第193話 城傀4
翌朝の7777番街区は大きな賑わいを見せていた。
浮かれるという文字を、映像にすればそのままこの場が出来上がるんじゃないかと思われる盛況に参加したくない八城は、目が覚めてから何度目かとなる寝返りを打った。
「出たくないんだけど……布団から出たくないんだけどぉ……多分そろそろ出ないと怒られるんだよなぁ……」
作戦最高指揮として
指定時刻から早くも三十分は過ぎている。
だが最大の功労者である八城をベッドから引きずり出す事が出来る人間など、八番隊正規隊員ぐらいのものだが、その副隊長である紬すら同室のベットから出て来ないという体たらくを披露していた。
「そもそもさぁ、誰の許可を得て時計は回っているんだろうなぁ」
時間に遅れているという罪悪感から、八城は起き上がろうとしてみるものの、身体のダルさが勝り結局もう一度寝返りを打っては古いベットを軋ませている。
「八城くん好い加減に五月蝿い。部屋から出るなら一人で行けば良い。私はもう何処にも行かない」
「俺だって行きたくないんだけど……」
「八城くんがそいつを始末しないからこういう事になる」
歌姫攻城作戦から一夜明け、全隊員は7777番街区へと集結した。
重軽傷者31名
意識不明者40名
そして死傷者0名
奇跡的な数字に歓喜したのも束の間、八城には新たな問題が浮上していた。
それは、八城の視線の先に居る『無食の妹』の中から出て来た少女の処遇に関して頭を悩ませていた。
「だよなぁ……でも全員の前でコイツの説明をしないわけにはいかないし……コイツのおかげで桜は助かったわけで……そもそも、コイツの正体が何なのか俺にもさっぱり分からないし……」
八城の見つめる先、長髪の赤髪を腰まで伸ばした齢一〇にも満たない少女が八城の隣のベットでチョコンとお利口に座りし、楽しげに笑っていた。
説明するまでもなく、少女は昨日桜に対して奇跡を起こしてみせた。
少女が自身の血液を、桜へ分け与えると。見るも無惨に欠損していた桜の腹部はたちまち復元していった。
普通では有り得ない。
だからこそ、この少女は普通ではない事は分かりきっていたし、昨日少女自身から受けた説明でもそれは明らかだった。
「人の事ジッと見つめてニコニコして、俺はお前のせいで困ってんだぞ……」
昨日から八城を見ては嬉しそうに笑っている少女だが、早朝マリアが部屋を出る音で、八城が目を覚ますと何故だか同じ布団に潜り込んで来ており、自分の布団に戻るよう伝えると、残念そうに定位置に戻りまたもやニコニコと此方を見つめていると、昨日と同じ様に突然辺りをキョロキョロと見渡し始めた。
「なんだ?急にキョロキョロと……便所なら部屋出て右側だぞ、一人で行けないなら紬に連れ添って貰え」
ベットに横たわったまま八城は気怠そうに、ベッドの上に居る紬を指差した。
「子供が出来たならそれ相応の覚悟を持つべき。子供のトイレにも付き添えないのでは育児放棄も時間の問題」
「おいおい、聞き捨てならないんだけど?俺自分の子供で出来たらゴリゴリに甘やかすからね!お菓子とか玩具とか無限に与え続けるから!」
「育児と溺愛の違いすら分からないとは滑稽を通り越して不憫ですらある。そんな親に育てられた子供は可哀想」
「お前に子育ての何が分かるんだよ!ウチにはウチにやり方があるんです!他のお宅に兎や角言われたくありません」
「ウチなどという都合のいい言葉を使って自分の異常を押し付けるのは、子供の為にならない。そういう親なら離れ離れ方が子供は伸び伸びと生きていける場合もある」
「じゃあお前は俺より良い親になるわけかよ!そんな仏頂面の母親が授業参観に来てみろ!教室内は大パニックだ!」
「仏頂面は今関係ない!それに間抜け面の父親が来るよりマシ!」
空想子育て論争が八城と紬の間で勃発する中、少女は二人を止めようとアワアワしているが、そんな様子などお構い無しに八城と紬の睨み合いは続き、少女が意を決して立ち上がる。
「あっ!あの……」
収拾が付かないと察した少女は意を決して、少女はベットから勢い良く立ち上がる。
「トイレは朝にマリアさんに付き添って貰ったから大丈夫なの……それから、皆さん目を覚ましたみたいなの……」
遅刻時間から三十分、この少女が『皆が目を覚ました』というのなら、きっと外は大騒ぎになっているのだろう。
「そうか……ようやく、目を覚ましたか……」
いずれ、その説明を求めこの部屋は大騒ぎになるだろう。
その前に八城の方から姿を現した方が混乱は少なくて済む。
「面倒だが、仕方ない。行くぞ」
「はい、なの!」
八城が立ち上がると、少女は燃える様な赤髪をピョコン靡かせて立ち上がると直ぐさま八城に追いついて腕を絡ませる。
八城は少女を連れ立って7777番街区内を歩き、ベース基地であるゴルフ場内の一角にある巨大なテントへ向かう。
八城は、一歩立ち止まり一呼吸を吸込んだ後にテントの入り口を捲り、中へと入る。
テント内は意識を失った者たちの収容施設だったが、収容者が一斉に目を覚ました為に、慌ただしい雰囲気に包まれていた。
雑多な人の喋り声の中八城が辺りを見渡していると入り口近くに居た麗と目が合った。
「あら?珍しく約束を守ったのね」
「そうだな、俺もその約束だけは守れると思ってなかった」
麗は意識不明者の一人、そして噛まれた者は皆意識不明のまま、7777番街区ヘと運び込まれて居た。
「そう、実は私も生き残れると思ってなかった……それに、クイーン討伐で、犠牲者がゼロだなんて、今でも信じられないもの。やっぱりアンタは特別な化け物よ、八城」
麗の見つめる先にある四十名が眠っていた寝台は全てが空となり、その代わりに隊員同士が抱き合いながら涙を流している。
「八城。アンタのところの隊員を捜してるなら一番奥にいるわよ」
「そうか、助かる」
麗の言葉に従って八城がテント内を進むと、それぞれの隊員が頭を下げた後、八城へ道を譲り、八城は最奥のベッドで呆然と自身の両手を見つめている少女へと歩み寄る。
その少女は、傍らに立った八城を見て、一つしゃくり上げると瞳に涙を浮かべ始めた。
「……隊長……ですか?」
昨日ぶりに聞く声は、何故だか懐かしさすら覚える。
少女の呼ぶ声が振るえ、大粒の涙をこれでもかと流しながら、掛けられていたシーツをキュッと握り込む。
「わたっ……私……あのとき……」
「一回死んだ……この言葉、覚えてるか?俺がお前に最初に教えた言葉だ」
それは桜が初めて八城と立合いをした後、八城が敗北した桜に対して掛けた言葉だ。
「覚えて……ます……」
「なら、死んだ人間はもう二度と生き返らない事も、知ってる筈だな?」
「知って……知って……ます」
戦い、傷つき、ボロボロになりながら涙を流す桜を、きっと隊長として叱りつけなればならないのが八城の役割だ。
「本当なら、俺はお前を叱りつけるべきなんだろうな……だが……」
本来の隊長としての役割に反してでも、伝えなければならない事がある。
「生きていて……良かった……。本当に、心配したんだからな……桜」
言葉に詰まる八城の表情を見上げた瞬間、桜の押さえていた感情は決壊する。
死への恐怖が無かったなんて事は無い。ただ桜の中に死の恐怖を上回る感情があっただけだった。
「天竺から聞いた。お前があの場に残った理由を……正直腹が立たなかった訳じゃない。だがお前があの場に残ったからこそ全隊員を救う事が出来たんだ。お前は、俺にも一華にも……誰にも出来なかった事をした。胸を張れ、桜」
八城はシーツに顔を埋めながら頷く桜の頭をポンと一撫でした後に、全体へ振り返る。
「この場に居る全隊員に通告する!現時刻を持って!歌姫攻城作戦の全行程を終了する!」
全員の声が止まり、八城の最後の一言を待っていた。
それは誰もが笑う夢物語を現実足らしめた。
この場に居る全員が英雄足らしめるに十分な勇気と犠牲を持って成し遂げた快挙だった。
「俺達の勝利だ!」
一拍の後、テント内が大歓声に包まれ、大喝采の中謎の少女を連れた八城はテントを後にする。
八城は、テントを出た後、人待ちをする為に大騒ぎのテント脇の木陰で暫く座り込んでいると、テントから慌てて桜が飛び出して来た。
「やっと来たか」
「隊長!先ほどはすみませんでした。それでお話とはなんでしょうか?」
「その事なんだが、この少女お前見覚えあるか?」
八城は後ろに隠れようとする少女を無理矢理桜の前に押し、その顔を桜に確認させるが桜は知らないと首を横に振る。
「そうか、知らないか……なら、一つ。お前に伝えなきゃいけない事がある」
「……え?急に何ですか?改まって?」
想像も付かないのか、桜はいつも通り能天気な表情を浮かべているが、八城の表情は真剣そのものだった。
「お前は大食の姉に腹部を刺され、心肺停止まで陥った。そしてお前の腹部を貫通していた傷は間違いなく致命傷だったんだ。お前は何故助かったんだと思う?」
「……言われてみればそうですね?でも、何とか助かったんですよね?誰かその場に腕のいい医者でもいたんですか?」
安直過ぎる楽観に、いつも通りの桜である事だけは分かるが今はそれを笑っている暇もない。
「あの場所には、名医も、ましてお前を助けられるだけの設備もなかった。だからもう一度聞く、この少女に見覚えは……いや、この少女をお前は覚えているか?」
尋ねる八城の言葉に、桜は分からないとただ首を横に振るだけだった。
「そうか……なら、単刀直入に言わせてもらう。お前の身体は今も尚奴らの病原体に……いや『大食の姉』に感染している。そして俺の隣に居るこの少女こそが、お前を感染させているクイーンの本体だ」
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