第94話 鬼影1

地区遠征まで残り4日

翌日は午前中残暑を冷やす雨が立ち込めたが、午後からは冷やされたアスファルトを温めようとかんかん照りの太陽の光りが頭上から降り注ぎ、蝉は最後の命を振り絞りながら誰も居ない街に、騒がしさをもたらしている。

そんな第一バリケード前には、八城を含めた三人の姿がある。

「美月、雛、それから桃。今日も資源探査に行くからな。準備は出来てるか?」

尋ねる八城を見ては外れる視線は、八城が視線を逸らすと追い縋るように張り付いて来た。ならば、何も気にしてない風を装うのが優しさだろう。

桃が訓練に参加している事を誰も気に留めていない。

違う、美月も雛も、気に留めないのではなく気にしない様にしているのだろう。

昨日の話に触れる事は無い。

それでもフレグラを使った等の本人は、何かを喋ろうと八城に近づいては、伸ばした指先は空を切りほんの僅かな距離が桃にとってはどんな距離よりも遠かった。

前を歩く八城がそんな事に気付く訳も無い。

「今日は二人一組で資源探査をしていく。組み分けは雛と美月、俺と桃で行う。一時間後に地図上一キロ先のモールに集合だ。

「了解です」

「了解……です」

二人は何かを八城に尋ねる事も無く、その場を離れて行く。

二人の背中が見えなくなったのを見計らい八城は後ろに振り返る。

「なあ桃」

二人の背中が見えなくなった時、声を掛けたのは以外にも八城の方だった。

「お前が使ったフレグラは、元来俺達からしても、使って欲しい代物じゃない」

桜が何を言ったのか、八城には分からない。だからフレグラを作った一旦を知る八城はこれだけは桃に伝えておかなければならないと思ったのだ。

「だから、あの二人には何も話していないわけ?」

桃が言うあの二人とは、雛と美月のことだ。

そして八城はその通り二人にフレグラの事を説明していない。

「そもそも、知らなければ普通は手に入れる事も出来ないからな」

「手に入らない……ね。私は手に入ったけど?」

桃はそう言いながらも溜め息が出た。

桃自身、減らず口だと思う。こんな事が言いたい訳じゃない。もっと八城に言わなければいけない事がある。

「お前を唆した奴が居る。だから俺はお前が根本と繋がっていると思ってない」

「何でそんな風に思える訳?お姉ちゃんから聞いたけど、裏切り者が居るんでしょ?今の所私が一番の最有力候補なんじゃないの?」

裏切り者

その言葉に八城は嫌気が差さす。

確かに桃は野火止一華と北丸子しか持ち得ないフレグラを持っていた。

フレグラの出所はまず間違いなく野火止一華で間違いない。

なら野火止一華が単独で研究員を連れ去るか?

それは野火止一華であろうと不可能だろう。

殺す事は得意でも、殺さないで連れて行くなど野火止一華の専門外だ。

協力者がいる。

それも只の協力者ではない。

内部事情に精通している人間だ。

そう考えると必然的に桃は役不足のように思える。

だが、フレグラを持っていた桃が、一番に疑われておかしくない立場であるのは今現在も変わる事は無い。

それらの状況を鑑みて八城はそれでも思うのだ。

「お前が桜を裏切るとは思えない。それに俺もお前を裏切らせるつもりは無い」

「ばっかみたい……なによ……それ……」

嗚咽が混じるその声の方角を、八城は見ようとはしない。

「馬鹿みたいだろうが、仕方ないだろ。お前の姉はお前よりよっぽど馬鹿なんだ。お前が守ってやらないといけないじゃないのか?」

「お姉ちゃんは馬鹿じゃないもん!」

「どうだかな、俺が知る限りじゃ、上から二、三番目には馬鹿だと思うが」

「だから!違うって!」

海風から陸風に切り替わる時間、つむじ風が二人の間をすり抜けて木々の深緑を揺らした。

「話がズレたが、俺が言いたい事は一つだ。フレグラを使うなとは俺は言えない。だけどお前がもし必要だと感じたらフレグラを迷わず使え。まだ持ってるんだろ?」

桃は一つ鼓動が跳ねるのを感じた後に、ポケットにある仄かな厚みに手を添えた。

それは頼ってしまった事の事実と、真壁桃の罪悪感の在処。

「ねぇ?」

「何だよ」

少し前なら八城の態度の一つ一つに、苛立ちを募らせた言葉だったけれど、今はそれが頼もしく感じていた。

拠り所のない恐怖はきっと今も何処かにあるけれど、此れだけは忘れてはいけないから。

自分が助けられたなら、助けられた分の期待には応えたい。

それは桃の小さな意地だ。

元からあったのか、初めて芽生えたのかは分からない。

桜と桃が交わした約束は二人だけの物、でもこれはあの時感じた恐怖にも耐えうる感情なのかもしれない。

だからこの時だけは、素直になれた。

「八城、助けてくれてありがとう」

「お前俺の名前知ってたんだな」

「撤回、あんたにはもう二度と言わないから」

そう言って桃は歩き出す。

「行くわよ、こんな所でグズグズしてられないわ」

八城は先を行く頼りない背中を見つめ、ゆっくりとその後を付いて行く。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る