第79話 真壁桃

午前中の訓練が終わり昼食。

八城は驚きを隠せなかった。

というのも雛の動きが格段に良くなっていたからだ。

吹っ切れたような動き。桃より技は拙いものの、それでも一朝一夕で会得出来る領域ではない。

「お前の言った事本当だったんだな」

「雛の事?当たり前でしょ?あの子がその辺の奴に負けるわけないもの」

目の前で席に付いている桃は当然と返事をしてまた一口魚に齧り付く。

「雛ちゃんは強いですよ。外に出れば頼りになりますし」

八城の斜向いに座る雛はチラチラと八城を見ては食事に口をつける。

「そうか、じゃあ今の訓練は早めに終わらせないとな。お前らには一週間後に地区遠征がある」

「もうそんな期間なんですね……」

美月は一度食事の手を止めて顔を上げる。

地区遠征は訓練生だけの編成で行われる訓練遠征である。

その内容は単純で、規定ルートを通り隣の番街区へ行くという簡素な物だ。

道程もクイーンの射程から離れており、身の安全も保証されている。

「そういえば、お前らは後何回でここを卒業するんだ?」

地区遠征は訓練生に問題がなければ計十回を終えれば訓練過程が修了とされ各遠征隊に配属となる。

「私は後三回ね」

「私は八城さんと出会ってからここに来たばかりなので、まだ一回しか行った事がないので残りは後九回です」

雛はその声が聞こえている筈なのだが八城の問いかけに答えようとしない。

仕方なく八城は善から持たされた資料に目を通す。

篝火雛、地区遠征回数全六回、残り回数五。

「桜妹、一つ聞きたいんだが、こいつの遠征回数ってこれで合ってんのか?」

桃はちらりとその紙に書いてある事に目を通し実につまらなさそうに答える。

「それね、確かに雛の遠征回数は残り五回よ。っていうのも、雛の班は一度地区遠征で壊滅しているから」

それはつまり、雛の班は地区遠征に失敗し、遠征回数自体は六、成功回数は五回ということらしい。

「雛は重傷を負った部隊員一人を背負って帰還したのよ、本当に大したものだわ」

桃は素直な賞賛を送りまた一口食事を取る。

だがその言葉が聞こえていない様に雛は下を見たままだ。

「篝火、大変だったな」

八城がそう言葉を発すると雛は何事かと前髪に隠れた顔を上げる。

「へ?……あっ、ふへ?」

「部隊が壊滅してよく生き残った」

八城はその困難を身を以て知っている。諦めれば身の安全を確保出来た筈だ。それでも雛はそうしなかった。

それは、この世界で最も重要な事だ。

八城は知っている。生き残る、そのたった一つを切望した人間が一体どれだけ居た事か。

「………」

雛は何も言葉を発さないままに、長い髪の奥にある瞳に、また涙を貯めて下を向く。

「わったっ、私ちょっと……トイレ!」

雛は急ぎ足でその場を立ち、食事もそのままに食堂を後にする。

「あんた、ちゃんとそう言う事も言えるんじゃない」

「どういう意味だよ」

「八城さんは大切なとき、いつだってそう言って励ましてくれますからね」

美月はあの時の事を思い返しながら心底楽しそうにコロコロと笑ってみせる。

「勘弁してくれ」

桃と美月は照れを隠す八城を見て二人で笑い合う。

「お前ら……午後は覚えとけよ」

「へ〜何を覚えておけばいいのかしら分からないわね美月」

「そうです、身に憶えがありません」

二人はまたそう言って笑い合った。


そして午後。

八城は二人の人物を連れ訓練場にやって来た。

少し前方に雛と美月、が緊張の面持ちで立っている。

そして残る桃はというと…

「お姉ちゃん!お姉ちゃん!お姉ちゃん!」

姉である桜に抱きついていた。

「ちょっと……桃離れてよ、恥ずかしいから……」

「え〜嫌だよ〜それにお姉ちゃん、全然会いに来てくれないし!」

「それは仕事でここに来てるからで……」

「いやいやいや!お姉ちゃんとずっと一緒に居たい!」

「八城君?あれ誰?」

「俺も知らん」

八城は紬の質問に半ば反射的に答えていた。

そこには八城の知る真壁桃は居らず、桃に良く似た得体の知れないシスコンが存在していた。

「ちょっと桃離れてよ〜」

「い〜や〜だ〜」

桜は自らの身体に張り付き離れようとしない桃を引き剥がそうとするが、それを頑に拒む桃。

比較的穏やかな性格の桜と、挑発的かつ攻撃的な桃、姉妹にしては対照的な性格の二人ではあるが、血縁ということもあるのか、髪色や少し切れ長な目元などは姉妹である事を感じさせる。

「姉妹でいちゃいちゃするのは後にしてくれ。今は一週間後に控える地区遠征の準備を……」

「そうですよ桃!私達が今日来たのは隊長の……いえ!八城さんの訓練のお手伝いをするためですから!」

「訓練?お姉ちゃんも訓練に参加するの?」

「私はその為にここに呼ばれましたからね、いくら桃でも手加減はしませんよ」

「ふ〜んお姉ちゃん、私に勝てるの?」

「私が桃に負けた記憶がないですけど?」

流石姉妹、多少の性格の差はあろうと根本の負けず嫌いは変わらないらしい。

「もし私がここでお姉ちゃんに勝てば、私がこの中で一番強いって事になるんだよね?」

表情を強ばらせた桜

「八城君撃っていい?」

純真無垢の表情で尋ねる紬

「やめなさい、撃ちゃいけません」

「でもあいつ意味が分からない事を言っている。すぐにでも撃つべき」

「お前は世の気に食わない事を、全て撃って解決しようとするのをやめろ」

「すみません!すみません!妹の事は私に任せて下さい!」

「桜、妹の管理はしっかりするべき」

謝り倒す桜に、紬は苛立たしいとブーツの底を鳴らす。

「っていうか、そっちの小さいのは何な訳?さっきからお姉ちゃんに馴れ馴れしいんだけど?」

「ちょっと!桃!」

桜は焦って桃の口を塞ぎに掛るが紬の耳にはその言葉がしっかりと届いていた。

「八城君、最早我慢の限界」

「お前の限界は容量が小さすぎる」

正直いつも通りと言えばいつも通りなのかもしれない。

「桃!いい加減にして!失礼でしょ!」

だが桜は本気で焦った様で、桃の両肩に手を置いて嗜めた。

桃は姉に嗜められるとは思ってもいなかったのか、困惑を露わに、桜を見つめる。

「何で?何でお姉ちゃん怒ってるの?意味分かんないよ!」

桃は心底不可解だと顔を歪ませる。

「お姉ちゃんだって八番隊で散々な目に遭ったんでしょ?そこの元隊長だって結局お姉ちゃんより弱いから降格されたんだろうしさ!」

「誰からそんな事……」

「だってそうでしょ?お姉ちゃんがツインズに留めを刺したって聞いたし!結局さ!この隊長もこっちのチビも!お姉ちゃんの足を引っ張るだけ引っ張ってお姉ちゃんがあの化物に一太刀入れたんでしょ?そういえば聞きたよ!元五番の男が全員の足を引っ張って挙げ句の果てに!」

八城は腰に手を伸ばしかけた紬の手を抑え、急いで抱き上げる。

「この状態は、あながち悪くない」

「少しは悪いと思え」

八城と紬は人が居なくなる事に慣れている。

だが桜は慣れていなかった。

だから桃の口からそれ以上の言葉を桜は言わせようとしなかった。

というのも桜は桃の口を万力の様な力で口をそれ以上動かせない様押さえ込んだからだ

それが桜なりの最愛の妹への情けであり、通り過ぎて行った命への向き合い方だ。

「桃、いい加減にして」

その言葉は桜の口からでた平たく冷たさを帯びた声。

八城も紬も、通り過ぎて行った者に対して何も感じない訳ではない。

だがその数が多すぎて、感じるという事が出来なくなっていた。

八城と紬は気まず気な表情を見合わせて行く末を見守るしかない。

あの場所に言葉を挟むには、八城も紬も捨てて来た物が多すぎる。

「でっでもお姉ちゃん!」

それでも拘束を振り払い桃は言葉を紡ぐ。

「お姉ちゃんがここに居る誰よりも強いのは本当でしょ?」

「そんな話を誰から聞いたのかは知らないけど……」

と言い淀みながら、桜は八城に対して抗議の視線を送って来た。

「どうして否定しなかったんですか?隊長」

どの隊長か?

とは聞かなかった。というのも桜が真っ直ぐに見ているのは八城ただ一人だけだったからだ。

「強さなんて誇示したって役にも立たないからな。実戦で使えればそれでいいんだよ」

「隊長は少し謙遜しすぎですよ」

「全部は守れなかった。なら強いなんて口が裂けても言えないだろ」

八城のその言葉を噛み締める様に、桜もまた通り過ぎて行った者達の顔を思い浮かべる。

桜は桃に姉としての表情を浮べながら向き直る。

「私は自分が弱いと思う。隊長が居なければ落としてきた命の方が多いですから。もし今隊長が隊長自身を強いと言えないなら、私は強さを語る場所にすら立てていない。もし今の言葉で納得できないなら……桃、刀を取りなさい」

桃はイヤイヤと首を振りながら一歩後退る。

だが桜はそんな中途半端を許すつもりはない。

「桃!強さを分からないまま外に出ればもう帰って来れない!」

その言葉は真壁桃にとって最も恐ろしい叱責でもある。

終わってしまった世界で心を許せる唯一の家族。

その家族から投げ掛けられた言葉の相応の重みが桃の身体をグラリと揺らす。

「嫌だよ、何で怒ってるの?だってお姉ちゃんは強くて……私を守ってくれてさ!」

桃は滲む視界の中で八城ただ一人、を睨みつける。

「お姉ちゃんが負ける筈ない!」

「おいおいお前ら!止めとけって!それで切り合ったら怪我じゃ済まないぞ!」

二人は睨み合いながら己の鞘から刀を抜き正眼に構える。

「隊長大丈夫ですよ。どうせ桃は私に勝てませんから」

誰が聞いてもあからさまな挑発。だが言われた当の本人は大きく揺らいだ。

だから取り乱した様な態度を引っ込め代わりに自らが持つ刀に手を伸ばす。

「お姉ちゃん、跡が残ると可愛そうだから顔は切らないであげるね」

開戦の合図は何方ともなく視線の交わりが告げた。

二人を隔てる一足の距離はその一瞬で詰められていた。

逆袈裟切りを桜は狙い澄ました一刀で 止めてみせる。

「力で押せるのは精々フェイズ1まで、今の一刀じゃ八番隊の誰も切れないよ桃!」

桃は桜の言葉に返す事はしない。

言葉を返せばそれだけ筋が鈍る。

桃は悟っていた。

何度となく刀を交わし合ったからこそ気付いていた。

たった一合、刀を合せただけ。

それだけで桜の刀筋が変質しているのを感じ取っていた。

「お姉ちゃん、それ何?」

桜が使ったのは既存の型ではない。だからこそ、共に研鑽して来た技が歪んで居る事が許せない。

「そんなの私達の剣術じゃない!」

だが桜は斬り掛かる刀を打ち落とし、押しとどめ、滑らせる。

「桃、強さは生き残る事。それを桃はまだ分かってない」

「違う!違うよ!お姉ちゃんの方が分かってないよ!強さは押し通すものだよ!」

桃はそれでも型通りの基本に則った規則性のある技を繰り出す。

桜はその技の全てを防ぎ、そして技の隙間に刀を滑り込ませる。

それを桃は大きく仰け反り回避するが、桜はそれを追撃はしない。

桃は自身が追い込まれる隙をわざと見逃され、だが自分が相手を追い込む事ができない。

「やっぱりお姉ちゃんは強いよ!でもさ!そんなのお姉ちゃんだけが強いじゃん!」

桜はチラリと八城を見てためため息をついた。

「桃、私は八番隊に配属初日に隊長に負けたの。それも今の桃みたいに自分の弱さを見せ付けられて負けた」

それが嘘かどうかは姉妹という長い付き合いから明白だった。

桜が誰よりも桃を知っている様に、桃は誰よりも桜を知っている。

「嘘だ……お姉ちゃんが負けた?」

「負けたよ。私の完敗だった」

「何で?何で負けたの?」

「私が弱かったから」

「お姉ちゃんが……」

過去避難所生活の際、桃は幾度となく、姉である桜にその命を救われた。

避難所では共に肩を寄せ合いながら日々を過ごし、桜が遠征隊に配属されてからは多山大39、ツインズ招集でも輝かしい実績を残している。

その姉が不当に回廊に入れられ、あまつさえ仮設隊に部隊移動など桃にとって業腹でしかない。

だが桃は知らない。

どれだけの犠牲の元で、たった一握りが救われたかなど知る由もない。

そして桜はそれを知っている。

たったそれだけの違いが、姉妹の勝負を決定づけた。

「お姉ちゃんは弱くない!」

叫ぶ言葉と振るわれた一刀は。桜の狙い澄ました抜刀に弾かれ、桃は大きく身体を仰け反らせる。

桃は遠心力を持つ刀に振り回され大きく身体が開き、桜の持つ刀の切っ先はそっと桃の心臓部分に添えられる。

「桃、聞き分けて。私は桃に何も知らないまま死んで欲しくない」

桜は辿って来た道を思い返す。

隊長もこんな気持ちだったに違いない。

死に近い場所に行かせなければいけない。

桜の目の前に居るのはたった一人。

己の愛すべき妹。

妹には安全な場所で何不自由なく生きて欲しい。

それは自分の我が儘だと分かっている。

この世界で、東京中央に寄りかかって生きて行くのなら、自分の糧は自分で賄わなければいけない。

それが例え自分の命を削る事であろうともだ。

あの時もし、桜が八番隊の所属でなかったら?

もし、八城という隊長と巡り会わなかったら?

そんな「もし」を考えて桜は背中に怖気が走った。

もし、隊長に教えられなかったら?

もし、時雨や紬が居なかったら?

何も分からないままだったら?

桜は何処かで奴らになっていた事だろう。

なら教えられる事を教えるのは、

それで妹の命が繋がるのなら、

「分からない事を教えるのは姉である私の役目だから。桃、もし納得出来ないなら分かるまで、自分が納得できるまで刀取って。私はそれを何度でも斬り伏せる」

桃は姉の気持ちに背くように首を振る。

戦いたくない。

ただそれを納得出来ない自身の気持ちと折り合いが付かず桃はもう一度刀を握り前進した。

「よく似てる」

その姿を見て紬は呟いた。

「何だ、お前も思ってたのか、嫌な偶然だな」

紬の呟きに八城も実のところそう思っていた。

「「あの二人は頭がおかしい」」

真剣で切り合うのはこの姉妹をおいて他に居ないだろう。

結局決着はつかなかった。

……決着がつかないでは、言い方に、語弊がある。

桃は結局何度やろうと桜に歯が立たず、四度刀を吹き飛ばされた直後、そのまま刀を放り投げ泣いて逃げて行ったのだった。

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