第五十四節  一滴のシミ

 レイは部屋に入り荷物をまとめると、大きくため息を吐いた。なんだか、色々な出来事が一気に自分の目の前に現れては、一気に過ぎ去っていくような感覚だ。

 自分の大切なものまでも掻っ攫っていくような、そんな一抹の不安を煽られているようで。思った以上に、精神的にダメージが来ているようだ。今日はこの街で休もうと提案してくれたエイリークに、感謝しかない。


 ベッドに腰かけ片膝を抱える。そこに顔をうずめ縮こまる。そうでもしないと、大切な何かが零れ落ちていくような気がしてならない。

 憧れでもあり、自分の恩人のヤクやスグリが行方不明で、生きているのかさえ分からない。二人がそんな状況に陥るなんて、考えたことがなかった。


 自分の女神の巫女ヴォルヴァの力でもある予知夢では、そのような夢は視ていない。レイが夢を視た段階で、その未来は約束されたものとなる。どれだけ横道に逸れようとも、確定した、選択されるその未来へと夢が現実は進んでいく。

 ここ最近は、夢を視ない。視ていないということは、今のこの状態は不測のもの。つまりその場その場で一つ一つ、決められた選択肢から選ばなければならない。しかもその選択が正しいのか正しくないのか、わからない。

 こんなにも不安なものなのか。事前に選択の猶予も与えられないことが、こんなにも重大なのに、怖いことだなんて。


「大丈夫か?」


 いつの間にかラントが隣に座り、レイの様子を窺っていた。少しだけ顔を上げ、小さくふるふると首を横に振る。いつも思うが、何故かラントの前ではエイリークたちには見せない顔を見せることができる。

 それは彼が自分と同じ人間だからか、はたして。


「ちょっと、いろんなこと起きすぎて、頭こんがらがる……」

「……そうか」

「師匠とスグリ、きっと大丈夫だよな?消息不明っていってたけど、絶対に、生きてるよな……?」

「レイ……」

「二人は強くて、軍の部隊長で、俺の自慢の二人で……。なのに、不安で怖くてどうしようもなくて。もし二人が死んじゃってたら、どうしよう……!」


 頭をよぎるのは二人の笑顔や、今までの楽しかった記憶だ。それが思い出になってしまうかもしれない。そのことがとてつもなく、怖い。共有することもできなくなってしまったらと、負の感情に引っ張られてしまう。カタカタと身体が震える。

 そんな自分の肩に手を置いて、ラントが己の方へと、レイを抱き寄せてきた。それいやに安心できるから、だからつい弱音ばかりを吐く。素直に寄りかかり、ラントの温度を感じていたい。今は強くそう思う。


「俺、女神の巫女ヴォルヴァになったことは、後悔してない。この力で世界を導く手伝いがしたいってのが、俺の夢だから。でもそのために、この力のせいで犠牲になっていく人がいるのが、俺……」

「……ああ」

「俺一人の命で世界を救えるなら、怖いけど死んだっていい……。でもそうじゃないだろ?」

「……そうだな」

「何の目的でどういう理由で、女神の巫女ヴォルヴァばかり狙われるんだ?どうして、いつもいつも俺の目の前にある世界はこんなにも、理不尽なことばかり……!」

「……世界は理不尽だらけなのさ。それを、どう折り合いをつけて生きていくか。それを考えられるのが大人で、それが理解できないうちは、まだ子供なんだ」


 でも、とラントが諭してくる。頭を撫でてくれるその手が、痛いくらいに優しい。


「俺もお前もまだ、ガキだ。だから理不尽なこと怖いことに対して、怒っていいし泣いてもいいんだ。たとえ世界を導き救う女神の巫女ヴォルヴァであってもな」

「ラント……」

「そこまで無理して、巫女ヴォルヴァしなくてもいいんじゃないか?」


 今までも女神の巫女ヴォルヴァはいても、レイ・アルマという人物は今目の前の一人しかいないのだから。

 なんな言葉を投げかけられて、レイはせき止めていた感情を爆発させるかのように、ラントに縋って泣く。ラントはそんなレイの頭を撫でながら、何を言うでもなく、そこにいた。


 ******


 しばらくして、泣き腫らしたレイは落ち着きを取り戻した。目元を拭いながら、ラントに礼を述べる。気にするなと言ってくれる彼に、つい甘えてしまう。


「ありがとな、スッキリした」

「本当か?」

「何も問題は解決してないけど……。でも、少し余裕が出てきたのは本当。色々ありすぎて頭パンクしそうだったけど、聞いてもらったから整理もつけそう」

「そっか……ならよかった」


 ラントは笑うと、ふとポケットの中からある物を取り出す。淡い黄色が美しい石が使われたイヤリングだ。急にこんなものを取り出して、何かあるのだろうか。

 視線でそう訴えかける。イヤリングをレイに見せた彼は、話し始めた。


「以前たまたま見つけたものなんだけどな、これ見た瞬間にレイのこと思い出してよ。よかったら一緒につけようぜ?」

「つけるって、これ一セットしかないんじゃ、つけるも何も」

「だから、俺たち二人で片方ずつってことさ。俺が左耳で、お前が右耳。簡単だけど、形に見える俺たちの親友の証ってコトで」

「なんで急に?」

「まぁ変なタイミングだけど、今までこうして落ち着いて話す機会って、あんまなかっただろ?だから個人的にはこのタイミングってなったし、言ったろ?これ見た瞬間レイのこと思い出したって」


 そう言いながら、ラントは台紙からイヤリングを外す。右耳用のイヤリングを外すと、レイに渡してきた。言われるががまま渡されて、ラントを見る。

 屈託のない笑顔を見せられては、無碍にすることもできない。それにこのような目に見えるものも、悪くないと感じる自分もいた。同じように笑ってから返事をする。


「そこまで言うのなら、仕方ないなぁ」

「やりぃ」


 そう言ってレイは言われたとおり、右耳にイヤリングをつける。ラントは左耳に同じようにイヤリングをつけた。

 使われている石は何かと尋ねれば、それはシトリンだと教えられる。石言葉は確か、友情だったか。友情の証にシトリンのイヤリングだなんて、ラントからは想像もつかないようなロマンチスト思考だ。おかしくて思わず笑えば、いつぞやのように髪をわしゃわしゃと弄られる。

 他愛もない会話をしているうちに、いつの間にかリラックスできていた。


「夜も更けてきたし、明日も早いだろうから寝ようぜ」

「もうそんな時間か。って、俺たちメシ食ってない!!」

「……ば、売店!外の売店行こう!そんでもって食べてシャワー浴びて寝る!」

「だな!?まだ間に合うよな!?」


 その後、慌てて夕食を調達したり急かされるようにシャワーを浴びたりと、慌ただしく行動していく。そのなかで、自然とこの街に来た時に抱いていた不安が小さくなっていったことに、レイはベッドに入ってから気付く。

 今も首からかけているペンダントを握りつつ、空いている手で右耳を触る。確かにそこにあるイヤリングの感触に、思わず笑みが零れる。

 だって、初めてだ、こんなこと。学生時代にも友達は多くいたけれど、こんな風に何か一つのものを共有するなんてなかった。だから嬉しい。しかもこうして、目に見える形で残すだなんて。


 もうラントは寝ただろうか。寝返りを打った振りをして彼を見る。すやすやと寝息を立てるラントを見ながら、レイは心の中にある感情が芽生えることを覚えた。同性同士でなのに、いや、だからこそだろうか。

 もしこの感情を、ラントにぶつけることができたなら。もしそれに、彼が答えてくれたなら。淡い希望を持って、いつかしっかりと、自覚したときに告げよう。心の中にその想いを、そっとしまい込む。


 目の前にある問題が片付いたら、言ってみたい。頭でいろいろなセリフを考えながら、微睡みに意識を預けるレイであった。


 翌日、多少目が腫れてはいたが構わずにエイリークたちと合流する。昨日別れた時には、心配してくれた彼らを気遣えるほどの心の余裕はなかった。精神が摩耗しきっていて、憔悴した姿を見せてしまったと気付いたのは、起きてからのことだった。

 そんな自分の姿を見ていたからだろうか。打って変わった今日のレイの様子に、多少戸惑った様子のエイリークたちに出迎えられる。自棄になってないかと尋ねられた。


「大丈夫。心配かけてごめんな、みんな」

「ううん、レイが大丈夫ならよかったよ」

「ありがとな」


 笑って返事をすると、ケルスは何かに気付いたのか質問してくる。


「その、何かいいことがありました?」

「えっ?」


 その質問に思わず声が裏返り、一瞬だがラントに視線を移す。なんとなくそのことはまだ秘密にしたくて、何でもないと誤魔化す。


「そう、ですか?」

「そう!早くミズガルーズに行こうぜ!?」


 ケルスに答え、その場から逃げるように宿屋を後にするレイであった。

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