Enigma〈エニグマ〉

砂鮫 雪

プロローグ

「じゃあな...」


 伽藍とした白一色に染められた部屋で男が一人この世界に一時的な別れを告げている。

 彼の名前は霧崎 祐。


「ここまで長かった...」


 そして霧崎はここにくるまでの道のりに思いを馳せた。


 時は2028年、技術の発展は凄まじく日に日に人々の生活は革新的になっていった。


 昔、絵空事と言われていたアニメーションや小説の中で描かれた技術は現実のものとなり、物語の中の人物のような暮らしを自分達がしていることが当たり前になった。


 しかし、当然ながらまだ実現化されていない技術も多く存在する。その中の代表格のひとつがVR空間へのフルダイブ技術だ。


 霧崎は歯噛みした。ここまで技術革新がありながらまだフルダイブは実現化しないのかと。


 幼い頃フルダイブゲームを題材にした漫画を読んでからというものフルダイブ技術に、特にフルダイブ技術を使ったゲームに憧れ続けた。その手のニュースを読み漁り、いつ実現されるのかと首を長くして待っていた。


 だが、まだ実現されていない。今年で霧崎は18歳になる。

 まだ十分若いだろうと言われるかもしれないが存分にフルダイブ技術を、フルダイブゲームを楽しみたかった彼はここが我慢の限界だった。


 この部屋にただひとつ存在感を放つ物体に霧崎が目を向ける。


 目の先にあるのはカプセル状のコールドスリープ装置。

 そう、彼はフルダイブ技術が開発されるまでコールドスリープによって眠り、フルダイブ技術が開発され一般化されたときに覚醒してフルダイブ技術を満喫するつもりなのだ。

解凍されるタイミングは外部からの命令になっておりその命令はAIが情報収集をして一般化されたと判断した場合命令を送信するようになっている。


(次目覚めた時は念願叶うときだと考えると興奮が押さえられないな)


 この部屋は重厚なシェルターになっておりあらゆる事態から身を守るので安全面も考慮されている。

 何故彼がこんな設備を手に入れたかというと両親の保険金だ。その全額を突っ込み用意したのがこの設備というわけだ。天国で両親はどう思っているだろうか...


 これまでの思い出に浸りながら準備を進める。これから自分の体を預けるカプセルを一撫でして笑みを浮かべる。


 機械に入り目を閉じると電子的な声がコールドスリープ開始のアナウンスを始める。そのアナウンスが流れ始めてから全身が冷たくなっていくのを感じながら俺は意識を手放した。




 夢から覚めたような感覚で徐々に意識が覚醒する。からだの感覚が戻ってくるのを感じる。


 時は来たようだ。これから俺はフルダイブを思う存分満喫するんだ。気分を高揚させながら十分に感覚が戻った体をゆっくりと動かしまぶたを開ける。


 周りは解凍時の白い煙で覆われ、あまりよく見えない。とりあえず体を軽く動かしながら異常がないか確かめる。

 手を握ったり広げてみたりしていると白い煙が晴れてきた。

 カプセルの周りは足元につけられた照明が照らしてくれている。


 そこで俺が目にしたのは朽ち果てた施設らしきものの光景だった。


「──なんだ...これは...」


 俺は確かにシェルターでコールドスリープに入ったはずだ。それは間違いなく記憶に残っている。それが目覚めたらどうだ、全く知らない場所にいる。これはどう言うことだろうか。


「なんなんだ...」


 ひとまず気分を落ち着かせる。今俺が考えつく可能性は4つだ。


1つ、俺が眠っていた周囲が何かしらの影響で破壊され奇跡的に助かった。


2つ、完成されたVR世界にすでに入れられている。


3つ、俺は何かしらで別世界へ来た。


4つ、これが夢である。


 まず3と4はほぼ無いだろう。3はあまりにも突拍子すぎるし4はこれだけリアリティがある夢は無い。一応ほっぺたをつねってみるが普通に痛い。


 残るは1と2だがこれは区別がつかない。現実ならばこんな奇跡はほぼ起こりえないだろうし、あったとしても何故回りが遺跡のようになっているのか説明がつかない。さりとてゲームのなかだとするとアナウンスもなにも無いのは不自然だ。


 色々確かめてみないことには何もわからない。


 そう考えカプセルから一歩外の世界へ出ると足裏から鋭い痛みが走る。


「いってっ!」


 足裏をみてみるとそこには小さな傷ができ、そこから一筋の血が流れていた。どうやら地面に尖ったものがあったらしい。

 手当てをしようにも何も無い。己のからだ一つのみだ。

 よく病院の患者が着るような服を着てはいるがそれ以外は何も無い。靴ぐらいは用意しておくべきだっただろうか。だがどこかわからないところにいる時点で用意していたとしてもいまここにあったとは考えられない。


 いつまでも水も食料もないここにはいられない。ずっとここにいたら餓死してしまう。


 足元に気を付けながら地面に降り立ち、回りを眺める。


 目視できる周囲のものは朽ち果てておりもとが何だったのかわかるものはない。ある程度の範囲はカプセルのライトによって照らされているがそこから先は周り一帯が闇に包まれている。


 目に見える範囲の空間を構成するのは床に積もったがれきだけ。この先に行くと闇しかないがここにいて干からびるよりかはましだろう。


 決意を固め、明かりが届く範囲のギリギリまで歩いていき、そこから闇の中に歩を進める。両手を突き出し周りを探りながら恐る恐る歩いてゆく。


 少し歩くと後ろを振り返りカプセルの照明を確認してはまた歩き出す。そんなことを続けていると、不意に暗闇にがれきの上を進む音とともに一つの赤い光が、カプセルの照明より向こう側に現れた。


 助かったと思った。ここがどこかわからないがこんながれきだらけの空間に人が頻繁に出入りするとは思えない。自分が目覚めたタイミングで運よく、こんなチャンスが訪れたことにろくに信じてもいなかった神に感謝した。


「おーい!ここだ!誰かわからないが助けてくれ!」


 その光に向かって近づきつつ大声を出して助けを求め手を振る。


 赤い光はその呼びかけに応じるようにこちらへと近づいてくる。距離的に赤い光が先に両者の直線上にあるカプセルの場所にたどり着いた。


 カプセルの照明に照らされ赤い光の正体が明らかになる。


 ソレは人ではなかった。

 生物ですらなかった。

 ソレは機械のような見た目をしていた。

 言葉で表現するとしたら機械でできたカマキリのようなものだろうか。両腕には鋭利な鎌が二つ付いていた。

 そして、とても友好的には見えなかった。

ソレはカプセルを障害物と認識したのか鎌を使って壊した。


 周りを照らしていた照明はその動力源をなくし機能を停止する。照らしていたものがなくなりそれは全貌を闇へと再び溶け込ませも得るのは先ほどと同じ赤い光のみ。

 残ったのはソレと自分だけ。


 体を震わせる恐怖を必死に押し殺して、ソレに背を向けて走る。


(なんだアレ、なんだアレ、何が運がいいだ!こんなに運がないことがあるか!あれに話が通じるとも思わない。握手なんて求めようものなら手首より先がなくなるわ!)


 死に物狂いで何も見えない暗闇を走る。地面のとがった部分に足裏が当たり傷つき出血するがそんなことを気にしていられる状況じゃない。


 しばらく走ると体が硬いものにぶつかる。ここが壁のようだ。後ろを振り返ると確実に距離を詰めてきている赤い光が目に映る。


(ヤバいヤバいヤバいどうするどうする)


 どこかにこの空間からの出口があるかもしれない。それを見落とさないように焦りながら壁に手を添わせて走る。


 走り続けていると不意に壁に沿わせていた手の先から壁の堅い感触がなくなる。


 急いで止まり、そこに意識を集中させる。暗闇に目がなれたのかどうやら狭い隙間がありそこから上に向かって緩やかな坂になっているみたいだとわかる。


 少しばかり希望が見えたところで背後から音が近づいてくる。


 急いでその狭い入口に身を滑り込ませるとさっきまで自分がいたところからガキンという音が鳴る。


 振り返るとそこには鎌を振り下ろしたカマキリもどきの姿が。

 冷汗がぶわっと噴き出る。


 幸いなことにこの空間への入り口は狭くカマキリもどきが入ってくるには狭すぎる。鎌を振り上げてこちらに向けて振り下ろしてくるがこちらには届かず、入口を壊そうにもここの壁は簡単に破壊できないのか硬いもの同士がぶつかりあう音が聞こえる。


 なんとか助かったようだ。だがこの壁がいつまでも持つかはわからない。

 早くここから離れないとヤバいと感じ、滑り込んだ時に倒れこんだ体を起こしたところで、手のあたりに何かが当たる。


 目を凝らすとそれは大きな何かの金属の破片だ。それがそこかしこに転がっている。


 ここで俺は一つ思いついた。


 ここの壁がいつまでもつかわからないのだから、それならここで倒してしまえばいいと。幸いなことに向こうの攻撃はこちらには届かない為、一方的に攻撃出来る。


 手元の大きな金属片を両手で持ち上げ、体を揺らし勢いをつけてカマキリもどきに向けて投げる。


 ゴッという音がして多少の高低差も相まってかなりの威力になったであろう金属片は放物線を描き、カマキリもどきに激突し鈍い音を響かせた。


 効いていると判断した俺は近くにあった金属片を持ち上げさっきと同じように投げる。投げる。投げる。5回目の投擲でカマキリもどきは光を消しおとなしくなった。それでも怖いのでもう一度金属片を投げ完全に倒したことを確認する。


 それから少し安心して坂を上っていく。一刻も早くこんなところから出ないといけない。あんなのがもう出てこないとも限らない。今回は運がよかったが次も助かるとは思えなかった。


 焦燥に駆られ坂を上る足を速くさせる。やがて坂は終わり、目の前に壁が現れる。先が行き止まりだったことに絶望し崩れ落ちる。が、ふと顔をなでる風を感じる。

 急いで風の出所を探ると壁にはほんの少しの穴がありそこから風が来ていたのだ。しかし向こうに出ることはできない。壁を殴ってみるが手ごたえはまるでない。


 だが、ここまで来てあきらめたくもない。また下に戻って別の出口を目指すのはごめんだ。どうするかと頭を悩ませ―──一つのアイデアが浮かぶ。

 一度坂を下りカマキリもどきを倒したところにたどり着く。落ちている手ごろな金属片を持ち上げ倒れているカマキリもどきの鎌と体の接続部分に振り下ろす。鈍い音がして少しそこに傷がつく。

 この鎌ならばあの壁を壊せるかもしれないと考えたのだ。今はそれに賭けるしかない。何度も金属片を振り下ろした手は皮が剥け血が滲みボロボロになっている。


 それでも振り下ろし続けやっと、バキンという音とともに鎌の部分が外れる。


 鎌の刃のついていない部分を持ち、意外に軽かった鎌を手に、また坂を上っていく。

 そして壁のところまでたどり着いた俺は勢いをつけて鎌の先端を壁にたたきつける。ガギンと響き、壁はパラパラとその体を少し欠けさせる。

 イケると思い、ニヤリと笑って再び鎌を振り下ろす。


 何度振り下ろしただろうか、1000回を超えたあたりから数えるのをやめたが3000回くらいはしただろうか。今や立ちふさがっていた壁は大きく削れていた。それでもまだ壁は壊れない。ただただ無心で鎌を振り下ろしていく。


 それから少し経った後だろうか、鎌の先端から伝わる感覚が変わる。壁をよく見てみるとそこには小さな穴ができていた。もとからあったものではなく自分が作り出した穴だ。それの意味するところはもう分かるだろう。


「やっとだァ!」


 今までの疲労を吐き出すように肺の中の空気をすべて吐き出して叫びながら今までで一番の力で鎌を振り下ろす。


 ドゴッと音がしてそのあとにパラパラと土が落ちる音がする。そして風が吹き込み光が照らす。

 そして砂も吹き込む。


「は?」


 目に映るのは一面の砂。砂。砂。


「さ、ばく?」


 脱力感が身を包む。カランと鎌が手から滑り落ちる。


「は、はは...う、そだろ..」


 心が折れかけるがまだ耐える。


 おちつけ、まだここがどこかはっきりしたわけじゃない。近くに人里がないとも限らない。砂漠ならばオアシスもあるはずだ。まだあきらめるところではない。

 そう自分に言い聞かせて耐える。ここから出るのを諦めても他の出口もここと似たような場所の可能性が高い。

 それに、拾ってきた鎌で壁が削れたのだからまたカマキリもどきのような奴に出くわしたら壁があっても壊されてしまう。あの時は倒す選択肢をしてよかったわけだ。


 このまま砂漠に歩き出すしかない。

 少し休みまた歩き出す。


 地面の砂は太陽の光で熱せられ足を踏み出すたびに傷口が痛み足裏を焦がす。気温も高く体力を奪っていく。何かあった時のために鎌を引きずりながら歩いているが鎌も徐々に熱くなり持っている手が痛む。何かあてがあるわけでもないがただまっすぐ、まっすぐ歩き続ける。


 やがて夜になり、周囲の気温は急激に下がってゆく。


 もう体は限界を迎えている。だが歩くのをやめない。やめた時が己の死ぬ時だとわかっているからだ。

 この世界が何なのかわからないがもしゲームの中ならば死んでも生き返ることができるだろう。だがそうではなかったら終わりだ。生き返る確証がないのだから死んだらもう終わりだと思って行動するに越したことはない。


 もう足は鉛のように重く鎌を引きずる腕に感覚は残っていない。息は荒く目に映る景色がぐらぐらと揺れる。それでも倒れない。フラフラと、しかし一歩一歩歩いてゆく。


 しかし、ついにその時は来た。もう足は上がらず、意識はもうろうとしている。呼吸をするのもやっとの状態で地面に倒れこむ。冷たい砂の感覚が、かろうじて残っている感覚に伝わる。




 そして意識は途絶えた。


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