第118話 贖罪1



「八っさんこれ何度見ても随分やられたねえ、特に肩が酷いねえ、困ったねえ」

「ゴンさんこの傷、どのぐらいで治りそうですか?」

八城は包帯を替える為の擦れた様な痛みに顔をしかめながら、目の前に居る初老に、自らの傷の具合を尋ねた。

「う〜ん難しいねえ、何とも言えないねえ、でも八っさんは、まだマシだねえ問題はこっちだもの、酷いねえ。誰にやられたんだろうねえ」

そう言って、ゴンと呼ばれている男性は横に居る時雨の服を捲り上げる。

包帯越しに血が滲み出てかなり時間が経過しているのか、その包帯は酸化して黒ずみ始めている。

時雨の傷は、後僅かズレていれば致命傷だったらしい。

「クソったれ!人の服勝手に捲りやがって!これ、セクハラ案件だかんな!クソジジイ!」

悪態の内容はいつも通りだが、顔色がいいとは言えない。

それでも、人の精神を削るための毒舌はいつもの調子を遺憾なく発揮している。

「大将!こんな老いぼれがシングルNo.ってのはマジなのかよ!信じらんねえよ!どうにかしてくれ!」

三郷善の裏切り以降111番街区は閉鎖。

常駐隊と残っている研究員は他番街区へ振り分けられ、戦いにおいて重傷を負った八城、時雨並びに、美月、桃は中央へ強制送還された。

無論、仮設十番隊の紬、桜も中央へ送り返されている。

一足早く送り返された怪我人達を中央で待っていたのはシングルNo.九の鬼瓦権蔵だった。

「鬼瓦権蔵」通称「ゴンさん」と呼ばれる人物は、遠征隊唯一の救護を担当する人間だ。

権蔵は時雨の包帯を手慣れた手つきで解いていく。

「うん、でもねえ、コレは応急処置が適切だったんだねえ、でなければ時雨君は今頃、アッチやコッチに行ってても、おかしくないだろうねえ。コレだけの技術一体誰がやったんだろうねえ、是非僕の九番隊に入ってもらいたいねえ」

権蔵は時雨の包帯を替える際に患部を見て惚れ惚れと言葉を零した。

「てめえ!クソジジイ!人様の身体見て、和んでんじゃねえよ!さっさと包帯を替えたら服を戻しやがれ!」

時雨は恐れ知らずにも、権蔵を足で向こう側に追いやろうとしていた。

「おいやめろって!ゴンさんはこれでもシングルNo.時代の大先輩なんだからな!確かに!変態かもしれないけど!腕は確かなんだから!敵に回す様な事を言うんじゃない!」

「うん僕は変態じゃあないけれどもねえ、でも藤崎ちゃんは実の所大ファンだったからねえ、そんな藤崎ちゃんのあられもない姿…正直興奮冷めやらぬというのが正直な所だねえ」

「やっぱり変態じゃねえかよ!!クッソ!触るんじゃねえよ!!つうかコッチ見んな!」

「悪くないねえ、これだけの会話を楽しむ為に一体何枚の握手券付きCDを買わなければいけないのか…そして、あの夢にまで見たアイドルに、僕は今罵られているんだねえ」

噛み締める様にそう零す権蔵は、元々アイドルオタクと呼ばれる人種だった。

医者をしながら奥さんを養い子供を育て、時折アイドルのライブに赴く、人畜無害だった筈なのだが…

「ゴンさん!やめて下さいよ!奥さんと子供を裏切る事になりますよ!!変な事しないで下さい!まだ間に合いますから!」

据わった瞳を滾らせ権蔵は一歩また一歩と時雨へ近づいていく

「ふへへへ〜時雨ちゃんだねえ…本当に僕の目の前に居るんだねえ〜僕のお願い聞いて欲しいねえ?」

「嫌だぜ!ちくちょう!大将!こいつどうにかしてくれよ!きもちわりいぜ!おい近づくんじゃねえよ!」

八城にはカーテンで仕切られた向こう側で何が起こっているのかは分からない。

だが時雨が珍しくも悲鳴を上げながら、八城へ助けを求める事は異常事態と言って差し支えない。

八城も怪我人である事は変わらない。

無論、無闇に動けばその傷口に触る。

だが仲間の危機だ。八城は痛む肩口を抑えながらどうにか身体を起こす

「てめえ!そんな黒光りした硬い物を私に持たせんじゃねえ!ぜってえやらねえからな!」

「ふへへへ、そうは言っても身体は正直だねえ、随分手慣れているみたいだねえ」

「クソったれ…一回だけだ、もうやってやらねえからな…」

「うんうん、その傷だからねえ、それに素直な事はいいことだねえ」

「ゴンさん!駄目だ!その一線は超えたら戻れなくなりますから!」

時雨がいくら人間をやめた元アイドルであろうと、見て見ぬ振りでは心が痛む。

八城は手に掛けたカーテンを勢い良く開く。

そこには、肢体を露わにした時雨に、股がる権蔵は居らず、

代わりに、黒いマジックペンを握らされた時雨が、心底癒そうに権蔵の服に自らのサインを書いていた。

「おう大将も書いて欲しいのか?」

「今は僕の順番だからねえ、八っさんが隊長でも、今だけは、順番を守らないとねえ」

権蔵は今まさに、従順な犬と言って差し支えないだろう。

かしずくその姿にシングルNo.である威厳は無い。そこには、生涯をアイドルに捧げた男の背中があるだけだ。

「僕はねえ、もう死んでも良いと思っているんだねえ」

権蔵はしみじみとその服を抱きしめる。

八城の目から見ても、もう気持が悪い。

「死ぬんじゃねえよ!奥さんを大事にしねえなら!てめえのその服破くかんな!」

「この服に誓って、妻を一生大切にする事を、僕は此処に誓うねえ」

「ゴンさん…今の言葉そのまま奥さんに伝えたらきっと悲しみますよ…」

八城が聞いても悲しいのだ、奥さんが聞けばそれはもう離婚の危機と言っても過言ではないだろう。

「うん、殺されてしまうかもしれないねえ…でもほら、此処最近は僕家が家に居てもほら…ね…何だ?あなた返って来たの?とか、息子からも、色々ね?きっと、あの子も二次成長が始まったんだろうねえ…」

権蔵は遠い目をしながら、自分に優しかった彼の時を思い返す。

「僕も家に帰って、「お帰り」を言ってくれる奥さんが欲しかったねえ」

悲しみと哀愁の詰まった瞳は、涙こそ流さないが、それでも何かを物語っている。

こんな業を背負った権蔵を勇気づけたい。

そう思う事は、今まで世話になった八城にとって普通の事だった。

長らく時間を共にして来たシングルNo.として、何か八城に出来る事は無いか?そう考えた時に八城は時雨の書いたそのサインに一つの答えを見つける。

「ゴンさん…時雨には俺から言っておくので、好きな場所にサイン書いてもらって下さい…」

「おい!大将!てめえ!裏切りやがったな!」

「すまないねえ、じゃあ早速、服じゃなくて、そのまま背中にもお願いしようかねえ」

叫び声を上げながら時雨がまたマジックペンを握らされそうになった時、真向かいのカーテンが勢い良く開いた。

「アンタ達!五月蝿いだけど!美月が寝てるんだから静かにしてよ!」

そう同室になったのは何も時雨だけではない。美月と桃も当事者として同室になっている。

「大体ね!アンタ!何なのよ!私達を助けに来ないで!何処でやられたかと思ったら、お姉ちゃんにやられたらしいじゃない!」

「おうおう、言われてるぜ、大将!」

「事実だから言い返せないだよな…」

「それに比べて時雨さんは私達を助けてくれたのよ!本当にかっこ良かったんだから!アンタと違ってね!」

あれからというもの、真壁桃は完全に時雨に傾倒してしまった。

アイドルとして活動していた時雨は無論整った顔立ちをしている。

そして男勝りな口調と相まって、桃の性癖にカッチリと嵌ってしまったらしい。

「それはそうだろ!時雨は元アイドルだぞ!」

「アイドルは関係ないわよ!時雨さんはあの嵐の中颯爽と助けに来て、私と美月を間一髪の所で助けてくれたんだから!」

飼い主に尻尾を降る犬とはこういう感じなのだろうか。

桃に動けない傷が無ければ、今頃は時雨へ抱きついていたに違いない。

だが何よりムカつくのは、時雨だ。

時雨は喜色満面に笑みを隠そうともせず八城へ当てつけた。

通称ドヤ顔と呼ばれる物。

「面倒くせえ…おい誰か…桜を呼べ、こいつを叱ってもらおう」

「嫌よ!最近お姉ちゃん、アンタの事になるとうるさいんだもん!」

「桃ちゃんそう言う事は…あんまり八城さん本人に言っちゃ駄目だよ」

美月は寝起きのぼんやりとした表情でベッドから身を起こした。

どうやらこの馬鹿騒ぎで寝ていた所を起こしてしまったらしい。

美月が痛む足をベッドの上で動かし、カーテンを開け、寝起きそのままのボサボサになってしまった髪を手櫛で直しながらベッドに座る。

「おい!時雨!ああいう仕草!美月が今やったやつ!お前真似してみろ!」

八城が言った事に反発する様に、時雨はガリガリと頭皮を掻く。

「女子力とかいう、今の世界で何の力にもならないやつなら、私はステ振りしねえよ、というか大将…話題の逸らし方が露骨すぎんだろが…」

「別に逸らしてないから…ただちょっとそういう話題の気分じゃないだけだから…」

確かに、あの一件以来桜の様子がおかしくなった。

それはこの病室に居る誰もが察するに余りある変化だったと言える。

「桜を呼びたくないのは、大将なのか桃なのか分かりゃしねえな」

「おい俺は別に桜に会いたくない訳じゃない!ただ…そう…最近あいつと話すのが、気まずいんだよ…」

その時二つの足音が廊下向こうから聞こえて来る。

昼下がりのこの時刻に来る二つの足音は、いつも決まった二人組だ。

マリアが農耕をしている新たな畑の開拓を終えて、足取りが重いのだろう

廊下に響く足音にもいつもより心無しか張りが無い。

「大将、急に眠くなっちまったぜ、後はよろしく頼むぜ、権蔵!てめえもこっちだ!」

「うん、悪くないねえ〜というか…最高だねえ」

権蔵は時雨に肩を回され、歓喜の声を上げながら、カーテン向こうのベッドに引きずり込まれていく。

「嫌よ!もう、あの紬とかいう、ちっさい奴に厭味を言われるのは!」

その悲鳴と共に、目の前のカーテンが閉め切られた。

桜とセットで来る紬はくる度に桃へネチネチと厭味を言う姿は、さながら嫁姑と見紛う姿である

それでも起こした問題の大半は、桃が問題の大半を占めているため、反論も出来ず散々に言われ続けている。

「美月は…」

八城の縋る目線の先。

美月は複雑そうに笑いゆっくりとその仕切りを閉めていく。

「待った!待て待て!何でだ!美月!良いじゃん!一緒にお喋りしようよ!」

「私も、ちょっと…足が痛くて…」

その言葉を最後に八城の一画を除き全てのカーテンが閉め切られてしまった。

であるなら八城もカーテンを閉めようとカーテンに手を伸ばす。

「おい誰だよ!俺のカーテン固結びにした奴!」

「わりいな大将、ちょっと手が寂しくてな」

「時雨!!」

痛い肩が痛い。

上手く手に力が入らない。

そうして、カーテンに八城がモタモタしている間にその扉が開かれる。


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