第124話 黙従1
1700時
八城は痛みでフラつく身体に鞭を打ちなんとか議長室まで辿り着いた。
いつも通り八城はノックも無しに扉を開ける
「一分の遅刻だ」
時刻は丁度00から01に変わった所だ。
几帳面な柏木だが、その事実にはさして怒った様子は無い。
だが八城にも言い分がある。
「一分は遅刻じゃない。それに、俺は怪我人なんだ。そんな怪我人に重い雪光を御丁寧にも病室まで持って来た奴のせいだろ」
「君が自分の役割を思いだす良い切っ掛けになると思ってね。それとも君も三郷善の様に裏切るのかい?」
「勘弁してくれ。それよりわざわざこんな所に呼び出してまで、俺に頼みたい仕事は何なんだ?」
「実はね…」
そう言いながら柏木はブラインドから漏れる光りを遮り、何かを警戒する様に部屋の鍵を閉める。
そして壁沿い下から七つ目の模様の壁を二回叩く。
すると本棚がゆっくりとスライドしていく。
議長室他、研究所内部と中央街区外の地下鉄からのみ行き来が出来る特別街区。
シングルNo.と他柏木の許可ある人間のみしか立ち入りが許されない中央の鍵を握る場所だ。
その階段を二人は降りていく。
「まさか、特別街区に用とは、穏やかじゃないな」
八城は特別区に行くに当たり一つだけ心当たりがある。
それは三郷善が最後に八城に言い残した「歌姫」という単語だ。
「歌姫」と称される人物はこの中央に、そして八城が知る人物には一人しか居ない。
実名を、天王寺催花。
八城が89作戦のおり地下施設にて救出した人物の名前である。
そして今現在「歌姫」天王寺催花は中央特別街区にて収容されている。
というのにも訳がある。
天王寺催花は地上では生活する事が出来ない。
彼女が地上で生活するのは余りにもリスクが大き過ぎるからだ。
それは彼女の声に関係する事案である。
天王寺催花は四年前まで正真正銘の歌姫として扱われていた。
彼女は若く歌手として世間を賑わせていた。
その存在は芸能界に疎い八城が名前を知っているぐらいだ。
だが四年前のあの日から「歌姫」と称された彼女の歌声は、悪魔の叫びと変わる。
それは先天性の声の特異性とでも言えるのかもしれない。
きっと「奴ら」が現れなければ誰も知らず、本人すら気付く事は無かった。
彼女は知らぬ避難所、知らぬ人間に囲まれ、どうにか「奴ら」の手から逃れていた。
だからそれは必然だったのかもしれない。
怯える避難民の一人に彼女は話しかけられた。
「アンタの歌声が好きなんだ。よかったら一曲歌ってくれないか?」
それが彼女にとっての、本当の悪夢の始まりだった。
彼女、天王寺催花は自分の歌声で少しでも誰かの心が軽くなるならと、その歌声を披露した。
そして天王寺催花の歌を、観衆は歓声と共に受け入れた。
だが、その数時間後、その避難所は跡形もなく蹂躙された。
一度、二度、そして三度と天王寺催花は避難所を運良く免れ、そして八城と出会った。
八城との出会いは、決して偶然の出会いではない。
一華の意向を元に行動を共にしていた八城が、襲われている避難所に来るのは必然と言えた。
そして一度、二度そして三度目も、同じ人物が歌を歌った後に避難所が襲われる。
一華が興味を持つには、その事案は十分過ぎた。
そして一華はその興味を元に天王寺催花の声を新たに手に入れた玩具の様に使いとある真実を導き出した。
その真実とは「歌姫」と称された、天王寺催花にとっては堪え難い真実だったのは間違いない。
天王寺催花の声が奴らを引き寄せる
それはほんの僅かな声、ほんの僅かな叫びであろうと、その声を震わせたのなら、一つの漏れなく「奴ら」を引き寄せた。
そして彼女、天王寺催花は声を失った。
自発的に喋らなくなったのではない、彼女は精神的ショックから言葉を話す事すら出来なくなってしまった。
だが、数ヶ月前の89作戦の発生は彼女の声が発端となった。
天王寺催花が声を取り戻したからこそ、今の中央はその存在を放って置く事が出来なかった。
「それで?俺に何をさせたいんだ?」
だから柏木の次の一言も八城には想定出来た物だった。
「八城、単調直入に言わせてもらう。歌姫を処分してくれ」
処分
その言葉で八城の肺腑を冷たい何かが這い回る。
「天王寺催花は表向きには、声を失っている。それに彼女は鬼神薬計画の要だ。処分する必要までは無いだろ」
「鬼神薬計画は、今現在、八城しか後継が居ない。野火止一華が居ない現状、この計画は一年前から頓挫一歩手前だ。なら不良債権を東京の中央で背負う事も無い筈だよ」
鬼神薬は野火止一華が居なければ作れない。
東京中央が目指していた鬼神薬計画が進んでいないのは、野火止一華不在により鬼神薬の製造が出来ていないのが根幹にある。
「処分とは、随分と急な話だな」
「急にもなる、この要請は僕がしているんじゃない」
「珍しいな柏木が苛立つなんて」
いつも冷静沈着な柏木にしては珍しく声に棘のある言い方だ。
つまり今の状況に何か不服が在るという事だろう。
「苛立ちもするさ、というのも八城、この件誰にも言わないで欲しいのだけど、この要請は横須賀中央からの差し金なんだよ」
此処東京中央と西武そして今出て来た横須賀中央は同盟関係にある。
中央の同盟関係は各々が受け持つ特性によって成り立っている。
東京中央は研究、西武は食料、横須賀は武器。
「横須賀は…なんて申し入れをしてきたんだ?」
「簡単さ」
柏木はそう言って要点の纏めてある紙を八城に渡す。
(横須賀中央は、東京中央へ期限中に「歌姫」なる人物の有用性を示す、又は処分する事を強く願う物である。
これが実行されない場合。此方が一方的にこの関係を破棄する事を宣言する。)
そしてその条項に沿う様に視線を巡らせる
「期限は後二週間……」
「他にも頭を悩ませる条項があるのだけれどまだ見たいかい?」
「いや…今日は辞めとくよ…」
「八城、コレがどういう物か分かるかい?」
「ああ…」
八城は腹立たしげにその紙を柏木に突き返した。
「つまり向こうはこっちに恐怖してるって事だろ?」
「その通りだね、誰かが知らせる必要の無い情報を向こうに流したという事だろう、八城は見当が付きそうかい?」
「そんなの、一人に決まってるだろ…」
そう、この情報を抱えている人間は数少ない。
そしてこの情報の価値を知っている人間はこの情報を外に開示したりしない。
情報を開示し、そして開示してその後の展開が有益に働く人間は誰か?
八城は一人だけ心当たりがある。
「こんな事やる奴一華ぐらいしか居ないだろうな…」
「僕も同意見だ」
そうつまり横須賀中央へ情報を横流しにしたという事だ。
「奴らを引き寄せる声」それだけ聞いてもこの世界では恐怖の対象になる。
それがクイーンですら移動を開始する脅威ならどうだろう?
それは戦略兵器と同じ意味を持つ。
どんな情報や武器より恐ろしい物があるとするなら、それは天王催花の存在なのかもしれない。
「だから殺すのか?天王寺催花を?」
「そうだよ、だから殺すんだ。天王寺催花を」
尋ねた八城が馬鹿だった。
どう聞いた所で柏木という人間が導き出す答えは知っていた筈だ。
柏木にとって、その存在が遠因になり、東京中央の脅威となるのなら、最も無難な方法を取る事は分かっていた。
「俺は反対だ。天王寺催花にはまだ利用価値がある。それに彼女の持つ力は簡単に今の現状を瓦解出来る一手になりうる。もう一度横須賀の中央に打診して…」
まだまだ長い通路を、二つの足音を木霊させながら足下の暗闇を頼りないライト一本で払い歩を進めていく。
「そうだね、僕もそう思う。だから僕も今八城が言った様に、もう一度横須賀に打診を送ったさ。そして返って来た返事だが「二択何方かの即時の実行を要請する」との事だよ。横須賀は随分東京中央を恐れている様子だね……まぁ無理も無いかもしれない。東京中央管轄の111番街区常駐隊隊長の離反を許し、中央利益の根幹とも言える研究者を持って行かれたのだからね。確かに横須賀中央が東京中央の管理能力に疑義を示すのも頷ける事だ」
「裏切り者が出た東京を信用出来ないって事か…」
「端的に言うならそういう事だね。それにその裏切り者が元八番隊というのがこの事態をより大きな物に見せている。もう分かっていると思うが八城、君は内にも外にも敵を作りすぎた」
八城は小さく嘆息を付き、足下を確認しながら階段を降りていく。
「あの時の一華と同じだな。結局信じきれなければ、俺も、この中央から出て行かなければ行けないんだからな」
「それをさせない為に君が君自身の手で、君の嫌疑を晴らさなければいけない。その為の天王寺催花だ」
八城が携えた刀が一層重く感じるのはきっと気のせいじゃない。
今この刀の重さは一人の命の重みと相違ない。
「俺が天王寺催花を斬って、それで俺の嫌疑が晴れるのか?」
「外向きには、八城への疑いは払拭出来ると僕は考えているよ」
八城の嫌疑とは何か
野火止一華の裏切りに始まり
訓練生篝火雛の引き抜き。
あまつさえ、元八番隊から裏切り者を出した。
その不信感はそのまま、現八番隊への不信感になりうる。
現八番隊が不信感を持たれた場合、その不利益は今の隊員達に降り掛かるだろう。
この一刀で八城への不信感の一端でも払拭出来るのであれば、やらない手は無いだろう。
それに横須賀が東京中央を警戒するのも頷ける。
というのも天王寺催花の声は、この世界において、最大級の暴力となりうる力だ。
奴らを引きつけ、その歌に惹かれる様にクイーンが動き出す。
「歌姫」の異名は恐れと共に広がり、遂には本人の元に無慈悲な指示が飛ばされる結果をもたらした。
「ただね、彼女に対してはもう一つの条件がある。正直僕は実行不可能だと思う。僕は、天王寺催花と東雲八城を天秤に掛けて君を選んだ。だから君の意見を聞きたいのさ、東雲八城の天秤は、一体何方に傾くのかをね」
柏木と八城は一つの鉄扉の前に立ち止まり、番号を入力する。
厳重という言葉が生温い、幾重にも閉ざされた扉が開く。
扉の奥には一人の少女が床に座り込みながらもゆっくりと顔を上げた。
人間には災厄と評されてもおかしく無い、大き過ぎる力を宿した天王寺催花の瞳には、空虚と夜空の闇が宿っている。
何度も擦ったのだろう、頬はうっすらと赤く腫れている
「また泣いていたのか?」
声を掛けた人物が八城だと気付いた催花は、その表情を隠す為に体育座りの膝小僧に顔を埋めてしまった。
返って来る声が無い事は分かっていた。
今現在は声を失っている事になっている。
自分の声が殺した人の数が莫大だと気付いた時、天王寺催花が己に課した楔だった。
その楔は何時しか本当に天王寺催花から、生きる意味と同等である声を本当の意味で奪っていった。
失声症という楔は、催花にとって何より都合が良かった事は間違いない。
彼女は「歌姫」として命より大切だった声を失い、ようやく命を繋いだと言えるだろう。
でなければ彼女は自死していたとしてもおかしくなかった。
だがそんな天王寺催花の不運は、己に声が戻った事に、また始まってしまった。
「今、お前は…喋れるのか?」
そう問い掛けた八城の言葉に、弱々しくも、でも確かに天王寺催花は首を縦に振る。
喜ばしい話の筈だ。
こんな形で絶望する必要はない筈なのだ。
だから天王寺催花が書いた次の文字に、八城は珍しくも表情を歪ませた。
「お願いします」
そして、もう一枚の紙が捲られる。
「私を殺して下さい」
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