救星姫

依澄 伊織

青春は、命懸けでこそ意味がある!

第1話 始まりの朝

「お………、お…て、お、きて、起きて菊間くん」


 肩を揺さぶられる。

 柔らかくも硬くもない色褪せた、微かに薬品のするソファで目を覚ます。

 目に淡い光が入り込み、すぐに冴える。

 俺を起こしたのは、顔馴染みの看護師さんだった。

 普通いち患者の顔を、いち看護師が覚えている訳ないが、俺は特別だろう。

 この病院に通い出して、もう8年ほど。

 それくらいになると、病院に働いている看護師さんも俺の顔と名前を覚えるようだ。

 かくいう俺も看護師さんの名前を覚えている。


「わかりました。行きます」


 ソファーから立ち上がり、担当医の診察室に向かう。


「あっ、そうだ。

 良いことがあるから、楽しみにしててね」


 なんだろ、と疑問に思いながら診察室の前まで来て、扉をノックする。


「はーーい」


 扉の奥から、担当医の声がする。

 扉を開き、挨拶する。


「こんにちは」

「こんにちは。座って座って」


 担当医の清川先生。

 ある事件が起きて以来、俺の身体を診てくれている。


「調子はどう?」

「いつも通りです」

「特に変わりなく?」

「はい、そうですね。特に変わりなく」

「よかったよかった」

「便の調子はどう?」

「そうですね。1日に2、3回ですかね」


 診察室に入室して、行われる〜〜先生との会話。


「了解了解」


 そう言って、清川先生はキーボードを叩いてカルテに打ち込んでいく。

 打ち終えると清川先生は、椅子を回転させる。


「よし、お腹出して。心臓の音聞くから」

「はい」


 聴診器を取り出して、心臓の音を聞く。


「うん、問題ないね」

「ありがとうございます」


 身だしなみを整えて、清川先生に向き直る。

 清川先生は、マウスを動かして、ディスプレイに数値を映し出す。


「これが今日の採血の結果ね」

「はい」

「うん、いいね。全部規定値だよ」

「そうですか。ありがとうございます」

「エコーの結果も悪くなかったし、もうだいぶ回復してるよ。

 何か聞きたいことある?」


 いつも通りのやり取りを交わす。

 しかし、いつもと違うこともある。


「そうですね………さっきなんか、看護師さんがいい知らせがあるよって言ってたんですけど………」


 そういうと、清川先生は頭に手をやる。


「たはーー、言っちゃったか〜〜、あれほど言うなって言ったのに。あとでシバキだな」


 もちろん冗談。

 この病院の人たちはみな仲が良いのだ。

 こんな冗談を言えるくらいには。


「まぁ、まだ内容を知らない訳だから、セーフか」

「ーーー?」


 本当に何なんだ?

 普通にメチャクチャ気になってくる。

 こんな勿体ぶるんだから、相当の事だろう。

 じゃなければぶっ飛ばすが。


「実は……………………………………今日で菊間くんは通院終了だ」


 最後の最後まで勿体ぶる清川先生………は?


「え?今なんて言いました?」

「驚いてる驚いてる」


 当の清川先生は手を叩いて笑っている。


「ちょっ、笑ってないでちゃんと説明してください!」

「ごめんごめん」


 笑いながら、手を合わせて謝罪する清川先生。


「菊間くんの数値は、ここ一年、何事もなく正常だった。

 もう、これ以上経過観察する必要はない。

 そろそろ、良いんじゃないかな」

「あっ、えっ、そうなんですか。

 てっきり、一生、病院に通うことになるんだと思ってました」

「そっかそっか、君の経緯を思えば、そう考えるのも仕方ないよな。

 いやーー、今でも鮮明に思い出せるよ。

 初めて君がここに来た日を」

「やめて下さい。恥ずかしい」

「えーーなんでよ。

 8年も通ってた君がこの病院で卒業するんだから、感情に浸らせてよ」

「いいことじゃないですか」

「いいことだよ。

 自分の患者さんが元気になって、去っていくのは、これ以上ないことに嬉しいことだよ。

 でも、少し寂しさもあるんだよ。

 それが、子供の頃から診ていた子であれば、あれば尚更さ」


 清川先生はしみじみと呟き、感傷に浸る。


「もう、診察終わりでしたら、俺行っても良いですか?」


 しかし、そんな清川先生とは対照的に俺の心は冷めていた。


「ええ?!なんか、冷たくない」


 俺の言葉に、驚いて少し悲しんでいた。


「確かに冷たいと思うけど、これが最後じゃないんです。会おうと思えばいつでも会える。

 清川先生にはお世話になりました。

 俺は助けてもらった恩は絶対に忘れないんです。

 何か、あれば顔を出しますし、頻繁に来ます」

「そっか」


 清川先生が小さく笑ったのを確認すると、席を立ち上がる。


「それじゃあね。気をつけて。お大事に」

「はいっ」


 清川先生の言葉を背に受けて、診察室を出た。


「んんんっ〜〜〜、気持ちいい」


 病院を出て陽の光を身体いっぱいに浴びる。

 病院という性質上しょうがないのだが、病院の中は窓が少なく埃っぽくなくとも息が詰まる。

 チラリと右腕にしている腕時計を見ると11時30分。

 病院でご飯を食べてもいいが、そうすると5限に間に合わない。

 それに、昼時とあって人も多いだろうし、辞めておこう。


「それにしても、病院後の空気はどうしてこんなにも美味いんだろうな」


 開放感がえげつない。

 それがラストともなれば、大玉螺旋丸が弾けたくらい気持ちいい。


「まぁ、でも〜〜先生にはああ言ったけど、寂しくはあるな」


 数秒、病院を眺める。

 決して、良い思い出ばかりではない、というか辛い事ばっかりだったけど、それでも8年は通っていたのだ、愛着も湧くというもの。


「……………………」


 しかし、そんな感傷もすぐに打ち切る。

 通院しなくなったとはいえ、別に普通になった訳ではない。

 依然、俺は異常なのだ。

 そう自身を戒め、病院を後にした。


 ###########################


 病院を出た俺はそのまま、学校に向かった。

 病院から駅まで歩き、都会のビルの海を走る電車に乗り30分。

 やがて、ビルは消え畑の海へと変わり、そうして

 学校の最寄りの駅に着く。

 そこからバスに乗り、ボーッと田舎の風景を見ていると学校に着く。

 2年B組の教室へ行くと、随分と騒がしかった。

 どうやら、ちょうど4限と5限の10分休憩だったらしい。

 俺は窓際1番後ろの端の席に座る。

 と、声をかけてくる男。


「なぁなぁケンドリックの新曲聴いた?」


 そう尋ねてくるのは、葉山翔。

 こいつはミーハー野郎で、流行り物が大好きなのだ。

 最近はHiphopに凝っているらしい。


「知らん。

 てか、何度も言ってるだろ。俺あんま音楽好きじゃないから、その手の話題振っても意味ないって」

「分かってるよ。分かってるけど、聞いてほしいだよ。ガチで凄いから」

「オーケーオーケー、あとで聞く」

「あはは、それ絶対聞かないやつじゃん」


 俺と翔の会話に入ってくる甲高い声。

 その正体は、近衛さんだった。

 近衛優奈。

 明るい茶髪をボブにした童顔の少女。

 線は細く、身長はあまり高くない。キャピキャピしたザ・女子高生といった感じだ。

 バスケ少女で、当たり前のように陽キャで盛り上げ上手なメチャクチャ良い子だ。

 事実、どうやら彼女のもつ「人類みな兄弟」という思想のおかげでクラスではイジメが全くなく、そればかりか他クラスに比べて男女問わずメチャクチャ仲がいい。

 普通に偉大な人物だ。

 そして、そんな彼女だからこそ、こんな冴えない根暗な俺にも気軽に声をかけてくれる。

 それが、実はちょっと苦痛だったりもするのだが、それは今はいい。


「優奈さん、こんにちは」

「こんにちは、菊間くん。今日はどうしたの?」

「病院に行ってたんだ」

「あっ、ごめんね。余計なこと聞いちゃった」

「いいよいいよ。気にしないで。

 そんな事より、こいつの話聞いてやってよ」

「ええっ、いいよ〜。興味ないっ」

「ヒドっ!?」


 翔が大袈裟に頭を抱える。

 近衛さんは優しいが、意外と言うことはいうタイプなのだ。

 そうじゃないとクラスのリーダーなんてやっていられない。


「だって英語じゃ、なに言ってるか分からないじゃん!」

「それは、ネットで歌詞の和訳見ればいいやろ」

「ええ〜〜何かそれダルくない?日本の歌だったら、最初っから歌詞わかるし、楽じゃん」

「チッチッチッ、ナンセンスだぜ近衛さん」

「ウザいな」

「うん、ウザいね」

「確かに、何言ってるか分かん無いし、暴力とか犯罪を助長している。

 普通に治安悪い。

 でも、凄い臨場感があるんだよ」

「ふ〜〜ん」

「もっと興味持ってよ!」


 翔は、情けなく叫ぶ。

 そんな姿を見て、近衛さんは苦笑いを浮かべる。


「ウソウソ、冗談だよ。今日帰ったら聞いてみるね」

「だってよ、優奈さんが優しくて良かったな。

 俺は聞かないけど」

「ふっふっふっ、そうだよ〜私は優しいんだよ〜。

 あっ、そろそろ授業始まるから、席戻るね。

 じゃあね」


 優奈さんはニッコリと笑って自分の席に戻る。

 残された俺と翔。


「ううっ、やっぱり近衛さんは可愛いぜ」


 翔は、隣で身悶える。

 きしょすぎる。

 ただーー


「それには賛成だ。優奈さんは良い人だよ」


 そんな下らない話をしていると教師が教室に入ってきます。


「おーーーーい、席に着け〜〜〜。

 授業を始めるぞーーー」


「ほら、席に戻れ」

「おう、じゃあな」


 授業が始まった。

 授業が始まると一気に教室が静まり、黒板に視線が注がれる。

 高校生になればこんなものだろうけども、それでも大分授業態度は良い気がする。


「……………」


 俺が通うこの公立五浄高等学校は、自分で言うのも何だが、進学校だと思う。

 俺が住む五浄市は、主に都市部と山間部、住宅街の三つの地区に分けられる。

 北西部には山があり、東側には住宅街が広がる。

 中心は都市部であり、タワーマンションなどがある。

 とてもアクセスが良く、新宿まで電車で30分で行ける。

 そこが個人的に気に入っている。

 程よく緑に囲まれ静かであり、ショッピングや遊びに行きたければ駅周辺で遊べばいい。足りなければ、東京に出ればいいしで、とてもいい街だ。

 そして、俺が通う公立五浄高等学校。

 五浄市のある山の上に建つ学校。

 戦前から存在し、戦後に改築・増築された歴史ある学校。

 高度経済成長期に行われたからか、設計者がクエリスチャンだったか知らないが、公立高校の割に攻めた建物をしている。

 部室棟と一般校舎の二つの校舎があり、どちらも木造建築のゴシック的な様相を呈している。

 ホラー映画とかで舞台として、出てきてもおかしくなさそうな雰囲気がある。

 先生も普通に夜とか、怖いのではなかろうか。

 俺は視線を外のグラウンドに向ける。


「………………………」


 実際、戦前に同じ学舎に通う恋人でありながら身分の差で結ばれず、焼身心中した生徒の霊が度々現れるなんて話が、この学校にはあったりする。

 ただ、そんなものはーー


「バカバカしい噂だろうけど」


 俺は幽霊なんてものは信じていないのだ。

 自殺した生徒がいるとかいう話は、どうせどの学校にもあり、ご多分に漏れず、うちの学校にもあるという、それだけの話だろう。


「………………………」


 と、そんな冷めた心境でグラウンドを見つめているとーー


「イっ」


 ちょっとした頭痛と共に、カゲロウのようにユラユラと輪郭なく少女が浮かび上がる。


「ーーー」


 顔もなければ足や腕も曖昧。

 しかし、確かに見える。

 俺はその少女がどうしても気になって、目が離せず、凝視する。


「うっっ」


 しかし、視ようとすればするほど、頭痛は強まっていく。

 それでも止まらない。ある種異常であった。


「つチっうッッ」


 ただただ、睨みつけるように凝視。

 それに比例して、脳の中で鐘が鳴っているんじゃ無いかと思うほど、頭痛がする。


「ーーーー」


 無心で意識を注ぎ。注ぎ。注ぎ。注ぎ。

 そしてーー


「どうした、菊間?唸って大丈夫か?どこか具合悪いのか?」


 先生が俺の名前を呼んだことで、我に帰る。

 クラスメイトたち全員が、俺に視線を注ぐ。


「あっ………すみません。大丈夫です」

「そうか?苦しくなったら言えよ。保健室行っていいからな」

「はい。ありがとうございます」

「うむ。そしたら授業を続ける」


 中断されていた授業が再開される。

 俺は先生にむけていた視線を再度、グラウンドに向ける。

 先程の少女はいなくなっていた。

 何だったんだろう。

 そう疑問に思いながら、意識を授業に返した。

 その後の授業は、あまり集中できなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る