第五十九節  死者な生者

「あらら、ごめんなさいアマツさん。破られちゃいました」

「気に病むでない。寧ろ、私は彼らと技を交えることが楽しみでならんよ」

「そう言っていただけると僕も嬉しいです」


 アマツが不敵に笑い、刀の柄に手をかける。その様子を見たルーヴァが、にこりと笑って立ち上がった。彼らの視線の先にいるのは、武器を構えたエイリークたちの姿。臨戦態勢となった二人から放たれる殺気は、やはり鋭く肌を切り裂くようなもの。

 一瞬にしてその場を包んだ空気に、エイリークたちは直感する。彼らは、強者であると。自分は彼らに敵うだろうか。不安を抑えるように、エイリークは大剣の柄を握りしめる。そんな自分に、グリムが声をかけてきた。


「バルドルの。貴様の力を使いこなしたいのなら、試す方法があるぞ」

「試す、方法?」


 そんなものがあるのだろうか。


「……少し、

「き、キレるって……?」


 予想外の提案に、思わずオウム返しに尋ねる。それに対してグリムは、海上戦の時のことを話してくれた。

 バーコンとの戦闘時、我を忘れたかのように自分がが動いそうなのだ。エイリーク自身はそのことをあまり覚えていないが、グリムはその一部始終を見ていたとのこと。


 我を失った瞬間にバーコンの直撃を受けたことで恐らく、一時だけある種の夢遊病のような状態に陥った。意識混濁で現実との区別が曖昧になったことで、本来なら裏人格のエイリークの術を扱えるようになった可能性がある、と。

 つまり怒りで我を忘れるといった、感情の制限が利かない状態になれば、裏人格のエイリークの術を表人格のエイリークが、そのまま使えるようになるかもしれない。

 それが、グリムの推察なのだと伝えられる。


「成程……。わかった、やってみる」

「じゃあ、その間は俺が前に出るよ」


 エイリークの前に出たレイに、グリムが苦言を呈す。


「待て。貴様は下がれ」

「何言ってんだよ!?そしたら、前に出るのがグリムだけになるだろ!?」

「これだから低能だというのだ。奴らの狙いは貴様だ。戦い方もわからぬ今、貴様が前に出れば、奴らの思う壺だというのがわからんのか?」


 彼女の指摘は正しい。敵の目的は、女神の巫女ヴォルヴァであるレイだ。彼が下手に前に出れば、連れ去られる可能性も十分にある。反論する余地はない。レイは、ぐっと拳を握り締める。

 レイだって、根本から理解しているはずだ。それでも、大切な人を攫ったかもしれない張本人たちが目の前にいて、逸る気持ちが出るのも無理はない、と思う。

 でも今は、仲間を──自分たちを信じてほしい。


 エイリークの心の呟きが聞こえたのか、レイは悔し気に俯きながらわかったと答えた。グリムもそれ以上言わずに、分かればよいとだけ答える。


「リョースの」

「はい」


 グリムの呼びかけで理解したのか、ケルスが銀のブレスレットにマナを込める。彼が使う召喚術の陣が足元に広がり、光を放つ。やがて具現化されたのは、巨体の大鷲──フレスベルグであった。ケルスは獣に、グリムのサポートを指示した。


 こちらの様子を窺っていたアマツたちが問いただす。


「ほう、一人でよいのか?」

「フン……その余裕、続けば良いがな」

「ははは、結構。……では、お相手つかまつる」


 アマツの言葉を皮切りに、グリムとフレスベルグは彼らたちエインに向かった。


 ケルスとレイの前に立っていたエイリークは、少し困惑していた。グリムにはやってみると言ったものの、どうやってキレればいいのか。なかなか良い方法が思いつかないのだ。怒ることはあっても、キレるとは。

 仲間に手を出されることは、怒る部分ではあってもキレるまで想像がつけない。ならばと、今まで受けた理不尽な人種差別のことを思い出そうとしたが、心の何処かで慣れてしまっている自分がいる。


「キレるって難しいなぁ……」

「なら、俺が悪口でも言ってやろうか?そうすりゃキレるだろ?」

「それいいかも。お願いしてみてもいい?」

「おうさ、任せな」


 エイリークの隣にいたラントは、ケルスを一瞥したと思えば、とんでもないことを語り始めた。


「なぁ知ってるかエイリーク。王族とか貴族って、結婚してから肉体関係を持つ前に練習として、家族間とか未来のお相手と同衾することがあるんだってよ」

「どっ!?」


 突然何を言い出すのかこの人は。しかも王族と先に言葉にされたからか、脳内でケルスの姿を思い浮かべてしまっている。

 いや何故悪口のはずが、こんなことを言われているのだろう。もしかして自分がケルスを好いているからって、それに関係した何かを言われるのか。待てそんなこと聞いていない。

 エイリークの混乱をよそに、ラントは話を続けた。


「だからつまり……あのカウト王子もヤることヤッてたんじゃないか、ケルスと」


 一気に体温が上昇する。ケルスは可愛い。確かにかわいい。そんなケルスも立派な王族だ。知識としてそういった情報を持っていても不思議ではない。

 ラントの言うとおりだとするならば、ケルスは誰かに体を開いたことがあるということか?待て落ち着こうそんなこと考えたくない。

 ひとまず目を閉じて深呼吸しようとするも、脳裏に一糸纏わないケルスの姿を思い返してしまう。何故。


「ら、んと?今は悪口の話だよねっ!?」

「いやだから言ってるだろ。お前ケルスのこと好きなのに、カウト王子に先につまみ食いされてるぞって内容の類だし。好きな人が他人の使用済みってキレない?」

「ちょっとは言葉選んでくれないかな!?」

「おーほらキレてるじゃん」

「これは恥ずかしさからだよッ!」

「え、なにまさか妄想しちゃった?」


 ラントの言葉に触発され、脳内にいるケルスが寝転んで自分を呼ぶ。その扇情的な光景に頭がくらくらする。別の意味で意識が混濁しそうだ。


「あーそうそう。リョースアールヴ族って特徴的な耳が弱いらしいし、多分カウト王子もわかってるんじゃないか?許婚っていうくらいだし、何回か一緒に寝たと思うと悔しくないか?」


 脳内のケルスが、耳の付け根を触られて顔を赤らめる。その様子が網膜の裏に焼き付いてしまう。ケルスの表情があまりにも恍惚としていて、欲情させられそうになって──。

 エイリークは脳内キャパシティーが限界値を超えてしまい、意識を飛ばしてしまうのであった。

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