第86話 フレグラ1


訓練生が行う、地区遠征まで残り5日。

この日全ての歯車が動き出す。

最初の言葉は何だったか?

それまでとは打って変わった桃からの殊勝な態度で発せられた一言だった。

「ねえ、お願いがあるんだけど?あんたの戦いを見せてくれない?」

桃は朝食を取っている八城を真っ直ぐに見つめてそう口に出した。

同じ席に着いていた同室の三人が、気まずさからまだ食べかけのトレイを持って早々に席を立ち始めた。

「何だよ急に、あと俺はアンタじゃない、八城だ」

「そんな事どうでもいいでしょ?見せてくれるの?くれないの?」

「何で見ておきたいんだ?」

「参考になるから。」

「俺が?お前の参考になるのか?」

「なるわよ……」

「どう参考になるんだ?」

「別に……いいじゃない、見せなさいよ」

薄気味悪さを感じつつも、八城は昨日の桃を思いだす。

余程あの訓練が効いた様子だ。

上から目線なのは相変わらずだが、食って掛かって来る様子は無い。

「分かった、どう見せればいい?」

「どうって?」

「色々あるだろ。俺はお前と立ち会いでもすれいいのか?それとも昨日と同じ様にやればいいのか?」

そこまでは考えていなかったのか桃は少しその場で考え八城を見る。

「じゃあ今から来て」

「あっおい!ちょっと!」

八城は桃に引っ張られるままに席を立たされる。

すると、散っていた三人が、カラスの様にまだ食べかけのトレイに集まって来る。どうやら分配方法を探り合い始めらしい。

「大将は仕事熱心だぜ!パンは貰っていくからな!」

「私はこの果物を貰う、異論は認めない」

「何で私は小鉢だけなんですか〜納得いきません!全部ジャンケンで決めましょうよ〜」

晩飯の時にでも三人からきっちり回収する事を心に刻み、八城は食堂を後にした。

向かって行った先は訓練場。

朝食の時間に来た事で誰もいる事は無い。

「あんた、何なの?」

「何って……お前は俺が何に見えるんだ?」

「強いて言うなら、冴えない男」

「大当たりだ。俺はこの歳まで冴えた事が無い」

桃としては皮肉を言ったつもりが、コレでは収まりがつかない。

そもそも八城に八つ当たりした事に正当性が無い事を八城自身が理解しているにも関わらず、それを良しとされている事が桃にとって腹立たしい。

「……本当にムカつく!」

「俺にムカついても良い事が無いから、他にムカついてくれ」

「そういう所が!」

綯い交ぜになった気持ちを吐き出そうとして、それが無意味な八つ当たりだと気付き言葉を留める。

そう、コレは八城も通って来た道だ。

だがコレを克服出来なければきっと桃はこれ以上戦う事が出来ない。

「なぁ、もういいだろ?お前が今どんな気持ちなのかも痛い程分かる。結局これからもずっと戦うしかないんだ。桜も紬も、時雨は少し違うな……だけどあいつらだって、恐れ知らずで今まで戦ってる訳じゃない」

「違うわよ。そんな事言われなくても分かってる。でも私は結局力不足だった。これをどう補えばいいの?」

「何の力が欲しいかにもよるんじゃないか?」

「あんたに師事を頼んでる時点で暴力以外あるわけないじゃない」

「辛辣だな、全くその通り過ぎてグゥの音も出ない」

「その割によく喋るのね」

「この会話が終わったら面倒が待ってるんだろ?なら何が何でも会話を引き延ばすのは当たり前だ」

二人は穏やかに話しているが、左腰からぶら下げている獲物にしっかりと手を添えている。

二人は向き合いながら探り合う視線を飛ばしながら相手の出方を伺っている。

風のない室内では時折、人の喧騒が遠くから聞こえて来る。

「随分余裕なのね。なに?私じゃ警戒する必要もないわけ?」

「随分警戒してこれが精一杯なんだよ」

「あっそ……あぁ、そう言えばこれ、返すわ」

そう言って投げられた物は八城にとって全く見覚えの無いペンダント

瞬間、しなやかな一撃が視界の隅から飛び込んで来る。

「っつ!あっぶねえ!」

数瞬気付くのが遅れれば、その刃は八城の腹部に突き刺さっていただろう。

一切の躊躇いが無い刺突。

八城はそれを間一髪で自分の身体と桃の刃の間に手に持っていた刀を鞘ごと滑り込ませた。

「へえ?やるじゃない」

桃は心底驚いたといつも以上に大袈裟に驚いてみせた。

だがそれ以上に八城は驚いていた。

「お前、なんだ?動きが違うな」

明らかな違い、桃の動きが段違いに早い。

それは八城が目を見張る、ともすれば鬼神薬の副作用が顔を覗かせる程に。

「今日は占いの運勢が良かったから!」

「それ四年前の雑誌だろ!」

八城は突きの刃を鞘で振り払い、今一度柄に手を掛けて拍子抜けしてしまった。

というのも桃が刀を鞘に収め、構えすら解いていたからだ。

「どうした?もう終わりでいいのか?」

「今ので分かったから、もういいわ」

スンスンと桃は二回鼻を鳴らした。

鼻が詰まっている様な、その特徴的な鳴らし方に八城は違和感を覚える。

「風邪か?もし風邪なら今日の訓練は休んでいいからな」

桃は未完成の訓練生。

そんな人材を不慮の事故で失いでもすれば、何処にも申し訳が立たない。

何より姉である桜が怖い。

だが桃はもう一度鼻を鳴らしながら、流れ出る何かに鼻を抑える。

「風邪じゃない。少し鼻が詰まってるだけだから、このぐらい平気よ」

抑えた手が鼻の下を擦り一筋の赤が頬まで引かれた。

極度の興奮状態になると血圧が上がり、鼻腔奥の毛細血管が破れる事がある。

八城も昔出した事があり、一華に盛大に笑われたことを思いだした。

だが、今の光景は八城から見て、桃がそこまで興奮していたようにも見えなかった。

「お前、鼻血出てるぞ」

「は?……え、本当」

最初何言ってるのだと睨んで来たが、拭った手の甲の血を見て若干の焦りを見せ、八城が投げたポケットティシュを受け取り鼻の奥に詰めて行く。

「なんだ?興奮したのか?」

「うるっさいわね、別にあんたに興奮したんじゃないわよ!」

「そうか、じゃあ俺はもう戻っていいのか?」

「いいわよ!さっさと戻りなさいよ!もう用は済んだから!」

何処まで上から目線なのかとも思うが、そんな事で騒ぐ程八城も暇ではない。

「じゃあ戻るから、もし本当に具合が悪いなら今日の訓練は休めよ」

八城はそう言い残しその場を後にした。

地区遠征残り五日となると午前中は訓練生による自由訓練期間となる。

つまり、謹慎組の八城と時雨は暇になる。

という訳では勿論無い。

仕事は幾らでもある。

足りない物資調達に番街区周辺警護。

清掃やその他の雑務も加えれば数えきれない。

名義上のみ仮設十番隊である紬と桜の後に続いて、八城と時雨も番街区周辺の警備を行っていた。

「大将!何でこんな事しなけりゃいけねえんだよ!」

「時雨さん謹慎ですよ、き!ん!し!ん!」

一昔前のアニメタイトルみたいな言い回しをする桜に、周りは苛立ちのボルテージをほんの少しだけ上げていた。

「謹慎でもよう!させていい事と!悪い事があるだろうが!」

「させていい事って俺達番街区周辺を歩いてるだけじゃん」

今八城達は番街区周辺を歩いていた。

と言ってもこの周辺にクイーンの巣はなく、奴らと会敵することはまずない。

運動不足解消の散歩の様な時間だ。

「時雨……五月蝿い」

前を歩く紬は、時間まではこうして重い装備を持ちながら、時間になるまで歩き続けるのだと言う。

「まだ暑いですから……しっかり水分を取りましょうね。」

そう言って桜は腰にぶら下げているボトルから水を口に流し込む。

朝に比べると外気が少しずつ上がっていく夏場。

二時間以上歩き温くなった水だが、貴重な事に変わりはない。

「紬、これ後どのぐらいで終わりなんだ?」

流石の八城も残暑の中、二時間も歩き続ける事に若干の不毛の念を感じ始めていた。

「後、大体三十分」

紬も今の状況には無意味さを感じていた。

何せこの大所帯で同じ場所を回っているのには訳がある。

基本謹慎組は、謹慎を受けていない隊と行動を共にしなければいけない。

それも謹慎者一人に一人の隊員が付く。

柏木の特例として、謹慎組の謹慎は独立して行う事を許されているが「街周」までだ。

逆に言えば研究所敷地内、又はその周辺を謹慎組が勝手に出入りする事は許されていない。

全員最初こそ話をしていたものの、次第に言葉数は減り、誰も喋らなくなった。

時折聞こえるのは時雨の文句と、それを宥める桜の声だ。

一同は周回警備の目印となる第一バリケード近くにやって来る。

「これで何周目なんだよクソ!」

「今……丁度15周ですね」

桜は熱さの中で声を絞り出す。

同じ場所をグルグル回るだけの単純作業と蒸す様な暑さがジリジリと全員の精神と体力を着実に削っていった。

「ちょっと休憩しようぜ!やってられっかよ!こんな仕事!」

とうとう時雨が音を上げ、日陰に入っていく。

「ひゃーあーちーなーこの暑さは堪んねえよ大将!こっち来て休んだらだうだ?」

時雨は日陰で座り込むと、胸元をはだけさせ風を隊服の中に送り込む。

「紬これは大丈夫なのか?」

「多分平気。そもそも、午前中通してやったら死人が出る」

「もしかして休憩ですか!やった!」

誰一人反対する者はなく、全員が日陰に入り海からの涼風を浴びる。

空には雲一つなく、これから日中になれば気温が上がっていくことが体感で分かっていた。

数分経っただろうか、第一バリケードの向こうから人影が現れた。

「やあ、今は休憩中かい?」

「善、お前何処行ってたんだよ。」

「僕はこんなナリだけど一応常駐隊隊長だからね、色々仕事があるんだよ」

「こんな、何て言うもんじゃないだろ、お前は出来る事をしてそうなってる。誰も文句は言わないだろ」

「ありがとう八城。でもこれは僕の招いた自業自得だからね、言われる事には納得しているよ」

「善さんは最近忙しそうにしてますよね?昨日も夜遅い時間に何処かに出かけていたみたいですけど、大丈夫なんですか?その……」

善はカラッとした笑顔を桜に向けてその言葉を笑い飛ばした。

「あの時間にまさか見られてたとはね、本当はゆっくりしていたいんだけど、中央は本当に人使いが荒くてね、正直てんてこ舞いだよ。これならまだ八番隊に居た時の方が暇だったかもしれないね」

何だかんだで、桜はこうして話をするだけ偉いだろう。

八城は我関せずとする二人を横目で見る。

「時雨もっと強く扇ぐべき」

「紬は私より二秒扇ぐ時間が短かったじゃねえかよ!」

時雨と紬は一つしかない団扇で、お互いを交代で扇ぎ、そもそも善と話をしようとする気配も見せない。

善はゆったりと八城の横に腰を下ろし空見上げる。

「そう言えば訓練生はどうだい?」

「それは、どういう意味で聞いてるんだ?」

八城は、わざわざこの場所でその事を聞く善を睨みつけた。それもそうだろう、八城は若干ではあるものの、目を伏せる桜を見逃さなかった。

当然だ、桃は桜の妹である。その妹が疑われている場面で元気でいられる筈も無い。

「最初に言っておくけど僕は裏切りを処罰の対象にするつもりはないんだよ。彼ら彼女らはまだ子供だ。きっと良い様に使われて騙されているという事もあるかもしれない。だから出来る限り穏便にこの事を内密に処理出来ればと僕は考えてる。だから八城が感じた事で良いから教えてくれないかな?」

正直八城もその考えには賛同だ。

裏切り者を探すという事自体が全体の指揮を下げる。

であれば仲間にも知られず、事を処理してしまう方が遥かに効率的だ。

というのも、連絡手段が乏しい現状

握りつぶしてしまえばそれは永久的に無かった事になる。

「分かった。ただ俺も今の所は、訓練生の中で情報を流してる奴に心当たりは無い。だからこれから言う事は俺が知り合った、第一印象でしかないって事は頭に入れて聞いてくれ」

「構わないよ、むしろその方がありがたいくらいだ」

善は桜を気遣う八城の言葉に笑みを浮かべながら続きを促す。

「最初に美月だが、リーダーシップを張れる素質があるな、全体を生かそうと頭を働かせる力がある。あのタイプが裏切ったら一番厄介だろうな。

次に雛だが、アレは冷静にさえさせれば、おおよその事には対応してみせる。あのタイプが裏切ると最悪死人が出る。

最後は桃だが、あいつは良くも悪くも実直で真っ直ぐだ。そしてあの三人の中で一番腕が立つ、あのタイプが裏切ると、もう手がつけられないだろうな。」

「大体分かったんだけど。全員が裏切る前提なのかい?」

「どいつもこいつも裏切られたら面倒なんだよ……大体な、どんなに弱くても!刃渡り十センチを胸に根元まで刺されりゃ人間は簡単に死ぬ!全員味方だと思って背中を預けて、プツリってやられてみろ!知らない間に死体が一体出来上がる」

「銃の方が早い」

「お前はサラッと恐ろしい事言うな!」

紬が入って来て話が逸れたが、詰まる所裏切られれば死人が出る可能性が有る。

裏切り者の可能性が、十中八九が研究員の引き抜きだとして、万が一にも違う目的があったとしたらどうだろう?

この111番街区にある何を狙ってやってくるのか?

仮にこの番街区で訓練生の中に裏切り者が居るとしたら?

であるなら、する事は炙り出しではない。

裏切り者を裏切り者として動けない状態にしてしまえばいい。

それは八城が桃に言った事。

「じゃあ今朝は何で真壁桃と、斬り合ってたんだい?」

どうやら善に今朝の出来事を見られていたらしい。

善は桃を裏切り者だと疑っている節がある、ここはしっかり否定しておいた方がいいだろう。

「あれは稽古だな、斬って欲しいって言うから」

「うちの妹を変態みたいに言わないで下さいよ!」

「いや、あれはどう考えてもお前譲りの変態だろ」

「違います!違います!善さん!違いますから!桃は少し剣術が好きなだけで変態では断じてありませんから!」

「そういえば桃の奴、善の事だけ「さん」付けして呼んでたな。お前桃に何かしたのか?」

そう言えば善の話を出した時に、桃が善の事をさん付けしていた事を思いだす。

「真壁さんがそんな事を?確かに一度だけ剣術を教えた事があるけど、それだけだよ?」

「あ〜桃は、剣術が強い人にはちゃんとする、変な所があるので、ってもしかして!桃はまだ隊長に変な態度取ってるんですか?」

「上から目線と、命令口調はもう当たり前だと思ってる」

「本当にすみません!うちの妹がすみません!」

桜のその狼狽ぶりを見て善がコロコロと笑う。

「八城はいつも楽しそうだね、本当に羨ましいよ」

「まともじゃないだけだ。少しはお前を見習って、こいつらもいい子ちゃんになってもらいたいもんだよ」

「僕が良い子ちゃんか〜何か傷つくな」

「だってそうだろ?お前みたいに隊を離れてまで俺に気を使ってくれる奴なんて今まで居ない。それにお前は今まで一度だって逃げずに俺に付いて来てくれたしな」

「八城の隣はいつも危険だらけだったからね、それに比べれば仕事に危険が無いだけ、ここは天国でもあるのかもね」

「何だ?俺の隣が地獄みたいだったとでも言いたいのか?」

「みたい、じゃないよ。地獄そのものだったよ」

八城は善と顔を合せ笑い合う。

昔を知る二人だからきっとこうして笑い合う事が出来る。

「八城一つだけ頼みがあるんだ」

「何だよ改まって」

表情は変わらずの笑顔だが声には何時にも無い意思が乗っていた。

「八城、どんな事があっても僕は君の味方だ。それは何処に居ても、何をしていても変わらない。君が言った様に八城だってどんな時でも逃げなかった。だから僕も一緒だよ。だからこれから言う事だけは、忘れないでくれ。きっといつか平和になった時は、出会い別れ、そして又出会おう。」

「何だよ急に。それに、何で別れんだ?」

「急じゃないさ、何時からと聞かれればこの腕がこの目が見えなくなった時に、八城、いや、僕の隊長にもう一度会った時はちゃんと話そうと思ってたんだ。これでも僕、今は結構勇気を出してるんだよ?」

「全然お前が勇気を振り絞った様には見えないけどな……でも分かったよ、約束だ。平和になった時、どっちも生き残ったらまた出会おう」

八城のその言葉に満足したのか、善はその場を立ち上がる。

「じゃ僕はそろそろ行くね、皆も八城をよろしく」

善が歩き始めると奥から前髪がバラバラに切られた隊員の様な女が善の後ろを付いて行く。

どうやら善はここでも新しい仲間と上手くやっている様子だ。

日陰の下で休憩を取りながら次第に時間が経ち八城達の任も終わりを告げる。

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