第九十三節  追い求めていた影

「キュシー……」


 グリムは冷静に目の前の人物──キュシー──の名を呼んだ、つもりだった。しかし言葉にした瞬間、様々な思いがこみ上げてきそうになる。

 それは再会できたことの嬉しさか、生きていたことへの安心か、己を捨てたことへの怒りか、ずっと会えなかったことへの寂しさか。そのどれなのか、グリムには判断しかねた。決められない程に、多くの感情が渦巻いている。そんな彼女の心情はいざ知らず、名を呼ばれたキュシーはグリムを視界に捉えたのか、悠然と言った様子でこちらに話しかけてきた。


「ああ、グリム。久し振り、見ない間に随分大きくなったなぁ」


 記憶の中にいる彼女と同じように、目の前のキュシーもにこりと笑う。その笑顔をどうしてか、真っ直ぐと見れそうにない。しかし動揺ばかりもしていられない。極力感情を消しながら、彼女はキュシーに問いただす。


「貴様、こんなところで何をしている?」

「ううん、まだまだ表情が硬いな。昔はもっと笑っていたのに」

「私の質問に答えろ」

「そんなことよりも、他にもっと聞きたいことがあるんじゃないか?例えば──」


 私がしてきたことについて、とか。


 キュシーはそう、静かに言葉を紡ぐ。どうにも不気味なその様子に、火山の中にいるというのに背筋が凍りそうになる。恐怖にも似た感情を潜ませながら、相手を話題を出したのだからそれに答えてもらうことにする。


「……最近話題になっていた辻斬りの正体は、貴様か?」

「うん、否定はしない。ムスペルースだけじゃない。私は世界を回り、殺しを重ねた。男も女も老人も子供も、私は何度も殺した」

「どうして、そんなことをしたんだ!?」


 隣にいたエイリークが吠える。そこでようやくキュシーは、グリムの周りにいた彼らの存在に気付く。彼らをじっくりと見てから、そうかと言葉を漏らす。


「彼らは、友達か。うん、いいことだ」

「貴様には関係なかろう、キュシー。それよりも何故──」

「何故辻斬りをしたか、それは魔剣ダインスレーヴの完全な復元のためだ」


 すらり、とキュシーはその手に持っていた剣をグリムたちに掲げた。掲げられた剣はまるで呼吸をしているかのように、その刀身に纏う波動を鼓動させる。


「かつてドヴェルグ族の男が造り上げたという魔剣……世界戦争にて使用され砕け散り、破片は世界各地に散らばった。ドヴェルグ族から技術と叡智を学んで身に着けていた我らデックアールヴ族は、その破片を加工しうるわざを持った」


 しかし悲しいかな、破片といえども魔剣の力は強い。未だに生き血を吸おうとするその力は、魔剣の破片が加工された武器を持つ者の精神を蝕む。やがてその者は魔剣の意思に意識を塗り固められ、最終的には殺戮兵器となるのだと。


「そんな危険な武器が、悪意ある者の手に渡ればどうなると思う?世界は戦火に呑まれ、生きとし生けるものはすべて死に絶えるだろうよ」

「だから、それを回収していた……?」

「察しがいいね、そこの白い人間。そう、魔剣の破片は様々な者の手に渡り、本当に世界各地に散らばっていた」


 時にはあろうことか、知恵もない者が勝手に加工したがために暴走状態となっていた破片もあったとか。無理に加工されると、魔剣の破片は抑圧された力を元に戻すため、反動の行動が起きるらしい。そんな状態の魔剣の破片を回収するため、辻斬りはやむを得なかったとキュシーは述べた。


「技術を持つのはデックアールヴ族しかいないというのに、それを己の功績かのように語る者もいた。実に愚か。不安定な状態では、魔剣が反抗期になるのも当然だろうに」

「そんな、なにも殺さなくたって!」

「魔剣の意思に操られた状態の者と交渉しろと?なんて面白い冗談だろうか」


 くす、と笑うキュシー。グリムはそんな彼女を分析しながら、今のところはこうして言葉を交わせていることにある種の安堵を感じていた。このまま話ができるようなら、交渉もできるのではないかと。しかし解せない点もある。魔剣を復元させて何をしようというのか。その目的が見えてこない。


「……キュシー。貴様、魔剣を復元させて何をするつもりだ」

「なにを、とは?」

「とぼけるな。ただ破片を回収するためだけに、世界を回っていたというのか?そんな理由が他の奴ならともかく、私に通じるとでも思っているのか?」

「まぁそれもそうか」

「答えろキュシー。何故だ」


 グリムの質問に、ややあってからキュシーはその笑みを深くする。それなのにその目は全く笑っていない。


「そんなの、私が振るうという理由以外に何があるとでも?」

「なにっ……?」

「お前たちは知っているか?何故、世界戦争の折に魔剣は砕け散ったのか」


 キュシーの質問に、グリムをはじめとした一行はお互いの顔を見やる。魔剣が砕けた理由を、グリムを含めエイリークたちも知らないのだ。どうしてかわからず言葉に詰まっていると、キュシーがその答えを明かす。


「答えは単純だ。扱いきれなかったのだ、他の種族では。その強大すぎる力を。魔剣を扱えるのはその力を生み出したドヴェルグ族か、従えられる術を持つデックアールヴ族だけ。にもかかわらず、力を求めた種族に魔剣は奪われ、その結果折れて破片となり、世界に散らばってしまった」

「そんな力が宿っていると知りながら、何故貴女は魔剣を使うだなんて仰るのです!?」

「わからんか?これは魔剣を奪われた者の、世界に対する復讐だ。すべては愚かにも不義を働いた、すべての種族に鉄槌を下すため。言っておくが魔剣の意思からではないぞ?私個人が、それをしたいからだ」


 その言葉の直後、キュシーから空間全体に異質な殺気が放たれる。その手に握られている魔剣も、彼女の殺気に呼応するかのように威圧的な気を放つ。


「グリム、お前は私と同族だ。少しばかり共に過ごした情もある。私とともに来ないか?お前は特に、人間に裏切られ蔑まれてきたからな。そんな種族にも復讐できる機会を、私が与えよう。お前に生きる選択肢を与えた、あの時のように」


 キュシーの言葉に、グリムの脳裏に彼女と初めて出会った時のことが甦る。世界保護施設に売り払われそうになっていた、今から14年程前のことだ。種族の違いだとかが理解できず、ただ泣くことしかできなかったとき、キュシーにその命を救われたのだ。

 彼女はその場にいた世界保護施設の人間も、グリムを売り払おうとした人間も殺した後に、笑ったのだ。大丈夫かと優しく声を掛けられ、生きたいなら共に来るかと誘ってくれた彼女の手を、グリムは今でも覚えている。信じていた人間に裏切られ傷心していたグリムを抱きしめて、大丈夫と背中をさすってくれた彼女の手。グリムはそんな彼女に縋り、彼女とともに生きる選択肢を選んだ。


 しかし、彼女は一方的にグリムの手を振り払ったのだ。彼女に自分の武器の一つだった大鎌を渡し、突然目の前から姿を消したのだ。そんな彼女が、どの顔でまたしても機会を与える、なんて言えるのだろう。


 グリムは一度俯き、今まで聞きたかったことを質問した。


「……一つ、答えろ。6年前私を捨てたのは、何故だ」

「その答えも単純なものよ」


 グリムの質問の答えを、キュシーは辛辣に言い放った。


「弱いお前が足手まといだったからだ」


 迷いのないキュシーの言葉に、思わず拳を握る。そんな理由で捨てたというのか。己が弱かったから、と。グリム自身も確かに、弱い人物とともに行動するのは苦行に感じることはある。これは、そう思ったことへのしっぺ返しなのか。


「私の持つ武器にも、魔剣の破片は組み込まれその意思が宿っている。お前はよくそれに乗っ取られ、何度も暴走を繰り返したものよ。そんなお前を何度も止めるうちに、私も馬鹿馬鹿しくなった。何故こんな弱い同族を助けてしまったのか、と」


 しかし見違えたよ、と笑うキュシーの声はグリムの耳に届いているだろうか。そんな彼女の状態を気にも留めず、キュシーは彼女が持つ大鎌を眺めながら話を続けていく。


「今のお前なら私の右腕になれる。その武器もお前に馴染んでいるようだし、ね」

「……」

「それに、この魔剣はまだ完成には至っていない。最後のひとかけらが、そこにあるからね。お前の大鎌を私に返してくれ。お前の大鎌にも、魔剣の破片が組み込まれている。それが最後のパズルのピースだ」

「キュシー……」

「その代わり新しい武器をお前に授けよう。どうかなグリム、返事は?」


 キュシーの問いかけに、沈黙を返すグリム。どう言葉を紡ぐかと考えていた時、間に割って入る声があった。耳に届くその声はレイのもの。


「お前、黙って聞いてればふざけんな!グリムはお前のモノじゃないんだぞ!?」


 彼は激高した様子で杖を構え、キュシーに向かって突きつける。怒りの表情を露にして、彼女に言葉を投げつけていく。


「グリムは、お前のことずっと追ってたんだぞ!?理由はわからなかったけど、ずっとお前に会いたそうだった!そのために今まで旅をしてきたんだ!」

「ふぅん……?」

「それなのに再会してみれば、一度勝手に捨てたとかそのくせに戻って来いとか!何様のつもりだよ!?この人でなし!」


 啖呵を切ったレイに、投げやりな視線を飛ばしながらキュシーはやれやれとため息を吐く。小馬鹿にするように小さく笑ってから、彼に話を振った。


「……女同士の会話に割って入る男は嫌われるぞ?それに──」


 レイがハッと息を飲んだ時にはすでに、キュシーはレイの前まで移動し、剣を構える段階に入っていた。あと数秒もあれば、彼の身体はキュシーに刻まれる。


「貴様なんぞの意見は求めてない。部外者にんげんは黙ってろ」


 防御は間に合わない、そう思えたがレイとキュシーの間に割って入る影が一つ。


 武器同士がぶつかり合う音。レイはその身を斬られることはなかったが、盛大に尻餅をつく。見上げると視界には漆黒の髪。そう、グリムがレイを守ったのだ。彼女の行動が予想外だったらしい、キュシーは小さく目を丸くした。


「っ!」


 その隙をグリムは逃さなかった。柄の部分でキュシーの剣を弾くと、空いた身体を両断しようと大鎌を振るう。しかしキュシーもそう簡単に一撃を許さず、咄嗟に身体を翻してそのまま後退した。


「……それが返答かな、グリム」


 キュシーの質問に、グリムは静かにそうだと告げる。


「何故?そいつは人間だろう?お前は人間たちにその人生を狂わされたはずだ。それにお前自身も昔、よく言っていたじゃないか。人間という種族が心の底から嫌いで、憎いと。それなのに──」

「確かに、私は人間が嫌いだ。今でも憎んでいることに変わりはない。……だがな、一つ知ったことがある」


 グリムはレイと、アヤメをちらりと一瞥してからもう一度キュシーに向き直る。


「そんな私にでも、損得なしに種族なんて関係ないと言って、引っ付きたがる馬鹿な人間共がいる。私はそ奴らに対してはまぁ、認めてやらんこともないのだ」

「ほう……?」

「それに私自身、案外この世界を気に入っていてな。貴様一人の勝手に、無為に壊されてはたまらなんだ」


 グリムの言葉にキュシーに何が去来したのか。一度俯いてから、不敵に笑った。

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