第89話 フレグラ4

桃は八城の後ろ姿を見て、何故?という疑問だけが頭をよぎった。

指先に力を……腕に力を込めて立ち上がろうとしても、その足は震えるばかりでどう足掻いても立ち上がる事すら間々ならない。

動かない

動けないのではない

動かないのだ

疲れからか?

違う。

痛みからか?

それも違う

では何故か?

理由は分かっている。

それは自分自身の事だから。

誰よりも身に染みて分かっている。

この足が動かない理由。

指先が震える理由

目を伏せ、耳を塞げば、誰かが何とかしてくれた。

だが違う、あの時とは大きく違う。

今は、桃自身が刀を取ってしまったから、

何とかする事が自分の役目。

どうにもならない恐怖。

今桃の背に乗り、彼女の動きを妨げている全てだ。

振り払えない。

纏わり付く死の予感が、どうしても振り払えない。

桃に背中を見せて未だに量産刃を振るう八城の姿は、花見川の橋上にいくつもの血華を咲かせている。

桃に手を伸ばす「フェイズ1」の腕を斬り、胴を蹴り付け、逆手に持った刀を滑らせ首を落とす。

その場所に桃が垣間みた流麗な刀捌きは無い。

時に荒々しく、掴まれた腕を振りはらい、刀を使い、どうにか桃の生存空間を抉じ開ける。

動く事が出来ない自分が足手まといだと見せ付けられている。

「動け……そうにないか」

目の前で戦う八城と目が合った。

優しさとも分からない瞳がこちらを見つめ、また直に目の前の奴らに視線を戻した。

「何でよ……私なんて、見捨てればいいじゃない。」

「なんだ?身体は動かない割に無駄口は動くんだな」

その背中から答えが返ってくるとは思わなかった。

だから、怒りより先に恥ずかしさが顔を出す。

「何勝手に聞いてんのよ」

「お前が!勝手に!喋ってんだろうが!」

「もういいわよ……あんたは、行きなさいよ。あんたどうせ自分一人ならこんな状況、どうとでもなるでしょ」

「行ける!訳が!無いだろ!」

息を切らした八城はその息を整える暇も無く次の「奴ら」を斬りつける。

「お前みたいな馬鹿でも生き残ってもらわないと困るんだよ!」

「馬鹿なら諦めたらいいじゃない。何処まで行ってもこんな馬鹿は、足手まといじゃない」

「その馬鹿が!自分とこの!隊員の妹じゃなけりゃあな!とっくの昔に諦めてるよ!」

八城のその言葉には桃は若干の怒りを覚える。

なんだ、自分が桜の妹だからこの人は助けているのか。

じゃあ、もし……

「もし、私がお姉ちゃんの妹じゃなかったら助けないんだ……」

「当たり前だろ!助けねえよ!」

八城は一瞬の躊躇いも無くそう言い退けた。

その言葉を聞いて自身が何故こんなにも失望しているのか分からない。

八城がシングルNo.で、それに見合った腕前を持っているから誰かを助ける事が当たり前なのだと勝手に思っていた。

「最低……」

そんな言葉が不思議と口をついていた。

「最低か!お前ら姉妹は似てる様で全く似てないな」

「何がよ……」

「お前ら姉妹は!揃いも揃って自分勝手だ!」

「なによそれ、意味分かんないわ……」

「お前の姉は誰かを助ける時に、自分の命を計算に入れないで人を助けようとする!勿論!他の人間の命も計算に入れない!だけどお前と桜で決定的に違うのは、それでも誰かを助けてることだろうな!だけどお前はどうだ!お前は今俺に最低だって言ったな!確かに俺は最低だ!だがな!今のお前も、俺と同じぐらいには最低だ!」

その一言は、桃の中にある何かをちぎった。

「あんたに……あんたなんかに!何が分かるのよ!強くなる為に手段を選べない人間の事なんか!」

「知らねえよ!分かろうとも思わないね!」

「そうでしょうね!!あんたには分かんないわよ!」

桃に喚き散らされた八城も、目前の敵を斬って捨てると同時に叫ぶ。

「いい加減にしろ!お前はなにがしたいんだよ! 」

「フェイズ1」は今もその数を増やしながら着実に八城と桃を追い込んでいく。

桃の中で結論は出ている。だがそれを思考の中で実像を結ばない。

「分かんないわよ!私だって!」

桃は座り込んでいた場所からゆっくりと立ち上がる。

それに八城は目を見開いた。

まだ二分と経っていない…それでも桃は己の足で立ち上がってみせた。

「私だって!強く……なりたいのよ……」

「フェイズ2」が再度肉薄するのを最後に残った刀で顎下から突き刺し桃を強引に自分の胸元に引き寄せる

不屈の瞳には桜には無い輝きが宿っている。

「あんた!!変態!ちょっ!離しなさい!何処触ってるのよ!」

だが八城はそんな事に取りあう事は無い。そもそも文句を言われる筋合いなど無い。

「フェイズ2」にやられた腹部の痛みを抑えながら、桃を抱き寄せ、八城は花見川に身を躍らせる。

急激に引き込まれ、激しい水しぶきと濁った水が視界を覆う。

八城は、何かを確認する様に川岸を見て泳ぎ始める。

桃もそれに習う様にその方向に泳ぎ、岸に上がる。

「八城君!!」

紬が血相を変えて岸に近づき、その後ろから美月と雛も続いて現れた。

「八城君血が出てる!何故こんなに……とにかく早く止血する!」

見れば八城は腹部からおびただしい量の血が、隊服の内側から染み出ていた。

それを確認した美月と雛は、早急に応急処置を始める。

「何で……あんた……」

紬は八城の腹部を破き、布を患部にキツく宛てがいながら、隣で呆然と立つ桃の姿を睨みつけた

「これはどういう事!何故八城君が怪我している!」

「何故って……」

桃は答える事など出来ない。この光景は自分が目指した物ではない。

何故こうなったか。

分かっている。

それが分かっていて、答える事など出来る筈も無い。

「ふざけないで!お前の無責任な行動がこの原因を生んだ!八城君はお前を助けにいってこうなっている!答えて!何故八城君は怪我をしている!」

紬の小柄な身体が桃の前に立ちはだかった。

紬は聞いている、それは決して原因の究明ではない。

これは責任の追及だ。

「知らなっ……わから……な、わっわた……し……」

桃が服用したフレグラの効果は今が最高潮に達していた。

桃は頭を抑える様にフラフラとして呼吸が荒くなる。

紬はそれを言い逃れの挙動と捉え、胸ぐらを下方に引っ張ると抵抗無く桃がそちらに倒れ込んでしまう。

「ふざけないでって……なにこれ」

意識を失った桃を紬は何とか抱きかかえ、不機嫌に呟いたのだった。

八城は川沿いで応急処置を済ませ立ち上がろうと身体を起こす。

「八城さんまだ動いたら駄目ですよ!」

美月が宥めるがそんな時間の余裕はない。

「紬、早めに111に戻るぞ。」

「でも!八城君その傷じゃ!」

「こんな傷、多山大に比べれば大した事無い。それより今お前が抱えてる、そいつの方が不味いだろ。早く戻って桜に知らせないと」

有無を言わせぬ八城の表情は今の自体が紬の想像を遥かに超えている事を暗に感じさせて来る。

「何があったの?」

「桃のポケット中、多分俺達が考えるより最悪の展開だ」

紬は気絶している桃のポケットを探り一つの袋を取り出した。

チャック付きの透明なビニール袋。

その中には特徴的な紫色の錠剤がいくつか入っていた。

「これフレグラ?何故ここに……」

紬は忌々しい物を触れてしまったと、ビニールごと河に投げ捨てる。

フレグラ

それは鬼神薬と並んで開発されたオーバードラックである。

フレグラは鬼神薬開発時に偶然出来た鬼神薬の副産物。

鬼神薬の開発者は野火止一華と北丸子の二名。

鬼神薬の内容物がブラックボックスなのに対し、フレグラはその内容物が明らかになっており、素材さえ揃ってしまえば、比較的作る事が出来る代物である。

何よりフレグラが重宝されるのは鬼神薬が適合者にしか作用しないのに対し、フレグラはその効果を誰にでも発揮する代物であると言う点だろう。

だからこそ北丸子はフレグラの危険性、即ち依存性と中毒性という観点からその製造法を秘匿し、作ったフレグラもその全てを厳重に地下区画へ保管した。

情報が漏れるとするなら、人物は一人だ。

「紬、今間違いなく、この中央に一華が来てる。急がなければ間に合わない」

八城は鋭い痛みと身体の重さを感じながらも、雛と美月の二人に桃を担がせ、最後尾を紬に一任し111番街区へ歩き出した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る