くくり、くくって

新月

くくり、くくって

 誰が呼んだか「ゴールデンウィーク」。今年は色々と国の事情が重なって、前代未聞の十連休となった。案の定、周りは浮足立ち、浮かれている人が多い。昼休み中に聞こえてくる会話も、連休が近づくにつれ必然的に「連休中の予定」で持ちきりとなった。独り者の俺は、どこかへ出かけるような予定もなく、その会話に入ることはほとんど無かった。言い訳がましいが、仕事に追われて連休の予定を考える暇もなかった。社会人3年目であるがために、覚えることがまだまだ多く、休みに入る前に片づけなければいけない仕事も山積みでパンクしていた。普段やらないようなミスを連発し、上司には毎日のように怒鳴られ続けた。「連休に入ったらどこか遠出して、ゆっくり休もう」と思うことで何とか心を支えていた。

 しかし、いざ休みになってみるとあっという間で、気づいたら十日間あった休日も残り半分となっていた。俺はこの五日間何をやっていたのだろう。ベッドの上で寝そべりながらこれまでの休みを思い返す。

 連休初日、仕事の疲労が抜けず、丸一日寝て過ごす。二日目、まだ休みは続くという安心感からか体調を崩す。寝て過ごす。三日目、熱が下がらない。寝て過ごす。四日目、熱は下がったが、念のため寝て過ごす。そして今日、時刻は午後四時。二度寝、三度寝を繰り返しているとこの時間になっていた。ああ、この五日間眠ってしかいないじゃないか。何かやらないと。時間がもったいない。

 体を起こしてカーテンを開ける。窓から陽が射しこむかと思いきや、外は雨天。黒に近い色をした分厚い雲から、しとしとと大粒の雨が降っていた。ただでさえ重たい体が、余計に重たくなった。また僕はベッドに身を投げる。やる気が全て削がれた。何もやる気がしない。窓越しに、救急車のサイレンが遠くから聞こえてきた。

 ああ、まともな食事をしていなかったからお腹が空いたな。何か食べなきゃ。このままじゃ、あの救急車に乗っているどこかの誰かのように、病院に運ばれてしまうな。もしかして、これが五月病ってやつなのかな。

 そんなことを考えている内に、頭の中がぼんやりとし始め、やがて、俺は意識が遠のいていくのを感じた。


                □ □ □


 一度崩れた生活リズムを直すことが容易ではないことに気付いたのは、連休明けの初日だった。目覚ましをかけても起きることができず、むしろ、止める気力すら無かった。一人暮らしだから誰かに止めてもらうこともできない。自然に鳴り止むのを待つしかなかった。

 連休を折り返してから、日に日に仕事への不安が増していることに気付いた。

「連休明けの仕事は大丈夫だろうか」

「またしょうもないミスを連発するのではないか」

「あのミスがきっかけで、取引先に迷惑がかかるのではないか」

「先輩や上司は、簡単なこともできない使えない奴だと思っているのではないか」

 こんなことで頭は一杯だった。

 シャワーでも浴びれば少しはリフレッシュできるかもと考えた俺は、重い足取りで風呂場へ向かった。ユニットバスに設置されている鏡に映っていたのは、無精髭を生やし、顔色が悪く、やつれた自分の姿だった。涙が溢れた。その涙を誤魔化すようにシャワーを浴び、身支度をする。スマートフォンには職場からの不在着信が十件入っていた。もう就業時間を二時間も過ぎているから当然か。会社には何と言おう。言い訳を考えなくては。

 革靴を履き、玄関を開ける。外は土砂降りだった。下駄箱の横に置いてあったビニール傘を手に取り、アパートを出る。

 歩けども、歩けども、良い言い訳が思いつかない。次第に会社へも行きたくなくなってきた。俺一人いなくなったところで、会社は上手く回るようにできているんだ。それなら、出勤しなくても良いじゃないか。そう、俺はいなくても良いんだ。

 足が止まる。傘を大粒の雨が勢い良く叩きつける。耳障りだ。

 道路の真ん中には、車に轢かれたのであろう大きな蛙の死骸があった。胴体は原型をとどめていないが、手足の形で蛙だと判断できた。きっと、彼は痛みを感じることもなくこの世を去ったのだろう。ああ、俺も楽になりたい。早く、楽になりたい。

 人通りの少ない道を引き返す。潰れた蛙のことが頭を離れない。ふと、曲がり角に建っている電柱が目に入った。上を見ると、作業員が登れるように、鉄製の足場が梯子のように突き出ている。

 それを見て、俺は腹をくくった。

 そして、締めていたネクタイとベルトを取り外した。

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