第九十一節  湯けむりで一息(男湯編)

 貸し切りとなっている温泉の男湯で、エイリークたちはひと時の休息を楽しんでいた。露天風呂は景色もよく、柚子が浮かんでいる柚子風呂やアロエが使われている湯舟など、温泉の種類も様々。一つ一つ簡単に楽しんでから、今は露天風呂でその疲れを癒している。


「あぁ~いいお湯~」

「ほんっと、疲れが抜けてくみたいだなぁ」

「気持ちいいです~」

「まさか貸し切りにしてくれるなんて、好待遇みたいだなぁ」


 はぁ、と満足という感情が溶け込んだ四人分のため息が、湯けむりに消える。まさか自分たちのために貸し切りにしてくれるだなんて、思っていなかった。聞けばバルドル族のエイリークやリョースアールヴ族のケルスでも、人目を気にせず休めるようにと、手配してくれたらしい。感謝してもしきれない。

 エイリークは、まさか自分がこのような温泉宿で気兼ねすることなく休めることができるなんてと、感動すら覚えていた。

 疲れを癒しながら、談笑を楽しむ。その中で、ラントがこのムスペールヘイムー大陸について話し始めた。


「そういえば、ムスペルースは温泉街で有名だが、リゾート地でも有名なんだぜ。特にサンセットビーチなんて見事なもんだ」

「そうなのですか?」

「ああ。あとは珍しいところといえば、シュテルンビーチとかだな。そこの砂浜の砂が特徴的でな、星みたいな形をしているから星の砂って呼ばれてるんだ」

「星の砂、ですか……!?」


 ラントの話に、ケルスが興味津々といった様子で聞き入っている。目をキラキラとさせるその表情は実に楽しそうで、エイリークはその顔を嬉しそうに眺める。

 しばらくそうしていたが、エイリークの表情に気付いたらしいレイに、肩を指でトントンと叩かれる。


「エイリーク、鼻の下伸びてる」

「ふぇあっ!?」


 レイの指摘に驚き、思わず声が裏返る。突然の自分の奇行に、ケルスがどうしたのかと尋ねてきた。エイリークは笑いながら誤魔化す。


「いやね、もっと体を鍛えないとなってレイと話してたんだ」

「ああ、そうだったんですね。エイリークさん、頑張って鍛えていますもんね」

「うん、それなりにね。また筋肉がついたかもしれないなぁ」


 ケルスが騙されてよかった。人知れず安堵しつつ、己の上腕二頭筋あたりを触りながら答える。

 エイリークは戦闘においては完全に前衛型だ。扱う武器も身の丈ほどある大剣であるため、必然的に鍛えなければならない。そうでないと、身体が武器の重量などに耐え切れないのだ。この四人の中では一番筋肉量は多い。


「おおー見事なもんだなエイリーク。俺はそこまではないかな」


 エイリークの身体付きを見たラントが、感心した様子で言葉をかけてから、己を分析する。彼は中距離型だ。扱う武器は弓であるため、弓を引く際に必要な筋肉を鍛える必要がある。背筋などがしっかりと鍛えられていた。


「ラントは背筋が凄いよね。俺、弓って腕の筋肉だけ使うのかと思ってたよ」

「はは。腕だけ鍛えてても、矢を引くことができなきゃ意味ないんだぜ」

「そうなんだ……全然知らなかったな」

「僕も、鍛えた方がいいんでしょうか……」


 エイリークとラントの身体付きの話で、ケルスがぽつりと呟く。

 ケルスは基本的に自分で動くことはなく、召喚術や仲間たちをサポートする完全後方支援型だ。基礎体力はあってもいいのだろうが、ケルスに筋肉がついた姿は想像ができない。

 いや、想像したくない。筋肉マッチョなケルスなんて嫌だ、そんなの見たら泣いてしまう。いろいろな意味で。

 どうやらレイもエイリークと同意見だったらしく、手を振りながらケルスに言葉をかける。


「いやいやいやいや、ケルスはそのままでいい。そのままでも十分だから」

「右に同じく」

「そう、ですか?」

「そうだよ。なぁエイリーク?」


 レイに話を振られ、エイリークは必死な形相をなるべく隠しながらケルスの両肩に手を置き、言い聞かせるように話す。


「そうだよ、ケルスは、今のままで、いいからね?」

「そう、ですか?」

「そう、だよ……!」

「エイリークさんが、そこまで仰るなら」


 体力づくりの方を頑張ります、とケルスは宣言した。ケルスが筋肉を諦めてくれてよかった、本当に良かった。心の中で安堵の息を漏らすエイリークである。

 そんな自分たちを見たレイが、でもケルスよりは俺は鍛えないと、と話す。


 レイは魔術による攻撃や防御で戦う、中長距離型の戦闘スタイルだ。エイリークほど鍛えてはいなくとも、少なからずその距離を移動するための脚力や、筋力はつけなければならない。


「でもレイは、ユグドラシル教団騎士本部で訓練を積んでいるだろ?」

「それでもだよ。俺、もっと強くなりたいんだよね」

「目標があるんですか?」

「んー。一応、師匠みたいになりたいって感じではあるかな」

「ヤクさんみたいにかぁ」


 エイリークはヤクの戦う姿を思い出す。もしレイが彼みたいな動きができたとしたなら、それはとても心強い。目標を立てるということはいいことだ。上を見上げるレイに、エイリークは激励を送った。


「そっかぁ……応援してるよ!」

「僕も応援しますね!」

「二人とも……ありがとな」


 にこ、と笑うレイに、ケルスが何かに気付いたのか不思議そうに首を傾げる。その様子をレイも疑問に思ったのか、どうかしたのかと質問を投げた。


「ああ、いえ……。レイさん、首の辺りが赤いんですが、怪我でもしましたか?」

「へっ!?」


 ケルスの質問に、レイは顔を真っ赤にして首を押さえる。そしてケルスは気付いていないだろうが、彼の隣に座っていたラントの身体がびくりと跳ねた。二人の様子に原因を理解できたのは、エイリークと本人たちだけだろう。

 何かを誤魔化すようにラントが頬をかきながら、ケルスにある提案をした。


「あー、なぁケルス。よければ、一緒に柚子湯入りにいかないか?」

「え?いいですが……。その、レイさんの怪我とか、お二人は……?」

「怪我なら俺が見ておくよ。二人で楽しんできたらどうかな?」

「な?エイリークがこう言ってるし、行こうぜケルス!」


 もはやその場から逃げるように露天風呂から上がり、柚子湯がある場所へと歩いていくラント。彼において行かれないようにと、ケルスも慌てて立ち上がる。


「え、あ、待ってくださいラントさん!ではエイリークさん、お願いします」

「うん、任せて。いってらっしゃーい」


 手を振りながら二人を見送り、静かになったところでレイから話しかけられる。


「ありがとエイリーク……助かった……!」

「別に大したことないよ。それよりも……二人ってそういう関係だったの?」

「ええっと、その……。告白したのは、つい最近っていうか、城から助けてもらったときっていうか……」


 レイは顔をさらに赤くし、耳までも沸騰しそうなくらいに真っ赤になる。気恥ずかしいのか、彼は蹲るように膝を抱えて座りなおした。レイの様子に、彼とラントが恋仲になっていることへの衝撃よりも、祝福の気持ちが強くなる。


「そっか……よかったね、レイ」

「まぁその、うん。ありがとう」

「ちなみに、聞いていい?いつから好きだったの?」

「えっと……恋なのかなって思ったのは、その。ミズガルーズで師匠たちの失踪を知らされたあとの、森に近しい街ミュルクで取った宿屋で、かな」


 彼の言葉に、そういえばと思い出す。ミズガルーズでヤクやスグリが行方不明だということを知らされ、畳みかけられるように蘇った死者たちから襲撃を受け森に近しい街ミュルクに向かったとき、レイは意気消沈といった様子だった。

 それなのにその街の宿屋に泊まった翌日、彼はまるで何かから吹っ切れたような、表情が明るいものに変わっていた。あの時から、ラントに対して恋をしていたのか。


「それで、告白したんだ?」

「最初はラントの方から告白してくれて……俺がそれに答えたんだ」

「じゃあ相思相愛だったんだね、本当におめでとう!」

「あぁああもう言うなよ恥ずかしくなる!」

「なんで?いいことじゃん!」

「それはまぁ、そうなんだけど!」


 改めて言われると気恥ずかしくなる、とレイはエイリークの言葉を遮るように言葉尻を強くしながら話す。慌てふためくレイを笑いながら眺めていたが、やがて恨みがましく彼から問いかけられる。


「そっちはどうなんだよ?ケルスのこと、ずっと好きなんだろ?」

「ばっ……!?お、俺のことは別にいいんじゃん!」

「よくなくない!俺はしっかり告白したぞ。最初に告白されたけども、自分の気持ちに正直になったぞ?だからエイリークも正直になれよ!?」

「ど、どうしてその流れになるのかな!?確かにケルスのことは大好きだけど、相手は今や国王様だよ!?それに対して俺はバルドル族だしそもそも一般人だし、全然釣り合わないよ!?」

「じゃあお前は、ケルスの隣に自分以外の人がいてもいいって言うのか?そんなの想像できるの?」

「それは……」


 レイの言葉に、ケルスが知らない人物と一緒にいるところを想像してしまい、体温が下がる感覚に襲われる。それを考えると、胸が締め付けられる。できることなら、そんなことは考えたくない。

 閉口したエイリークに、レイから考えたくないだろ、と言葉をかけられる。


「お似合いだと思うけどな、俺」

「でも……言えないよ、こんなこと」

「エイリーク……」

「それにこんなこと、ケルスにも迷惑になるだろ?俺はケルスの笑った顔が大好きで、守りたい。俺のせいで泣かせるようなこと、したくないからさ」


 これでいいんだよ。ラントと共に温泉を楽しんでいる様子のケルスを眺めながら、言葉を零す。


「まぁエイリークにその気がないなら、俺ももう何も言わないけどさ。でも、思っているだけじゃわからないことだって、あるよ」

「はは、レイに言われると説得力があるね」

「茶化すなよ」

「わかってるよ。でも、そうだね……。いつか言おうと思える日が、来るといいな」


 その時にケルスが答えてくれる確率なんて、ないに等しいかもしれないけども。それでも万に一つ、いや、億に一つの可能性を考えるくらいはタダだよねと話す。

 そんな自分に、レイから応援しているよと激励が送られるのであった。

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