第十九節   厄介事と巻き込まれ体質

「まぶしっ」


 フロスティから無事に外に出た一行。外の太陽はまだ天高く昇っていた。この分なら夕方頃にはミズガルーズの到着できるだろう。

 目の前にはイーアルンウィーズの森が広がっている。道も整備されているので、難なく進めそうだ。森の中を北西方向に進んでいけば、目的地であるミズガルーズが見えてくるはず。


「よし、じゃあ進もうか」

「ですね。途中で休憩を挟みますか?」

「そうだな。歩きっぱなしってのも、酷だからなぁ」


 イーアルンウィーズの森にはリラクゼーション効果がある、といわれている。理由としては、二つある。

 一つは、森が人の手が加えられていない、自然そのままの姿であることと。もう一つは、木々から発生される酸素に、良質のマナが含まれているからだ。そんな森であるがゆえに、奥には魔物も数多く存在するが、襲ってきても今の自分達なら魔物に後れを取ることはない。問題なく進むことにする。


 しばらく歩いて、森の中腹ぐらいだろうか。少し開けた空間に出る。道の傍には誰か見知らぬ人達の、焚火の残骸が散らばっていた。ここで休憩をした痕跡だ。ならば安全なのだろう。しばしの休息を取ることにする。


「そういえば、レイはミズガルーズに帰ってたりしてたの?」

「普段は教団騎士の寮があるので、そこで生活してます。だから帰るのは、一年振りですかね」

「そっか。ヤクさんやスグリさん、ソワンさんが元気でいるか知っているかと思ったんだけど。そういう事情なら、仕方ないね」

「運が良ければ会えるんじゃねぇの?」


 そんな風に談笑しているエイリークたちに、忍び寄る影が一つ。木々を掻き分けるようなその音に、その場にいる全員が警戒心を強めた。迫ってくるのは、魔物の気配。しかしどこか異質さを感じられる。いったいどういうことか。


「くるぞ」


 グリムが声をかけた直後、木々を薙ぎ倒した魔物が姿を現す。魔物は体躯の大きい獅子の魔物だが、様子が明らかにおかしい。

 一言でいえば、完全に暴走している状態だ。目は血走り、爪や牙には血がべっとりと付いている。唸る声は威嚇のそれであり、完全に我を忘れている。その魔物が引き連れているのか、狼の魔物が数匹同じように血走った目でこちらを凝視している。

 一同は、その魔物の様子に若干動揺した。ケルスはリョースアールヴの特徴である耳をそば立てて、意識を集中する仕草を見せる。リョースアールヴは、自身が使役する召喚獣の声の他にも、魔物の声も聞き取れることが出来る能力があるのだ。ケルスはその力を使い、魔物の声を聞こうとした。


「……苦しんでいる……?」

「え?」

「この魔物、自分で自分の力を制御できないみたいです!」

「原因は!?」

「それはわかりません、だけど……!」

「っ、来ます!避けて!!」


 レイの言葉の直後、獅子の魔物が前足を上げ爪を振り下ろす。レイの注意で全員その場から退避する。空気が切られる音の直後、音を立てて割れる大地。ケルスが聞いた声も気になるが、何もしなければこちら側がやられてしまう。


「しゃあねぇ、奴さんがああなんだから迎え撃つぞ!」


 ラントが弓を引き、獅子の魔物の足元を狙って矢を放つ。


"水光接天ヴァッサーグレンツェン"!!」


 獅子の足元に放たれた矢は、地面に突き刺さると光り輝き魔物の視界を奪う。その隙を突き、エイリークは体勢を低く構えて突進する。魔物の腹の下に回り込み、構えた大剣を突き立てる。


"其は風神の逆鱗テルビューランス"!!」


 風のマナを纏った大剣。そこから生まれた風はマナの変化で刃の如く、荒れ狂う渦となって、獅子の魔物を腹下から切り裂いていく。悲痛に吠える獅子の魔物。その魔物の頭上には、大鎌を構えていたグリムがいる。


"刃よ、死を執行せよアームラモール"」


 グリムが獅子の魔物の首を切り落とすように、大鎌を振るう。一瞬の刹那。瞬きの直後には、すでに獅子の魔物は死体となっていた。

 残りは狼の魔物たち。それについては、すでにレイが詠唱を完了していた。


"瞬け天上の住人達シュテルネンリヒト"!」


 光の球体を流星のように降らせるレイの術。威力もスピードも申し分なく、それらは次々と狼の魔物の身体を貫いていった。

 やがて魔物は全滅。追撃もないと判断したエイリークたちは武器を収める。息絶えた魔物の死体のそばに駆け寄ったケルスが、その身体を調べる。エイリークたちも様子を見に近付く。


「特に変なことろは、なさそうだけど……」


 息絶えた魔物を観察する。獅子の魔物や狼の魔物は、この森では普通に存在している。大きさは違えど、一般的な魔物と大差がないように見えるが。そんな中ケルスが、魔物の足の部分に注目した。


「これは……」


 魔物たちの足には何やら、足枷のようなものが嵌められていた。黒い足枷だ。エイリークは初めて目にする。


「この足枷が、どうかしたの?」

「昔、本で目にしたことがあるんです。装着者の意識を剥奪し、拘束する足枷。古代より呪術の触媒として語られる、忌まわしき魔具。名をグレイプニル」

「これが、そうだっていうのか?」

「断言はできないです。でも本で見た足枷の図と、とても酷似してて……」


 どこかで調べてもらうとわかるかもしれない、と話し込む自分たちの背後にまたしても物音が響く。魔物を取り逃がしていたのだろうか。大剣の柄に手をかけ、振り向きざまに剣先を向ける。

 物音のした方角から現れたのは、見たことのある制服を身に纏った人物たち。白い軍服、大国ミズガルーズ国家防衛軍の制服だ。襟に差してあるのは緑のライン。


 エイリークは見たことのあるその姿に、剣を収める。しかし相手側は警戒を解いていない。なんだろう、物凄くデジャヴを感じるのは、きっと気のせいではない。


「どうした?」


 彼らの奥から聞こえてきた声に、エイリークは胸を撫で下ろす。何故なら、その声には聞き覚えがある。艶のある黒く短く整えられた髪を持ち、日に照らされた青葉のような瞳を持つ男性。二年前に世話になった、自分の恩人の一人──ミズガルーズ国家防衛軍騎士部隊の部隊長、スグリ・ベンダバル。

 彼は目の前にいた集団がエイリークたちだと知ると、自分の部下たちに警戒を解くように指示を出す。しかしと渋られていたが、スグリは動じない。


「隊長命令だ、聞こえなかったか?」

「い、いえ!申し訳ございません」

「構わん。それよりも、後始末の準備を始めるんだ」

「はっ!」


 彼の指示で動き始めた部下たち。その様子を一瞥したスグリは、エイリークたちに近付く。自分たちも彼に近付き、久し振りの再会を喜ぶ。


「スグリさん!」

「久し振りだな、元気そうで何よりだ」


 二年前よりも少し貫禄がついている。落ち着きを感じるスグリに、ひどく安心感を覚えた。スグリはそんなエイリークたちに、部下たちの対応について謝罪する。


「すまんな、こちらでまだ情報が整っていないんだ」

「スグリ、何があったの?」

「レイか。いや……昨日から、このビラが世界各地で配られてな」


 スグリが見せてきた紙切れには大きく、手配書と書かれてある。そこに記されてある内容に、目を疑った。


『漁港の街キュステー襲撃犯 バルドル族 賞金5000万クローネ』


「なんですかこれ!?俺やってないです!」


 エイリークはすかさず反論する。自分の与り知らないところで賞金首になっているなんて、冗談じゃない。そもそも、自分たちは漁港の街キュステーから逃げてきたのだ。その街がヴァナルに襲撃されたから。

 そう伝えれば、スグリからは、わかっていると返答が来る。


「ヴァナルについてのことは、聞いている。ただ、この情報に踊らされている人物がいるのも、事実だ。軍内部でもまだ混乱していてな」

「そんな……」

「ただシグ国王陛下は、この情報がデマだと確信している。そもそも、あの街が襲撃を受けてから、まだ二日と経たない。それに目撃者が少ないのにこんな正確に、お前の絵が描けるかって話だ」


 いったい誰が、自分に罪を着せようとしているのか。言い知れぬ不安が胸の内に溜まっていく。


「お前たちは、これから何処に向かうつもりだ?」

「僕たちはレイさんを、ミズガルーズのユグドラシル教会へと送り届けるんです」


 ついでにこれのことを調べてもらえないかと思って、とケルスは先程魔物に嵌められていた黒い足枷をスグリに見せる。納得したスグリは、国家防衛軍の捜査部隊を訪れるといいと教えてくれた。そこでは、様々な調査をしているのだと。


「ありがとうございます」

「エイリーク、念の為その姿は隠してミズガルーズに向かった方がいい。いくら偽情報とはいえ、市民に一度広まった情報を訂正するのは、それなりの時間がかかる。誰かがお前を軍に突き出さないとも、言い切れないんだ」

「はい……」

「巻き込んですまんな」

「そんなことないです!むしろその、俺の方こそごめんなさい」


 謝れば肩にポン、と手を置かれる。気落ちするな、というスグリの声なき励ましが、エイリークを慰めてくれた。

 スグリはまだ仕事があるとのことで、彼とはそこで別れる。ミズガルーズまでは、あと少しだ。

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