第88話 フレグラ3

時間は遡り一五分前

八城は戦闘に入った直後から、桃の様子がおかしくなっている事に気付いた。

だが、今日は紬も行動を共にしている。

危険は昨日より少ない筈だと……

それは奴らの数が少しずつ増えていった時起こった。

昨日の今日、八城は信じられない光景に目を見張る。

それは桃が一人で作り出した死体の山。

それはゆうに30を超えている。

「アハハハハ!なんだ!こんなに!簡単なんじゃない!!」

技も駆け引きもない、純然たる力を叩き付け、桃は肢体を奴らの体液で染め上げていた。

「八城君、あれ……」

その光景を作り出している桃が正気には見えない。

口が裂ける程の邪悪な笑みと、奇声の様な笑い声。

振りかざす量産刃は、刃こぼれを起こしてもなお、桃の手によって強引に振るわれる。

桃は斬れぬ刀を気にした様子は無く、次の敵に刀を振りかざしその肉片を千切って見せた。

「あいつもしかして、止まれ桃!」

八城の知る中で人間をおかしくさせる物、そして比較的安価で手に入る物は一つだ。

「別に大丈夫よ!私今までで、今が!一番!調子が!いいん!だから!」

声は届いているものの、桃は止まる事無く辺りの敵を所構わず斬り倒していく。

「全部私が倒してやるわよ!」

「桃!いいから下がれ!!「フェイズ2」が来てる!」

前方、国道十四号線花見川を挟んだ千葉方面からは多くの奴らに混じって「フェイズ2」が二体紛れ込み、こちらに向かって来ている。

「良い!いいわ!このぐらい!私に任せなさいよ!」

切っ先を一体に引っかけながら二体を同時に切り伏せ、僅かに覗いた隙間に身を踊らせ、頭蓋上部を刺突、左方から来るもう一体に足を掛け転ばせた所を上から貫いてみせる。

桃は4体を即座に無力化させ、自らその「フェイズ2」に接敵していく。

「あの馬鹿!紬!二人を頼む!俺は……クソったれをどうにかする!」

八城が続けて行こうとしたところに、フェイズ1の壁が出来き、橋中腹に居る筈の桃の姿は見えなくなってしまった。

紬はすかさず拳銃に手を掛けるが、それを八城が静止させる。

「紬!ここは発砲禁止区画だ!」

発砲禁止区画とは番街区圏内外周二キロ範囲。

目の前にある橋を渡りきれば、発砲禁止区画外だが今八城が居る場所は禁止区画内。

付け加えるなら、この一本道であるこの場所で発砲音を響かせようものなら、橋向こうに居る、まだこちらに気付いていない奴らが軒並みこちらに集結してしまうだろう。

「でもこのままじゃ!」

「やめろ!それに、ここで発砲したら桃が危ない!」

紬は焦りを感じながらも、ホルスターに伸びた腕を小太刀に戻す。

「でもどうする?このままじゃ、じり貧」

とその時、一体の「フェイズ2」が、「フェイズ1」の奴らを吹き飛ばしこちらに突っ込んで来た。

その一体は八城を通り過ぎ、紬の小太刀に切られながらも、その勢いを止めず後ろに居た雛にその鉄柱を叩き付ける。

雛も咄嗟にその鉄柱を刀でいなし、致命傷を免れるが振り抜かれた膂力は凄まじく、雛は壁にそのまま叩き付けられた。

鈍い身体をなんとか立て直そうと雛が立ち上がった所に、「フェイズ2」が醜く膨れ上がった拳を続け様に叩き付けた。

骨が軋み、肺から空気の抜ける音共に、雛はその身をコンクリートに削られながら美月の居る後方まで吹き飛ばさる。

「雛ちゃん!」

「あっ、あぐっ、ああぁ……」

美月が雛を立ち上がらせようと駆け寄るが、雛は腹部を抑え、その場に踞ってしまう。

「いくぞ紬!」

八城の声。

その声が何をしろと言っているのか、長い付き合いの紬からしてみれば簡単な問いかけだ。

「分かってる」

紬は即座に動く。持っていたい小太刀をフェイズ2のガラ空きの脚部に突き刺し、替え刃のジョイント部分を外し、脚部収納から新たな替え刃を取り付ける。

「フェイズ2」の振り上げた二の腕を斬り付け、迫るもう一方の腕をブーツの裏で蹴り付け距離を取る。

「八城君任せる」

「了解だ」

袈裟切りから逆袈裟切り。

両腕を斬り飛ばし、フェイズ2が振り返る間もなく、その頭を斬り飛ばした。

「紬、この二人を任せる。雛の様子をみながら、出来る限りここで足止めをして、無理そうなら俺と桃に構わず撤退してくれ」

「八城君はどうするつもり……って、やっぱり言わなくていい」

「分かってるなら聞くなよ」

「アレは桜より手に負えない」

「お前が言うな。後は任せる」

「了解、気をつけて」

八城は比較的奴らの層が薄い場所を斬り、斬り、斬り。

前進する。

二百メートル程先に進んだ場所。

目に映ったのは一人の少女が狂気を孕んだ目で「フェイズ2」を力技だけで押し込んでいる姿。

離されては食らいつき、周りを斬り、だが自身の傷に気付いて居ない。

「おい!早く戻るぞ!」

「うるっさいなぁ!私に任せてれば!良いのよ!」

「何言ってんだ!これは訓練だぞ!今危険を侵す必要が何処にあるんだ!」

「いいの!私は!これを乗り越えなきゃ!私はこんな所で怖がってる場合じゃないのよ!」

「そんな物を使って意味があるのか!」

「そんな物?何の話よ」

桃は苛烈な攻め込みを中断する。その代わりに八城をジロリと睨む。

「お前、まさかと思ったがやっぱり」

八城の頭に浮かぶのは鬼神薬ともう一つ対となる物

「だから何の話よ!」

「フレグラだろ……それ」

八城は手近の奴らの一体を切り伏せ、僅かな時間で桃の胸ぐらを掴み上げた。

「お前は、それがどんな物か分かって使ってんのか!」

静かに燃える感情を押さえ込み、八城は桃に問いかけた。

だが等の桃はさして気にした様子は無い。

「知ってるわよ、有名じゃない、フレグラ」

フレグラは鬼神薬と別の用途で開発されたオーバードラックの一種だ。

脳神経、伝達、言語中枢に至るまで蝕み、その場限りで飛躍的に力を高める事が出来る。

だがこのフレグラ鬼神薬と別の副作用がある。

鬼神薬の副作用は、その効果が切れなくなるという恐ろしい物だが、フレグラもそれに劣らない副作用がある。

フレグラの副作用。

それは中毒性と依存性が鬼神薬の比にならない事だ。

飲めば万能感と、何処までも研ぎすまされた感覚によって、どんな相手であろうと向かって行く事ができる。

だが効果が切れれば、それは反動となって返ってくる。

恐ろしさはより恐ろしく。

痛みは更に強い痛みとなって服用者に襲いかかる。

八城と桃は、視線と吐息が混ざり合う程近い距離でお互いを睨み合っていたが、「フェイズ2」の一撃が二人の距離を分かつ。

「話は後だ、こいつを黙らせる。お前はそこで大人しくしてろ!」

「嫌よ!何で私が大人しくしていないといけないわけ!?あんたこそ横からしゃしゃり出て来ないでよ!」

桃はまた鼻をすすり上げ、腕でそれを強引に拭き取り頬までを赤の色に染め上げた。

「……っ、また出て来たわ」

何処までも自分勝手な桃の行動に、八城はこれだけ言っておく。

「いい加減にしろ!お前のせいで怪我人が出てる!早く戻って迷惑掛けてる全員に謝れ!まだ俺も許してやる」

「は、別にいいじゃない!強ければ何だって守れるんだからさ!」

今の桃には、何を言っても無駄骨に終わるだろう。

それどころか余計な事を言って反感を買えばこれ以上の状況になりかねない。

四方を奴らに囲まれ退路は無い。

そして一番の問題は桃自身だ。

フレグラは特性上一錠でも効果は発揮する。

だが一錠では効果が身体に回るまで若干のタイムラグがある。

無論量を飲めば効果の掛かりも早く、そして深く長い時間その効能に依存する事が出来る。現段階では一錠辺り三十分で限界時間が来る。

桃が一体どれだけの量フレグラを服用したのかは定かでないが、上がる息と滴る汗、何より時折痛みに顔を顰める事が、桃の限界が近い事を表している。

桃はかろうじて噛まれてはいない。

だがそれは噛まれていないだけだ。

額を擦った裂傷、殴打を無理矢理回避した身体、何度も転がった身体は、汗と土と血が入り交じり隊服はドロドロに汚れている。

今桃からフレグラの効果が切れればまず間違いなくこの場所から桃を生きて返す事が不可能になる。

「おい!桃!フレグラはまだあるのか?」

「あんたには関係ないわ!」

「関係の有る、無しは、この際どうでもいい!持ってるなら、今すぐもう一錠飲んどけ!」

フレグラは服用を重ねるごとに依存性が高くなり、その効き目が薄くなっていく。

それはフレグラが敬遠される最大の理由。

服用を重ねれば効き目が薄くなる。

強い効き目を出す為には多くフレグラを服用しなければいけない。

多く服用すれば依存性が更に高くなり、いずれ中毒を引き起こす。

つまり鬼神薬とは真逆の副作用といえる。

ここで桃に服用を進める事は、フレグラの依存性を高める事に他ならない。

「何言って!あれ?何でよこんな……嘘でしょ……」

桃の紅潮していた顔色は次第に青白くなり、指先が微かに震えている。

「もう時間かよ!桃!今は、下がれ!」

八城は肩で桃を突き飛ばし、「フェイズ2」から振るわれた横薙ぎの一撃をまともに受け止める。

腕から肩を伝い全体に痺れが伝う。

「あぁあっく!ぁあああ!いやぁあ!いやよ!」

思う様に身体が動かない桃を横目に八城は、レッグホルスターから拳銃を引き抜き「フェイズ2」の頭部に全弾浴びせ掛けた。

もう、発砲禁止をとやかく言える状況ではない。

「フェイズ2」はよろめきながら後ろに後退するが、濁った泥沼の様な瞳は未だ健在に八城を見つめる。

敵は「フェイズ2」だけではない、周りを少しずつ取り囲む「フェイズ1」にでも一度噛まれてしまえばそこまでだ。

桃は持つ刀で必死に牽制するが、持つ手にすらまともに力が入っている様には見えない。

「桃!早く!フレグラを飲め!」

八城の言葉を聞き思いだした様に震える手を抑えながら、ポケットから一粒の紫色の錠剤を取り出し口に放り込む。

桃の口の中にほんのりと甘みが広がり、独特の香りが鼻孔をくすぐった。

フレグラが効き始めるまで五分といったところだろう。

だが今の状況で五分と待てば、八城と桃は五回死ねる。

だから効果が回り始める二分、せめて桃の身体にフレグラが回り始め、手の震えが止まれば

八城は背を向けた花見川を見る。

そこそこの水深がありそうな濁った水。

川の流れは早いが、奴らに食われるよりかは幾分かいいだろう。

そしてもう一つの問題は、今目の前にある。

「フェイズ2」の存在。

こいつに河中まで来られると厄介だ。

八城は桃に迫るフェイズ1の頭部を即座に斬り落とし、体勢を立て直した「フェイズ2」と流れるように一合打ち合う。

このまま花見川に飛び込めば、今の桃では泳ぐ事が難しい。

出来る限りここで時間を稼ぐ事が必要になる。

八城は迷う思考を振り切るように、背中に桃を庇いながら敵の眼前で、また一体「フェイズ1」を切り伏せた。

だが、今飲んだフレグラの効果が回るより、前回の服用した効果が切れる方が早い。

ついに桃は恐怖心から足がくずおれ、その場にペタンと座り込んでしまう。

「クソったれ!!」

八城はすぐさま桃の腕を取り無理矢理に橋の淵まで連れて行く。

「フェイズ2」は、それを追いかけるように八城に向けて痛烈な一撃を叩き付ける。

人である八城が、それを片腕一本の刀で受け切れる訳も無く、鉄柱は直に生身の身体に叩き込まれた。

叫びは出ない、八城が四年生き残って学んだ事。

痛みから声を出せばより多くの奴らが集まる可能性が有る。

そしてどんな傷を負う事があろうと、声を上げる事と動きを欠く事だけは、あってはいけない。

こじ開けられた体勢を戻しながら、桃が持っていた量産刃を抜き、鉄柱を持つ方の腕を斬りとばす。

フェイズ2は斬られた事などお構いなしに、残る左腕を振るい、八城に掴み掛かる。

八城は右腕でそれをいなしながら、フェイズ2に更に一歩踏み出し、八城を噛もうと近づく顔に掌底打ちを見舞い、手のひらでクルリと返した量産刃をその足に深くまで突き刺した。

手元近くにある、量産刃のロックを解除。

刀身と柄の部分を切り離し、即座に新たな替え刃を取り付けた。

八城の腹部には鉄柱の一撃のより熱と痛みが少しずつ全体に広がり初めている。

「桃!まだ、動け…そうにないか。」

桃は未だ震える手で、自身を搔き抱き、息を殺しながら地面に座り込んでいる。

「頼むぜ、早めにしてくれないと、俺もお前もここでくたばる羽目になるからな」

その言葉が果たして桃に届いたのかは八城には分からない、だがこうなってしまったからには当然引く事は出来ない。

八城はもう一度構えを取り、桃を後方に半円から来る敵に、また一線を浴びせ掛けるのだった。



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