第174話 荒城19

相変わらず森に囲まれた自然豊かな7777番街区には人の往来の音を掻き消す虫の鳴き声が辺りを満たしていた。

正規の入り口であるフェンスの割れ目を潜り抜け、直に時雨と別れ、7777番街区内にある、代表室へと向かう。

若干の薄光が漏れる一室から声を抑えた話し声が漏れ聞こえてくる部屋の扉を開けば、室内全員の視線が八城へと集中した。

代表室に居るのは全五名。

7777番街区代表である谷川を始め

十七番隊隊長、斑 初芽

九十六番隊隊長、風 間麗

八番隊副隊長、白百合 紬

そして、横須賀中央所属遠征隊No.三の、天竺 葵である。

時刻指定はしていないが、全員揃っているところを見れば、八城の到着は大遅刻だったと見ていい。

「遅れて悪かったな。少し野暮用を終わらせてから来た」

軽く頭を下げる八城に顔見知りの谷川は、前回会った時より随分と顔色が良くなった顔色でニコリと一つ会釈を返し、天竺葵もその流れから軽く頭を下げて来た。

初芽に関してはいつも通りの笑みを浮かべていたが、紬と麗の二人は不満げな顔を隠そうともしていなかった。

「八城くん、何があったのかと聞いても答えないだろうけど、一応聞く。何があったの?」

「お前の質問は何時も抽象的だな。俺にはお前が何を聞きたいのかさっぱり分からないんだが?」

「……分かった、なら聞き方を変える。何故この番街区に敵が居るの?」

紬の疑問は最もだ。

今現在7777番街区には、元111番街区隊長の三郷善と偽城天音……つまり、紬にとっての敵二人も居る事になる。

それもその敵二人は新設一番隊を名乗って、遠征隊の内にのさばっている状態だ。

111番街区にて紬は偽城と善の二人から攻撃を受け負傷している。

誰にとっても、敵が内側に潜り込んでいる状態は由々しき事態に他ならない。

そして八城の言葉如何によっては、紬は今度こそ仲間を守る為に独自の判断で行動に出るだろう。

八城としても、それだけは何としても避けなければならない。

「……紬、お前がもし今の一番隊の事を敵だと言ってるなら、あいつらは今は敵じゃない。一時的な共闘関係を保っているだけだ。俺としてもあいつらと肩を並べるのはこれが最初で最後のつもりだ」

「じゃあ、敵じゃない。という事?」

「いや、あいつらは間違いなく敵だ。もっと言うなら俺達東京中央にとっては間違いなく最も厄介な敵になる。だが、今は状況が状況だ。あいつらとの利害が一致し続ける限りは、向こうに居る誰一人として背中から撃つなよ」

八城の言葉に満足したのか、紬は背の丈程ある狙撃銃を抱き抱えトリガーをソッとなぞる。

『敵であるなら何時でも撃てる』紬は言外にそう言っていた。

八城の背筋を悪寒にも似た怖気が走り、次いでの確認事項を思い出す。

「最初に聞いておきたかったんだが、全隊の7777番街区到着までの損害は?」

規定ルートである安全圏を取った遠征と言っても、多少の犠牲は覚悟しなければいけない。

そう思いつつ全員に対して八城が尋ねると、席に座る三人はそれぞれその疑問を鼻で笑ってみせた。

「百と九十六番隊、損害ゼロよ」

「同じく十七番隊損害ゼロさ、まぁ私は引率していないんだけどね」

「紬同じくゼロ。怪我人も居ない……と言いたいところだけど、ごめん八城くん。時雨と歌姫が遠征中にはぐれた。申し訳ない。本当なら床に頭を押し付けて謝りたいけど、床が汚れているからまたの機会に謝らせて欲しい」

言葉だけは一丁前に謝罪をしているが、態度は少しも悪びれた様子はなく、紬はより一層堂々としていた。

「……まぁ、その件に関してはこっちで調整が取れてる。歌姫は無事こちらに合流して、今は所定位置にて待機中だ。彼女の声の都合上作戦決行まで歌姫は7777番街区から離れていて貰っている。だから此処には居ないが作戦決行までに支障はないだろう」

自身の口から吐く白々しい出任せに、倦怠を滲ませながら全員を見渡すと、天竺葵と目が合った。

何を考えているのか分からない無機質な瞳に、八城は思わず瞳を逸らすが、天竺の瞳はしつこく八城を捉えて離さない。

「……お前は、『天竺 葵』で合ってるよな?どうしたんだ?そんなに俺を見つめて、何か言いたい事でもあるのか?」

整った顔立ちと、微塵も揺らがない姿勢を維持し続ける彼女は、ドールと言われても信じてしまうかもしれない。

規律と成果を重んじる横須賀中央から派遣されて来た彼女は、今の八城が最も厄介とする相手であるのは間違いないだろう。

薄く息を吐いた口元が僅かに動き、色素の薄い唇から言葉が紡がれる。

「東京中央遠征隊No.八である東雲八城に質問ですが、私が此処に来た理由はご存知ですね?」

責めるでも、疑問に思うでもない、無機質な瞳が八城へ彼女の存在の実用性を突き付ける。

何故彼女がここに座っているのか、此処に居る全員が天竺葵という機構の役割を理解している。

そして、お人形の様な彼女が、次に口を動かし八城に質問するであろう言葉を八城は予想するのは容易い事だった。

「天竺葵、お前が歌姫の所在を気にする必要は無い。お前は俺と一緒に多山大に来てもらう」

天竺葵を寄越した横須賀中央は最初から、クイーンの討伐を成功させる可能性を視野に入れていない事は分かっていた。

だからこそ、横須賀中央屈指の実力であるシングルNo.三である天竺葵をこの場所に代表として寄越した。

天竺葵はただ単純に横須賀中央からの指示に従い、それを遂行する為にここに座っている。

だが八城は最初から歌姫……天王寺催花を殺させる気はない。

隊員である仲間が命を賭して、親しき友が最後の一息を吐き出す瞬間までその名を呼んだ『天王寺催花』をみすみす差し出してやれる程八城は諦めが良くない。

だが天竺葵とて、横須賀中央からの指令を出来ませんでした、で帰れる人間ではない。

「それはそれでいいです。ですが、天王寺催花の処刑は双方の合理に沿った妥当な選択です」

あくまで指示を完遂する為に、天竺葵は此処に居る。

時間が来ればブレず、ただ真っ直ぐに命じられた命を何の躊躇いもせず刈り取るだろう。

それが八城には我慢ならない。

「天竺葵……いや、横須賀中央遠征隊No.三の天竺葵。お前の後ろの後ろ……俺から見えない程後ろで偉そうに座って、お前に指示を出してるクソ共に伝えておけ」

八城は今までに無い怒りを覚えていた。

それは今までにあった理性なき理不尽に

そして今こうして目の前にある、たった一人の少女へ対する理性ある理不尽に

ようやく言葉に出来ると満面の笑みを見せた八城に、天竺の無機質だった仮面が綻びを見せる。

「俺達が負けるとのたまって、化け物の勝利に賭けたクソ共に、『良かったな、人殺しにならなくって』って一字一句間違いなく伝えておいてくれ」

喉が干上がる重圧と声音に、天竺葵はゴクリと一つ唾を飲む。

「……それは、貴方たちが歌姫の有用性を証明するということでいいのかしら?」

「ハハッ!お前もクイーンを倒す事が不可能だと思ってる口か?」

「可能性だけの話をするなら、不可能に近いと思ってるのは否定出来ない。少なくとも私はクイーンが倒される瞬間を見た事が無いから」

クイーンを倒したとされるのは東京中央が組織した、東京攻略作戦でのみだ。

クイーンを倒すなど、無知蒙昧の夢物語でしか聞いた事が無い天竺にとって笑い話でしか無い筈なのだが、八城を前にしてそれを笑い飛ばす事が出来ずにいた。

「ならお前も、見た方がいい」

未だ燃え尽きない人の意思に宿る焰が

「人を食い、人を殺し続けた化け物が」

人の意思がこんなにも折れず力強く、耳朶に鳴り響き

「その牙をすら折られて、地面を這いずり」

確固たる情念が沸き立つ彼の姿が

「最後の叫びすら届かず、人の手によって殺される様をな」

天竺葵にはどんな化け物よりも恐ろしく思えてならなかった。


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