私はクイーンに勝てる見込みを持つ事は出来ませんでした……」
濡れた双眸に奥歯をキツく噛み締め、両の拳に八城の隊服を絡め堅く握り込む桂花はゆっくりと握りしめた拳を解いた。
「東雲さん……何かが足りない時って、どうするのが一番だと思いますか?」
問いかける桂花の瞳は怪しい光を帯びていた。
洗脳されているとも違う、自分自身を洗脳している様な不気味さが八城には何とも気持が悪い。
「……そりゃ足りない物を作ったり、買って来たりするんじゃないのか?」
「そうですよね。でも足りない物が何か分からないのに、足りない物を補うことはできません。ならどうすると思いますか?」
桂花の解いた拳の指先は八城の胸をなぞり、首元をゆったりとくすぐって来る。
不味いと八城の本能が訴える。
よくよく見れば、何処と無く美人だし、ちょっと窶れている感じも排他的であながち悪くない気がして来るのが不思議であるが、今は堪能している場合ではない。
「ちょっと待て!一旦落ち着けってお前!変な所当たってるし!指がくすぐったいから!」
八城の言葉に耳など貸す訳もなく、桂花はそのまま八城を壁に押さえつけゼロ距離に密着し、前髪が掛かる程の距離に口を寄せると甘い吐息が八城の鎖骨をくすぐって来た。。
「だから私、一番簡単で確実な方法を取る事にしたんです」
更に身体を密着させ、最早抱き合っていると言っても過言ではないが、八城の感じていた鼓動の早さは決して嬉しさを伴っていなかった。
先とは打って変わった『浮舟桂花』の言葉の豹変はむしろ、背筋を凍り付かせるに足る響きを伴って耳朶を打った。
「だから持って来る事にしました。出来上がっている物をそっくりそのまま。ねえ、東雲八城さん」
八城は急に訪れた不快感に思わず桂花を突き飛ばし、自身の耳についた粘液に手を当てると、透明な唾液が線を引いた。
「お前、なんのつもりだ……」
「なにをするつもりもありませんよ、今はまだ、ですけれど」
桂花は悦に入る笑みを貼付けながら立ち上がる。
「では東雲八城さん。お話しはこの辺に、そろそろ私達の家に出発しましょう」
底知れぬ気味の悪さの正体は未だに掴めず終いだが、八城は彼女の評価を見誤った事だけは確かだった。
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