第192話 城傀3
「八城くん、これどうする?」
紬の言うこれとはつまり『無食の妹』の処遇について。
それは、二択の選択だ。
感染者。
それも『無食の妹』というイレギュラーの中のイレギュラーから零れ落ちた人間の処遇に関しての
生かすか、
殺すか、の二択だ。
この場で殺してしまえば、後に生じるであろう混乱は起こらない。
だが、今は何より情報が欲しい。
銃弾をも弾き飛ばす頑強な繭に覆われている『大食の姉』は、現在の八城や紬の装備では手の出し様がない。
であるなら……
「……その少女、寝ているだけなら起こしてくれ。殺すかどうかはそれから決める」
紬も八城と同じ考えの元、小さく頷き裸の少女を少し持ち上げ、頬をかなり思い切り……
いや、かなりの音を立てビンタする。
一つ、二つ、パンパン!と、紬が眠っている少女の頬を張る音が、大学内に反響する。
「ちょっと!えぇ?そんな起こし方?もう少し優しく起こせないの?」
「それは無理。それに、起きた」
紬が掴み上げている少女は、殴られて赤くなっている頬を訳が分からないと押さえながら涙を浮かべて紬を見つめていた。
それは化け物とも感染者とも違う、人だけが許された感情を伴った涙を浮かべていた。
何故自分が暴力を振るわれ、目の前の紬から睨まれなければいけないのか分からないと困惑からくる感情が、年端もいかない少女の中でグルグルと回っているのだろう。
八城は紬に少女を離す様指示し、座り込んで多少動く様になった身体を持ち上げ、自身の来ている隊服の上着を、全裸の少女へと投げる。
「とりあえず、それを着ろ」
全裸の少女は投げられた服を受け取り、モゾモゾと袖を通していくが八城の傷だらけの隊服ではあらゆる部位が露出しているが、全裸よりは幾分かマシだろう。
「あっ……ありがとなの」
蚊の鳴くような感謝の声が響き、声を発した少女はその優しさが嬉し恥ずかしそうに、屈託なく笑いながら八城から受けた隊服を抱きしめる。
だが、対する紬と八城は穏やかではなかった。
何故なら、彼女の存在をとうとう『人』だと……
元八番隊の隊員を虐殺為尽くし、桜さえも死へ追いやった『大食の姉』の一味を『人間』であると認めざるを得ないからだ。
「……あっ!あの人が呼んでる、行かなくちゃ……」
「ふざけるな。お前を自由に歩かせる訳にはいかない。言葉が通じるのなら両手を頭の上に置いて、こちらに見える様に腹這いになれ、話はそれから」
少女は挙動不審にキョロキョロと辺りを見渡すと、何も履いていない素足のまま立ち上がるが、紬は即座に銃器を少女へ向ける。
警告を発した紬の言葉の意味は分かっている様子で、今にも泣きそうに怯えながら八城の後ろへ隠れてしまう。
「紬、銃を降ろせ!」
「駄目、八城くん。それは……」
『化け物』だと、紬がそれ以上の言葉を言わないのは、紬なりの配慮なのかもしれない。
「俺達の仕事を忘れたのか?言葉が通じ確固とした個人の意思があり、人に危害を加えるつもりがないのならそれは『人』と変わらない。だから、もう一度だけ言うぞ。銃を降ろせ、紬……」
二人の睨み合いは数秒続き、紬は諦めた様に銃口を下げる。
八城は後ろに隠れている、今にも泣き出しそうに怯えている少女の頭に一つ手を置き、ニッコリと笑いかけた。
「ごめんな、怖かったな。紬も少しだけ気が立ってるだけなんだ、何時もは良い奴だから許してくれ。それで、呼ばれてるんだっけ?きみは誰に呼ばれてるんだ?」
『呼ばれている』と、そう言って何処かへ行こうとした少女だが、八城や紬には声の一つも聞こえていなかった。
「お姉ちゃんが呼んでるの……行かないと、このままじゃ死んじゃうの……」
『お姉ちゃん』と聞いて、八城は真っ先に大食の姉を思い浮かべる。
仮にこの少女が『大食の姉』に何かしようものなら、真っ先に討たねばならないだろう。
「……お姉ちゃんって、誰の事かな?」
紬に目で合図を送りながら、八城が言葉の真意を尋ねると、少女はオドオドとした様子で先ほど八城から受け取った隊服を引っ張って見せて来た。
「さっきのお姉ちゃんなの……私のお姉ちゃんが傷つけた、この服と同じ服着てた、お姉ちゃん……」
隊服を着たお姉ちゃん……
八城の知る人物の中でそんな人物は一人しかいない。
「君が行けば……助けられるのか?」
祈りにも近い八城の言葉に、少女はコクリと頷いたのを確認し、八城は少女を抱え上げ、校舎の中へと入っていく。
微かに人の気配のある講堂二階部分には天竺は座り込み、その傍らには桜が横たわっていた。
「悪いな、応急処置までして貰って……」
温度を感じさせない顔色に、人形の様に微動だにしない姿はある種の芸術性を感じさせる桜は、隊服を脱がされ脇腹を貫通していた刺突痕は止血処理をされ、その上から厚く包帯が巻かれていた。
「結局これくらいしか出来なかったんです。それよりそちらの少女はどうされたんですか?」
天竺は八城の脇に隠れている少女を目敏く見つけると、首を可愛らしく傾げて見せた。
「あぁ、この子は……」と、八城が言葉の先を続けようとした矢先、八城のすぐ後ろに居た紬が、抱ええていた銃器を床に落とし校舎中に鉄が床を弾く鈍い音が響き渡る。
「なん……で……?さくら?」
紬は今初めて、現状が如何に取り返しのつかない状況なのかという事を実感させられていた。
「八城くん!なんで……なんで!ここに桜が倒れている!」
紬は落とした銃器を拾う事もせず、八城へと詰め寄り瞳一杯に涙を溜めながら八城を見上げるが、八城自身も何かを堪えて居る様に奥歯を噛み締めていた。
「桜は、大食の姉にやられて……俺が駆けつけた時には、ブレードが腹部を貫通していたんだ。俺には助けられる余裕がなかった……」
言い訳だと八城自身思う。
鬼神薬を使用していなければ……
使用せずにクイーンを倒せていたなら、この事態だけは避けられた筈なのだ。
「すまない……紬……」
八城の謝罪に茫然自失となる紬は、桜の真っ白な顔をもう一度見て事の発端を思い出したとばかりに『無食の妹』の内部から出て来た少女へと詰め寄り、その勢いのまま少女の細い腕を引っ張り倒し床に押さえ付けた。
「お前が!お前たちさえ居なければ!桜は死ななかった!私の仲間を!友人を返せ!」
戸惑いを露わにしている少女へ、紬は低くくぐもった切なる願いを押し付ける。
「よせ、紬!俺達は何も知らないんだ!そんな状態で物事を決めつけるな!」
「でも!コイツはあの中無食の内部から出て来た!ならきっとコイツが!桜をこんなにした!全部コイツのせい!」
『無食の妹』内部から出て来たこの少女は間違いなく『無食の妹』の中心に居た事は間違いない。
だが八城は決めつける訳にはいかなかった。
同じ過ちをまた繰り返してしまった。
自身が定めた『大食の姉』を倒すという決まり事すら果たせず、今自身の隊員を何も出来ず失いそうになっている。
この少女を、今敵と決めつけてしまえば、八城は無意味にこの少女をこの場で殺めてしまう。
意味も、矜持も関係なくただ感情に任せてしまうだろう。
だから……
「違う、その少女は人間だ……人間なんだよ……」
八城は自身にそう言い聞かせる。
言い聞かせる事でどうにか、刃に向かいそうになる腕を押さえ付けている。
堪える八城の表情を察した紬の少女へ課していた拘束が緩み、無防備になった少女は桜の元まで急ぎ駆け寄り、包帯を無茶苦茶に外し桜の欠損している患部を露出させる。
「お姉ちゃん……生きて」
横たわる桜を暫く見つめた後、謎の少女は自身の腕を噛み、流れ出る赤い雫を桜の欠損した患部へと滴らせたのだった。
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