第85話 桜と桃

その晩

桜は少しの間、布団の中で寝付けずにいた。

「好奇心が答えを見つける。」

八城は確信めいた言葉でそう言ってみせた。

そう言われた時、桜は少しだけ鼓動が高くなった気がした。

桜から見た八城は何だか終始怖かった。

あの時桜は確かに、年上を見ている気がした。

普通の生活を送って、

例えば共学で、

例えば八城が年上の先輩で、

放課後に相談に乗ってもらって、

それで……

桜はくすぐったい気持ちを隠すように布団を深く被る。

誰に見られている訳でもないのに、無性に自分の姿を隠したくなった。

次第に微睡みが桜を優しい眠りへ落とし込んで行く。

桜は根拠の無い安心感に包まれて、真壁桜は瞳を閉じた。

今日はきっと良い夢を見るに違いない。




午前三時、真壁桃は悪夢から目を覚ました。

見ていた夢は今日の戦闘の続き。

そしてその夢の中には助けてくれた筈の八城はおらず、生々しい最後の感触を桃の柔肌に突き立てた。

「何なのよもう……」

噛まれていない筈の首元に手をやれば、汗で濡れている以外に変わった事は無い。

桃は不快感から、汗を拭う。

それでも自身の中で膨らんでいく不安が拭われる事が無い。

隣と上のベッドで今も寝息を立てて寝ている二人が居る。

八城の言う通りだ。

桃はあの場所で一度死んだ。

理解をすれば、悔しさが募り堪える為に奥歯を噛み締めた。

間違いない。美月はあの場所では守りに入らざるを得ない状況、雛に至ってはそれよりも遥か後方に居た。

誰も桃を助けられる場所に居なかった。

心底肝が冷えた。

腕を掴まれた感触は今も鮮烈に残っている。

抜け出せない恐怖で最後の最後まで悪あがきをすることも出来なかった。

恐怖は足を竦ませ、竦んだ足は諦めを産み、諦めは自身を殺すにたる結果をもたらす。

分かっていた筈なのに、動かなかった。それが何より悔しかった。

これでは四年前と何も変わらない。

何も出来なかった少女のまま。

姉を頼り、姉に守られ、姉の背中を見続けていた。

あの頃と変わっていない。

桃にとってそれは何よりも恐ろしい。

「何でよ……どうしてなのよ……」

恐怖の中で見た鮮烈な一刀は、今も桃の瞼の裏に焼き付いて離れない。

波打つ様な波紋が押し寄せ、気付けば身体をすり抜けた。

抜き去った刀の切っ先は一度夕日を受け光り鞘に戻された。

桃には一線にしか見えなかった。

だが八城は二つを切り落としていた。

全ての行動が段違いに早い。

桜が言っていた言葉の一端を、桃はあの時ようやく理解した。

「強さを語る場所にすら立てていない」

桜の言葉が、桃の耳の奥で反芻される度に落ちて行く精神は、複雑に絡み合う。

時計の秒針が、子気味よくリズムを刻み、暗闇が終わりを告げれば、じきに朝が来る。

桃はあの時の八城の顔を思いだす。

淡々とした無表情で七体の感染者を一瞬で蹴散らした。

何て事ない。きっと八城は、桃の事を歯牙にもかけていなかった。

それどころか桃がこうなる事を分かっていた。

だからこの結果は成るべくして成った。

桃は八城の予想を超えていなかった。

「私は私だった……」

暗闇に零れた言葉が落ちた先にある両手を見ても、コレからどうすれば良いのか分からない。

それが何より悔しい。

初めて感じる挫折は何よりも重く呼吸すらままならない息苦しさを覚える。

怖い……何も出来ない自分が怖い。

そして何より、死ぬ事が怖い。

荒くなる呼吸を必死に落ち着かせようとするが、身体は何も言う事をきいてはくれない。

「怖い、死にたくない……」

震えを押さえるために腕に力を込めて、その腕すらも震え出す。

この時の私は魔が差したとでも言うのかもしれない。

でもきっと違う、即席で強さが手に入る事なんて無い。

それが分かっていたにも関わらず、結局はあんな物を使ってしまった。

ポケットに人知れず入っていた錠剤と付随した小さな紙に書いてある使用方法を見る。

「いきたくないな……」

口から零れる弱音は、着実に進む秒針の音に掻き消された。


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