第77話 花香

八城が部屋に入ると、桜、紬、時雨に善と八城以外の全員が揃っていた。

「これで全員揃ったかな?じゃあ早速だけれど、今回の議題を始めようか」

最後の一人である八城が揃い会議が始まる。

善は八城に空席を示し、自らがボードの前に立つ。

機能を失った左腕がボードに打つかり、軽い音を鳴らすが、全員が見て見ぬ振りをする。

「おっと、失礼したね。僕はこの通り左手と左目が見えないからね、見ていてもどかしいかもしれないけど許して欲しい」

善はそれでも器用にボードに文字を書き連ねて行く。

「今回君達八番隊は……じゃあないね。仮設十番隊と八城達謹慎組にこの111番街区へ来てもらったのは他でもないんだ。というのも今回の案件は僕一人では手が回らない物でね」

手が回らないという言葉に、善は動かない左腕を持ち上げ、殊更におどけて見せた。

「でもよ?あんたは、この番街区の隊長つうはなしじゃねえか?自分とこのお抱えの兵隊はどうしたんだよ?」

時雨は、面倒ごとは勘弁と言いたげな表情だ。

というのも番街区内での問題は原則、番街区内で解決する。

中央から派遣される遠征隊が、その全てに関与していてはとても人数が足りないからだ。

「だからこそね、君達に来てもらったのには訳があるんだよ。というのも、この111番街区に他の勢力からの裏切り者が居る可能性があるんだ」

各々が驚愕の表情を浮べ、その中でも、最初に声を上げたのは桜だった。

「ちょっと待って下さい!その、うっ……」

桜は声を荒げそうになり、善が口に一本指を立てる。

何故善がこの真夏に、冷房もそして窓も無い部屋に全員を集めたのか、理由はこの事を誰にも知らされない様にする為だろう。

其れはこの簡素な部屋を見ても明らかだ。飾り気は一切無く。

机と椅子そしてホワイトボードがあるだけ。

善の様に静かに話せば外まで声が漏れる事は無いが、声を荒げれば簡単に外へ声が届くだろう。

「そんな人が居る確証があるんですか?」

桜は声のトーンを落とし尋ねる。

「この111番街区で先日に研究員四人に接触された形跡が確認された、つまり誰かが内部で手引きをしてる可能性がある」


「善、それは本当なのか?」

八城が此処に来たのは、まだ他の勢力から手が回されていないという話だったからだ。

「僕もこの情報を知ったのはついさっきなんだ。僕の常駐隊が留守の間にまんまとやられてしまったよ。ただ、未だに研究員の引き抜きが起こっていないのが不幸中の幸いだろうね」

「不幸中の幸いな……」

「そう、不幸中の幸いだね。なにせ引き抜きが起こる前に君達が来た。相手からしてみれば君達がこの番街区へ来たのは、寝耳に水もいいところだろう」

「ベストタイミングだった」

紬は指先を眺めながらどうでも良さげに、抱き込む足を組み替えた。

「行儀が悪いぞ紬」

「良いさ八城、分かっている。それに紬の言う通りだ。結局僕では相手への牽制にはならない。でもここに八城が、中央のシングルNo.が派遣されれば、相手も大きく動くとは難しいだろうからね」

「まあ相手にシングルって記号がどれだけ通じるのかは謎だけどな」

「君は君が思っている以上に有名人だけれどね。何より野火止一華の唯一の弟子で、クイーン討伐の生き残りだ」

「やめてくれ。向こうは知ってて、こっちが知らないなんて怖いだろ。それより善、お前の常駐隊が出払ってるって言うのはどういう事なんだ?」

「それはね中央の命令さ前回の騒動でかなりの人的被害があったからね、111番隊の常駐隊は副隊長を含めた殆どが他の番街区に向けて遠征中なんだよ、今この番街区に残ってるのは僕を含めて三人だけだ」

「なんでまた、中央はこんな時に遠征だなんて……」

「仕方ないさ、ツインズは正真正銘の化け物だよ。それを君達八番隊は、あれだけの被害で食い止めた。僕たち常駐隊だって何かしないと君達に示しが付かないよ」

善は何も出来なかった自分を責めているのか、手のひらをキツく握り込む。

111番街区の隊員は現在減った遠征隊の穴を埋める形で他の番街区へ遠征を余儀なくされているという事だ。

「じゃあつまり、今居る隊員の中に裏切り者が居るってことなのか?」

「察しがいいね、流石八城だよ。僕の常駐隊が遠征に出たのが一週間前。そして研究員へ接触があったのが……今朝だ」

その言葉に一同は事の実感を露わにした。

111番街区を一週間前に出立している常駐隊隊員達に実行する事は不可能だろう。

現在善率いる常駐隊メンバーは三人。

訓練生は八城に三人、時雨に四人の計七人

容疑者は全十人という事になる。

「つまり身内同士の仲良しじゃ埒があかねえってことか?」

時雨はそう吐き捨てると、言葉とは裏腹にニンマリと厭味な笑みを浮かべる。

内部犯外が居るという事はつまり、番街区内全員が信用出来ないという事だ。

そこで白羽の矢が立ったのが、体よくこの場所に来た、仮設十番隊と謹慎組だった。

「君達には出来る事なら内部犯を見つけ出して欲しい」

善が言ったその言葉に全員が顔を顰める。

というのもそれは土台無理に近い提案だったからだ。

「出来るだけ情報は提供する。だけど僕は動く事が出来ない。僕が動いてしまうと気付かれる可能性があるからね。それに今回の事を僕は重く受け止めているんだよ。何せ今回でどこの勢力が手を出して来ているか突き止めなければ中央全体が瓦解しかねないからね」

全員が事ここに来て事の重大さに直面していた。

「それは訓練生も対象なのか?」

八城の質問に、善は肯定の意として首を縦に振った。

「この国は、今やもう一つの国じゃない。この中央でさえ中央に属する人間を支えて生きる事で精一杯なんだよ。誰が?何処で?何を手引きしていたとしてもおかしくない」

「そりゃつまりよ?こっちを食い殺しても、向こうさんが生き残ろうと考えてるって事か?」

時雨は面白おかしく言うがその冗談には誰一人として笑えない。

「そういう事だろうね。僕らの東京中央……西武、横須賀でさえ同盟を組んでなお、疑心暗鬼の中で運営している状況だ。この中央は僕が知る限りではかなり環境がいい部類に入るだろうけど、そんな中央を外野が見れば、きっと思う事は一つなんじゃないかな」

「つまり向こうさん……研究員の引き抜きをしてる奴らはこっち側の技術を盗んで自分たちの暮らしを良くしようとしてるっつうことか」

時雨の乾いた笑い声が会議室に木霊する。

「端的に考えるならそうだろうね、今は環境の格差がそのまま自分の生き死に直結する、それは躍起にもなるだろうさ」

「つまりは今のこの111番街区で信用出来るのは私達五人だけ。その他大勢の中から他の組織に遣わされてる裏切りもんを見付け出せばいいっつう事だよな?」

時雨が話の内容を総括し、その言葉に全員が納得する中、紬は表情を曇らせた。

「待って、問題はそれだけじゃない」

紬の懸案事項は一つ、そうだ。柏木が言っていたじゃないか。

裏切り者ともう一つの懸案事項。

「一華がその中央に居る可能性がある」

だがその言葉に疑問符を浮べた人物が二人声を上げた。

「私はその、なんだ?一華だっけか?そいつがそんなに全員で頭を抱える程の問題だと思えないんだけどよう、そこんとこどうなんだ?」

「すみません……私も間近で一華さんを見た事が無いのでなんとも言えないです」

二人が懐疑的な意見の中、他一華を知る三人の表情は明るいとは言えない。

たが、八城は重々しく口を開いた。

「一華を知らないお前達がそう言いたくなるのは分かる」

「そうだぜ大将!相手は人間だろ?あれだけ強い大将がそこまで警戒する意図が分からねえよ!」

桜も同じ意見なのか時雨の言葉にコクコクと頷いて見せる。

「そうだろうな……」

知らないとは何よりも幸せなのかもしれない。

八城は過去に見た凄惨なあの光景を、この二人を通して頭を掠める。

「二人とも、これだけは言わせてくれ、頼むコレは命令じゃない。頼むから一華を見たら戦う事は考えるな。それがもし野火止一華だと気付いたなら逃げろ、あいつは奴らよりたちが悪い」

頭を下げる八城に対して、時雨の態度はアケラカンとしたものだった。

「か〜大将よ!私が聞いてんのは何をそんなに警戒する必要があるのかって事だぜ?戦うな?逃げろ?それじゃあ意味が分からねえって」

「そうですよ!もし万が一出会ってしまったら、私達はどうしらいいんですか?」

「出会うも何も、会ったらその時点で終わり、八城君はそう言ってる」

紬は楽観視する二人の言葉を即座に否定したが、二人はなおも言葉の意味する所に気が付かない。

「終わりってな!所詮人間だぜ?首と胴を切り離しゃあ死んじまうんだろ?」

「だけど、誰もそう出来なかった。だから今も一華は生きてる」

東京中央にとって脅威なのはなにも実力だけではない。

野火止一華はクイーンを倒したという実績を残した唯一の人間だ。

「実際その一華さんがどの位の強さなのか分からないですよ。私が出会ったらあっさり勝っちゃたりして……」

そう聞いた瞬間、善は思わず吹き出した。

「君が一華に勝つのかい?という事は、君は八城より強いって事だね」

だがその言葉を聞いて紬は苛立ち混じりに善を見た。

「ムッ、八城君の方が強い」

「僕は一華の方が強いと思うけれど、まぁ拮抗していると言えばいいかな?ただ八城も一華も戦えば、どちらも無事では済まないだろうね。それも八城がきちんと戦う事に専念していればの話しだけれどね」

戦いに専念。その言葉を聞いて時雨と桜は表情をより険しい物にする。

「善、余計な事を言うな」

勘のいい二人は気付いたらしい。

「じゃあ隊長があの変な薬を使ってようやく五分の戦いになるって事ですか?」

「僕は八城がそれを服用したとしても、八城の方が八割負けると思うけれどね」

「絶対八城君が勝つ」

「それはどうだろうね」

それに関して、紬も善も譲る気は無い

だが誰よりも一華の実力を知る八城には分かる。

「実際の所、善の言う通りだ。今の俺が一華とやり合っても負けるだろうからな」

「隊長が負けるんですか?」

「負けるよ、多分今の俺じゃあ相手にもならない。だからお前らは一華を見たら逃げろ、あいつは人間の皮を被った化物だ」

化物、それは現代日本に跋扈する奴らの事を指す言葉だった筈だ。

だが野火止一華に関して言えばその順位は逆転する。

今まで八城が出会ったどの化物より化物らしく、どんな華より華々しい。

どんな状況下であろうとその戦闘能力は衰えることがなく、誰より先に先陣を切るその姿は今でも八城の目に焼き付いている。

だからそんな恩人だからこそ、野火止一華はここで終わらせなければいけない。

野火止一華との最後の約束はその一点に集約されている。

八城は全員に言い聞かせる。

「いいか?もう一度言う。お前らは一華を見たら全力で逃げろ」

まだ野火止一華がこの件に関与していると決まっている訳ではない。

具体的な立証が何も無い。

だが野火止一華がこの近くに居る可能性が有る。

それだけで最大限の警戒をするべきだ。

だが時雨と桜の二人は、野火止一華が行った行為の全てを知っている訳ではない。

ここまで警戒をする八城に対して納得がいかないのも頷ける反応だ。

二人は納得がいかないままに便宜上、八城の言葉に頷く。

「分かった大将、だがな、相手がやる気なのにこっちばっかり何もしないって訳にはいかねえぜ?なあ桜?」

「はい、もしその野火止一華さんから、逃げきれない場合は私達も応戦するってことでいいですよね?」

「……本当に最悪の場合はな」

それを聞いた桜と時雨数瞬の目配せの後薄く笑った。

まるでその答えが聞きたかったとばかりに。

「お前ら人の話聞いてたか?」

「大丈夫だぜ大将!つまり第一に逃げる。逃げられなけりゃ戦う。そりゃつまり、いつも通りって訳だ。なぁ桜?」

「はい、いつも通りですね時雨さん」

「おい紬、こいつら思ったよりポンコツかもしれない」

「今更気付いた?私は最初から気付いてた。」

言い合いが始まった四人を少し遠い場所から眺める善はその光景を羨ましげに瞳を細めた。

「いいね、八城。君は昔も今も、こうやって生きていて、少し羨ましいよ」

「何言ってんだよ、お前も元々こっち側だろ?」

「そうだね。僕も元々はそっち側だった。」

善は動かない左腕を右手できつく握り込む。

善の薄暗闇を宿した灰色の瞳は、その賑やかな光景を映し続ける。

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