サイコパスの愛し方

藤井

第1話 ビフォア・サンライズ

「人が持ちうる最も大きな感情は、殺意なんすよ」

 明太子おにぎりをパクパクと食べながら上条あさひはそう言った。真夏日とはいえ、こうして日陰にいると割と過ごしやすいのだが、屋上には私達の他には誰もいなかった。

「よくわからないなぁ」

 私は母さんの作ったお弁当を食べながらそう言った。ほうれん草のおひたしは、ちょっぴりえぐみがあった。

 吹き抜ける風からは夏の匂いがした。やたら設定温度の低い教室のクーラーのせいで鳥肌が立つほどに冷え切った身体を、夏風があたためてくれる。

「喜びも悲しみも、永遠には続かない。燃え上がるような愛だって、三年も経てばすっかり冷え切ってしまう。けど、殺意はそうじゃない」

 私は、お弁当に入っていたトンカツをあさひに差し出す。あさひは素手でトンカツを受け取って、ぺろり、と食べた。口についた油を、あさひはなまめかしく舌で舐め回す。あさひの真っ赤なベロを見て、私は、なんだかエッチだな、なんてことを考えた。

「殺意は永遠に続く可能性がある唯一の感情なんすよ。例えば。夕実に将来、子どもができたとして。その子がレイプされて殺されたとしたら。犯人に殺意を抱くんじゃないすか?」

「お昼にする話題ではないんじゃない、それ?」

 私はそう言いつつ、自分の娘がレイプ魔に犯されて、殺されたところを想像してみる。自分の最も大切な人を汚されて、奪われたとして。

「まあ、確かに、犯人のことを殺してやりたいって思うかも。犯人が死ぬまで、ずっと殺意を抱き続けるんじゃないかな、多分」

「そうっすよね。殺意という感情はそれだけ大きなものなんすよ。言うまでもなく、負の方向に、ってことっすけど」

 あさひは自分のお弁当箱から、中指と親指で、ひょいとおにぎりを取り上げた。

 どこかからセミの鳴き声が聞こえる。

「だから私は、好きな人から殺意を向けられたいっす」

 彼女はそう言って、おにぎりを食べはじめた。多分、中身は梅干しなんだろう。口をすぼめ、すっぱそうな顔をしていた。

「やっぱり、あさひが何を言ってるのかよくわからない」

 あさひは自分の指についたご飯つぶを、ぱくり、と食べた後、

「好きな物は咒うか殺すか争うかしないといけないんすよ。夕実、坂口安吾は好きっすか?」

 私は首を振る。そもそも坂口安吾を読んだことなんてない。そうっすか、とあさひはちょっと残念そうに肩をすくめる。

「ともかく。坂口安吾が小説でそう書いていたんすよ。私はその一文を読んだ時に、ああ、その通りだなって思ったんす。だから私は、好きな人から呪われたいし、殺されたいし、争いたい」

「もう少しわかりやすく説明してくれない?」

 私はあさひの飛躍した発想にちょっとついていけていない。呪われたいだの殺されたいだの、どういうことなんだろう。

 あさひはお弁当をちょうど食べ終わる。ごちそうさまでした、と両手を合わせて言った後に、

「さっきも言った通り、殺意は人が持ちうる一番大きな感情っす。だから、好きな人に殺意を抱いてもらえれば、その人の心の中で『上条あさひ』は最も大きな存在になる」

「悪い方向にね。好きな人から嫌われる……どころか、殺したいって思われるんだよ。あさひはそれで良いの?」

「全然構わないっすよ。愛する人には私のことだけを見ていてほしい。365日、24時間、私だけを。1秒足りとも他の人のことなんて考えてほしくない。殺意という感情のおかげで、好きな人に永遠に想い続けてもらえるのなら、そんな嬉しいことはないっす」

 あさひは楽しそうに言う。その顔はとても爽やかで、仮に写真に撮って人に見せたとして、『好きな人から殺意を向けられたい』なんてイカれたことを話しているところだなんて、誰にも想像できないだろう。

 あさひの他の人とは違った考えを持ったところは好きだけど、今日の話は正直、理解不能だった。

 暑さのせいじゃない汗が、背中を伝っていくのを感じる。

 いつの間にかセミの鳴き声は聞こえなくなっていた。

「そうそう。話は変わるんすけど。夕実にこの子を紹介しようと思って連れてきたんすよ」

 あさひはカバンをごそごそと漁る。そこから出てきたのは、可愛らしいクマのぬいぐるみだった。私は別の話題になったことに、内心ホッとする。

「可愛いね」

「ただ可愛いだけじゃないんすよー」

 あさひは得意げな顔をしながら、ぬいぐるみの頭を、ぽんと叩く。すると、ぬいぐるみの目から光が出て、屋上にホログラムが投射された。

「これは……」

「R2-D2みたいっすよね。父さんが作ってくれたんすよ、この子」

「優しいお父さんだったんだね。……ところで。今、映し出されてるこの映像って?」

「ああ、ナノマシンの設計図っすよ。父さんが研究してたんす」

 ナノマシン。まるでSFみたいだ。もっとも、私はSF小説なんてほとんど読んだことがないけれど。

「ま、完成する前に父さんも母さんも死んだんすけど」

 特になんでもない事のように、あさひはそう言った。まだ14歳なのに両親を事故で失うなんてどれほどツラいことなのだろう。表には出さないが、あさひはどれだけ苦しんだのだろう。もし私が同じ目に会えば、きっと耐えられないに違いない。あさひの強さを私は尊敬している。

「母さんの研究成果もこの子に入っているんすよ。えいっ」

 あさひは再びクマの頭をぽすっと叩く。すると、今度は実物大の脳みそがホログラムとして投射された。一瞬、グロテスクだな、と思ったが、その脳みそが意味することにすぐに気付いて、私は、顔をしかめそうになるのをこらえた。

「あさひのお母さんは、心について研究していたんだっけ……」

「そう。生理心理学について」

 あさひは楽しそうにそう言った。と、そのすぐ後に、おっと、と呟いてぬいぐるみの頭をなでなですると、ホログラムはふっと消えた。それと同時に予鈴が鳴る。

 もうそんな時間か。私は残っているきんぴらごぼうを一気に食べる。普段はあまり感じることのない辛さが口の中に広がった。ぱぱっと弁当箱を片付け、私達は立ち上がる。

「次の授業は、なんすか」

「英語」

「サボってもいいっすかね」

「ダメ」

 あさひはうんざりだという顔をしている。毎回、全教科で満点を取るあさひにとっては、どんな授業も退屈なのかもしれないけれど、サボるのはダメだ。正しくないことはしてはならない。当たり前のことだ。私はあさひの手を引っ張って、教室へと戻った。

 あさひの手は、夏に似つかわしくないほどに冷たかった。


 その日の放課後。私とあさひが帰ろうと廊下を歩いていると、

「あら、上条さん、芹沢さん」

 と有栖川先輩が声をかけてきた。先輩は昨日よりも更に綺麗に見えた。

「凛先輩、どうもっす」

「ど、どうも」

 私は先輩に急に話しかけられたことに戸惑い、少しどもってしまった。どうしよう。変な子だと思われてはいないだろうか。髪の毛はちゃんとしていただろうか。ああ、爪が少し伸びていることに気付かれないといいんだけど。

「今から帰るところ?」

「そうっす。凛先輩はこの後、塾っすか?」

「ええ。『高校受験はこの夏が一番大事なんだ』……塾の先生の口癖なの。しっかり勉強しなくちゃね」

「またまたー。先輩ならもう勉強しなくたって、今の時点で、どこの高校だろうと選び放題っすよ」

「上条さんほどじゃないわよ。それに、油断すると足元をすくわれるかもしれないしね」

 私は、あさひと有栖川先輩のちょっとした会話にまったく入れない。緊張で口が乾く。先輩の顔を直視できなくて、とりあえず窓の外の野球部を見る。いつもどおり、よく聞き取れない掛け声をかけながら彼らはランニングをしていた。

「……あら。芹沢さん。顔が赤いけれど、どうかした?」

 有栖川先輩は心配そうに、私の頬を触ってきた。その白くてやわらかくてスベスベした指が、憧れの先輩の指が、触れている。そう考えると、私はくすぐったい、を通り越して、快感を感じていた。

 いつまでもこうしていてほしい。だが、現実はそうはいかない。

 先輩のその指は、名残惜しくも私の頬を離れ……次におでこを触った。

「熱は無いようだけど……」

「ぜ、全然元気です、はい。心配をおかけしてすみません、先輩」

 私は早口になったりしないように気をつけながら言った。

「そう、ならいいけれど。体調には気をつけてね」

 有栖川先輩は心配そうにそう言って、私のおでこから手を離す。とても、とても名残惜しかった。

 先輩は、

「それじゃあさようなら、ふたりとも。私はちょっと、職員室に用があるから」

「バイバイっすー」

「さようなら……」

 私は職員室へと歩いていく有栖川先輩の背中を、見送った。

 廊下を、まだ昼の名残が残った夕焼けが照らしている。しばらく、ぼーっと突っ立っていると、

「夕実って」

 あさひは私の背後から、両手で抱きつきながら、

「先輩のこと、好きなんすか」

 そう囁いた。その声は先輩の指のようにとてもくすぐったくて、そして、鳥肌が立つくらいに気持ちがよかった。

 私はどう答えるか迷った。あさひは親友だ。そして、秘密を誰かに喋るような子じゃない。けれど、本心を話すのはためらわれた。

「……憧れの先輩だよ」

「私が聞きたいのは、そういうんじゃなくって」

 あさひの囁き声を聞いていると、他のすべてがどうでもよくなるような。そんな不思議な甘さがあった。

「凛先輩と、セックスしたいんすか?」

「な……」

 唐突な言葉に戸惑っていると、あさひはゆっくりと私の前に回り込んでくる。夕日に照らされたあさひは、とても綺麗だった。

 あさひは微笑んで、私の口にキスをした。

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