第62話 更迭の意思

八城が中央からの伝令を受けて44番街区に行ったのは55番街区に着いて一時間後の事だった。

当初の予定通り、新宿地下道崩落作戦後はそれぞれの隊がそれぞれ指定された番街区へ帰還する手筈となっていた。

それに従い八城達七十一番隊隊員と九十六番隊は55番街区へ行った。

そして着いた直後55番街区統括の男が、蒼白な面持ちでその情報を伝えて来た。

「44番街区にクイーン呼称大食の姉が現れた」

八城は大食の姉が撤退したなど、甘い考えだと悟っていた。

少し考えれば当たり前だ。手傷を与えた相手が潔く人の居ない場所へ撤退などする筈も無い。

それは実質上の作戦の失敗を意味している。

その事実は、今しがた作戦を終えたばかりの全員の顔を陰らせる。

「行くしか無いわね」

誰にも拒否権など無い。それはその言葉を発した麗自身にも当てはまる事だ。

行くしか無い。

それは隊全体が一つの意味として捉える事が出来る言葉。

死にに「行くしか無い」

そしてもう一つの嫌な知らせ。

それはツインズが44番街区に現れた事ともう一つ。

ツインズと別個体のクイーンが44番街区に向かって動き始めたという事だ。

つまり、ツインズと別個体のクイーンが侵攻をして来ているという事だ。

この原因の発端は新宿地下道崩落作戦に端を開いている可能性がある。

あれだけの大爆発を何度も轟かせたのだ。勿論その可能性は示唆されていた。

だが結局目下の問題を消化する事もなく二つの問題が降り注いでいる。

ツインズは44番街区内でかなりの人死傷者を出しているという報告も入って来ている。

今44番街区は混乱の直中に有る筈だ。

そして仮に常駐隊が、今のツインズと真っ向から戦う事となれば間違いなくただでは済まない。

住民に甚大な被害が出ることは免れない。

「俺が先攻する」

八城のその言葉に麗の機嫌が見るからに悪くなる。

「あんた何のつもり?」

「先駆けで俺が行く。お前達は後から付いて来れば良い」

「あんた一人で行くって事?どうやって行くつもりなのよ」

「乗っていたバイクが有る。それを使う」

「了承できないわね」

「理由は?」

「聞かなくても分かる事を何度も聞かないで頂戴」

つまり隠している事を喋らない限りそこを譲るつもりは無いと言う事だろう。

「今行かなければ、人が大勢死ぬ」

「あんたが行っても大勢死ぬわ。あんたも分かってる筈よ」

麗の握りしめた拳が僅かに震えている。

「お前、怖いのか?」

「怖いわよ、悪い?」

そう言って麗は震える手を必死で抑えようとするが、一向に震えは収まらない。

「悪くはないが、お前が今言ってる事は……」

「分かってるわよ!そんなこと!」

麗はもう収集のつかない感情のやり場を見失い吐き出した。

「でもあんたも分かっているでしょ?今から行っても間に合わない。みんな死んだ後に私たちも死ぬだけよ!なら行かない方が……全員が居なくなるより、利口じゃない……」

その絶叫を肯定するかの様に後ろに控える隊員達も八城の視線から目を逸らした。

避難する人間が居なければ、動いても意味が無い。

そして避難する人間は今も着実に減っていっている。そして時間の経過とツインズがその人数をゼロにするだろう。

つまり避難民が悪い意味でゼロになれば、ここに居る全員は動く意味を失うという事だ。

「そうかならいい」

「どういう事?」

「俺は今から違反を犯した事にしろ。俺は44番街区に行く。お前は中央に俺が戦線を、無断で離脱したとでも言って、ここで時間を稼げばいい」

「あんた本気で言ってるの?」

「お前の好きにしろ」

一秒でも今の時間が惜しい。状況は刻一刻と悪い方向に変化してる。

「あんた一人行ってもどうにもならないわよ!」

「一人ならな……そうだ、一ついいか?麗」

「なによ……」

忘れていた。

麗に伝えなければいけない事があったのだ。

「お前はよく頑張った。だから後の事は気にするな」

麗の顔がくしゃりと歪む。

八城はそれを最後まで見る事無く全員に背を向けバイクの置いてある谷町JCTまで向かう。

谷町JCTには置き去りにしてあったバイクがそのまま残っていた。

こんな世の中だ無くなる事の方が稀だろう。

バイクに股がりエンジンを掛ける。

猛々しい音がマフラーから鳴り響き、それに呼応するようにバイクが駆動を始める。

着くまでに約一五分

「頼むから誰か生き残っててくれよ!」

そう呟き八城はバイクを全速力で走らせる。

街には駆け抜けるバイクのエンジン音が鳴り響いた。


八城の背中が見えなくなって数分、誰も喋る者は居ない。

それは偏に麗が全員の言いたい事を代弁していたからに他ならない。

言ってはいけない本音を隊長自らが言ってしまった。もう麗には隊長としての資格が無い。

だがそれでも八城は進んで行った。

そうではないとその背中で証明して今回もそうやって証明するつもりなのだ。

「付いて行けないわ、なんなのよ……」

麗はもう感情が思考と理性を追い越してしまっていた。

歯止めが効かないのだ。

見せつけられた。仲間の死。

感じさせられた、八城の実力。

友人一人助け出す事が出来ない、自分の未熟さ。

そして作戦の失敗というどうしようもない加重が麗の最後の心の支えを圧し折った。

更には死にたくないという未練が、麗の行動を大きく阻害する。

隊長と言う肩書きに最初は浮き足立った。

だがそれが次第に重圧に変わった。

そして自分の命令で人が初めて死んだ時、それは足枷に変わった。

その足枷は人が、仲間が死ぬ度に重く苦しく、麗の心を搦め捕っていった。

麗は強い人間ではない。

戦い方は学んだ。だが心を習得した訳ではない。

無関心を取り繕って、平穏を装っていただけだ。

そして今麗は動けない。

足枷が重い。

八城が最後に言って行った言葉は麗の全てを見透かしている様に思えた。

こんな道を八城も通って来たのかと思うと麗は背筋に怖気が走る。

そして、それでもなお前に進もうと思える八城が今は恐ろしい。

劣っていると思いたくなかった。

同年代で英雄とまで呼ばれた男の子。

自分もああならなければいけないと、自然とそう思っていた。

今は思う。

「なれないわよあんなのに!」

我慢しろ。今は隊員の前だ泣く事は許されない。麗は自分にそう言い聞かせるが視界がぼやけるのが止まらない。

作戦に参加しないと隊員の前で公言しておいて、今更泣く事を見せるのを躊躇う理由など無いに等しいが、麗は決めていた。

これまで死んだ隊員のの分まで私の作戦が正しかった事を証明する。

だから麗は泣かない今泣けば全てが無駄になってしまう。

泣こうが泣くまいが過ぎた作戦の可否をどうこう言う事は間違っているかもしれない。

だがこれは麗の最後の意地だ。

自分の正しさは自分が証明する。

だから隊員の前では泣かない。

そう決めていた筈なのに……

「どうして零れてくるのよ……」

麗は隊員に背中を向けて何度も胸の内から流れ落ちる涙を拭う。

それでも感情はもう麗にとっては手に負えない物になっていた。

何度も何度も隊服の袖で涙を拭う。

だが一度溢れ出した感情をもう留まる場所をしらない。

だから麗は隊員と自分を分ける線を引く。

誰にも見える事無いその線はいつも大きな壁となり麗と隊員を隔ててくれる。

だがその時ばかりはその役割を果たさなかった。

九十六番隊の一人が一線を引かれた隊長と隊員の境界を跨ぐ。

「隊長行きましょう」

その隊員は最近配属された確か17歳の少女。気の弱い事以外、特に取り柄も無かったと麗は記憶していた。

九十六番隊の隊員はツインズの強さを目にしている。

なら恐ろしいに決まっているのだ。

だがその恐れすら受けてなおその隊員の少女は自分の隊長に進言する。

「私たちは九十六番隊です。隊長が言う事なら信じます」

「死ぬわよ」

「でも市民を守れるんですよね?」

「でも自分たちは死ぬかもしれないわ」

「隊長は死なない命令をくれるんですよね?」

「買いかぶりすぎよ」

「ですが隊長は私たちにいつも生き残る為の作戦を下さいます」

「それでも、死なないと思って立てた作戦で死ぬかもしれないわ」

「それは自分たちにその力が無かったからです」

「あなたはそれで納得出来るの?」

「できます」

「嘘ね」

出来る訳ない。

「出来ます」

「出来る訳ないわ」

死にたい人間なんて居ない

「できます!」

「できないわよ!」

麗は叫び散らした。自分の作戦で人が死ぬのはもうたくさんだ。

でもこの隊員はそうではないと言い続ける。

麗は俯きその隊員を見る事など出来ない。

こんな醜態を晒したのだ。もう着いて来たいと思う者など居ないだろう。

そう思っていた。

だがその隊員はそっと麗の量の手を握り込む。

「できますよ、だって麗さんは私たちを大切にしてくれるじゃないですか。なら私たちも麗さんに、いえ、隊長にこの命を預けます」

麗は恐る恐る顔を上げる。

見知った九十六番隊の面々の顔を見て行くと、全員が麗の顔を見つめていた。

「全員同じです。隊長の命令を待っています」

「死ぬかもしれないわ」

「覚悟は出来ています」

「震えてるわよ」

「気のせいです」

麗はその後ろに居る九十六番隊に問いかける。

「覚悟は出来てるの?」

その言葉に九十六番隊全ての隊員が無言で肯定の意を示す。

その言葉は麗自身にも言い聞かせる言葉。

麗は出来ていない覚悟を今決めた。

「本当に馬鹿な子達ね、いいわよ!命令をあげる」

麗の瞳に涙は消え、ただ一つの覚悟を決めた瞳が有るだけだった。

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