第136話 金切
時刻は夜
常夜灯の必要ない東京中央では、夜十九時を回れば就寝時刻となる。
電源供給はソーラーパネルと河の水流を利用した簡易型の水力発電で賄われているが、無駄な電力を割けないのが現状である。
そのため居住区内における電力使用は厳しく制限されている。
東京中央内では、夜間に外に漏れ出る可能性のある場所での電力使用は原則禁止とされている。
だからだろう、天王寺催花に宛てがわれた窓から見える景色は雲一つない星空が空一面に広がっていた。
「綺麗……」
思わず呟きそうになった口を抑え付ける。
何時かの時。自分の声が発端となり奪ってしまった命の数を思いだす。
動悸を抑えても息苦しさが抜けず、喉の奥から込み上げる嘔吐きに背中を丸めてやり過ごす。
許されない。
そして何より自分が許せない
自分の声で
自分の無知で
どれだけの無意味な被害を出したのか……
だから、自身の声が失われた時それは運命だとすら思った。
とうとう自分にも報いが来たのだと、
その対価として、命より大切な声を失う事で、ようやく自分を納得させる事が出来た。
事情を知らなければ、精神的な問題を抱えた可哀想な少女に映るだろう。
私の……「天王寺催花」の無音の生活はそうやって始まった。
歌のなくなった私に価値が無い事は心根の底で理解していた事だった。
只の高校生風情が、どう足掻いた所で今の状況を動かす事など出来ない。
それは私が、東雲八城と野火止一華に出会って感じた事だった。
野火止一華は分からないが、東雲八城に関しては初めて出会った時は学生服を着ていた。
手慣れない手つきは当時の彼が未だに戦い慣れていない事を物語っていた。
次に出会った時、彼はもう同じ学生服を着てはいなかった。
そして三度目に出会った時、彼は今の彼になっていた。
その彼が連れて来た彼女は、要らない事実を否応無しに私の手元に提示させた。
「あなた、疫病神じゃない」
野火止一華から掛けられたその言葉が、私の脳裏に張り付いて離れない。
その通りだ、居るだけで周りに不幸を呼び込み、人を殺す。
まさに「疫病神」だ。
だがそんな疫病神にも友人が出来た。
名前を「看取草 紫苑」
彼女、紫苑は東雲八城が寄越した私の補佐を命じられていた。
申し訳ないという気持ちが先に出た。
それもその筈だ。私のせいでこの場所に縛り付けられている事に変わりない、何より天王寺催花の価値が何処にあるのかを、私自身がよく分かっていた。
歌の歌えない「歌姫」に一体どのような価値があるのか。
それでも紫苑は声の出せない私に献身的に尽くしてくれた。
そのかいあって、東雲八城が取り計らってくれた番街区での生活は、何不自由なく暮らす事が出来たのは事実だ。
だからこれで満足していれば良かった筈なのだ。
何時だったか、紫苑と親しくなった私は、慣れないホワイトボードで会話をしていた時彼女が呟いた事を覚えている。
「私催花の歌声大好きなんだ」
私はその言葉にいつもより素っ気ない表情をして返した。
「私初めて催花の声を聞いた時、私じゃ人にこの気持ちを声で届ける事は出来なって思ったの!なんて言うのかな、私の夢だったんだ。歌を歌って誰かを勇気づける事」
いつもニコニコと笑っていた紫苑がこの時だけは真剣に私を見つめ返していた。
それでも、私は私の声を許す事が出来なかった。
「私は催花の歌に勇気づけられて今、催花の傍に居るの。だからそんな顔しないでよ。私が催花に勇気づけられたなら、次は私が催花を勇気づける番なんだからさ」
あの時以上に声を出したいと切に願った事は無い。
だから私は声が出ない代わりに、精一杯の文字を起こした
「ごめんなさい、ありがとう」
掠れてしまった後半の字は、自分の手の震えも相まってミミズが這った様に縒れてしまっている。たった五文字、されど五文字は、それすら読みずらかった筈だ。
それでも紫苑は花咲く笑顔を催花に見せる。
「いいんだよ、実は私八城さんから言われてるから此処に居るわけじゃ無いの、私は私の意思で催花の友達としてここに居るんだからね」
だからこんなに勇気づけられる言葉を掛けて貰えるとは思いもしなかった。
歳は私と大して変わらない筈だ。それなのに彼女の方が年上に見えてしまうのは、彼女自身のしっかりとした所作なのか。はたまた私自身の不甲斐なさなのか……きっと何方もだろう。
不安な時は、お互いに抱き合いながら時に励まし合いながら、日々を過ごしていた。
ああ、今思えばそうだ、きっと私は「看取草 紫苑」の事が好きだった。
同性に抱く感情ではないのかもしれない、でも親や兄妹に抱く様な「好き」を私は紫苑に感じていた。
そうして日々を過ごしていくうちに、私は感じていたのだろう。
この日々を楽しいと、生きていると感じていた。
歌を歌っていなくとも、私は日々を生きてしまった。
死んだ私が目を覚ました。
勇気づけられた私が、貰った勇気を紫苑へ返したいと思ってしまった。
だからこそ「歌姫」が戻って来る事は必然だったと言える。
声がでない事は呪いではない。
そんな事は本人が一番分かっていた。
ただその錠前を、自分で開ける事が出来なかっただけだ。
永遠に開かれなければ、紫苑とまだ一緒に居られた筈だった。
だから、声が出ない事と、声が出るが出さない事の違いを私はあの時知らなかった。
あの夜、そう、今日の様に星明かりが、薄暗さの中に影を落とした帳の片隅に、紫苑は知らない男に覆い被さられていた。
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