一実百虚恐話

川村人志

見上げ、下ろす

「一度だけ、ひどい目に遭ったことがある」

 大学の先輩に、何か怪談めいた話はないですか、と問いかけたところ、彼はこんな話をしてくれた。

 大学一回生の頃、彼は友人三人とともに、県内にある心霊スポットに行った。

 その頃、彼らは誰かの車でそういった場所に赴くことを趣味としており、ひと月に三か所は巡っていたという。

 そのとき向かった場所は、地元住民ならば知っている程度のあまり有名ではない場所で、バブルの頃に建てられたが、経営が破綻して放置されたビルであるという。

 同行した友人の一人である柿原という男が、建築会社の社長の息子であり、父から近々そのビルを解体すると聞いたため、壊される前に行ってみようということになった。

 周りに人工物がない山中、唐突に現れる、場違いなほど高いビル。中身はすべて撤去されており、何もなかったという。

「何もなかったというか、覚えていないと言った方がいいかもしれない。後の出来事の方が強烈すぎて、記憶にまったく残っていないんだよな」


 翌日、目を覚ますと、自分は起き上がれないことに気付いた。

 最初は金縛りか、と思ったが、目は動く、手足も自由に動かせる。顔を巡らせ、周りを見渡すことはできる。

 程なくして、背中が重いのだ、ということが分かった。

「亀がひっくり返ったときみたいにさ、じたばたと、もがいたよ」

 体を転がしてうつぶせになり、両腕の力を込めて、何とか起き上がった。背中から肩にかけて、垂直に重いもので押しつぶされているような感覚。後ろ手にまさぐってみるが、触るのは空気のみ。姿見で覗き込んでみても、異常なものは見えない。

「それでも、背中が重いのは事実だからさ、何もできないんだよ」

 講義どころか、買い物に行くことすらできない。

 しばらくうんうんと唸っていたが、ふと、昨日一緒に心霊スポットに行った友人の一人に、海藤という、霊感がある男がいたことを思い出した。

「ああ、それ、何か憑いているな。知り合いの拝み屋さん、紹介するよ」

 海藤に電話すると、彼は驚くでもなく、そう答えた。

 先輩は、すぐに来てくれた海藤の車に乗せられ、郊外に連れられた。

 車は、錆びた鉄門の前で止まった。柵の隙間から中を覗くと、広い敷地の中、ぽつんと平屋が建っていた。

 平屋は敷地の一番奥に建っていたため、滝のように汗を流しながら、五分以上の時間をかけ、何とか玄関にたどり着いた。

 海藤が、呼び鈴を鳴らす。

 小さな返事が聞こえてからしばらく経つと、引き戸が開けられた。土間に立っていたのは、先輩の胸ほどの身長の、小さな老婆だった。表情は柔和で、とても道中に海藤が語っていた、この県最強の拝み屋、という言葉を信じられない。

「すみませんね、出迎えに行けなくて。足腰もうガタガタだから」

 表情の通り柔和な声を出すと、いえいえと、海藤が答える。

 そう言いながら、拝み屋の視線は、ずっと先輩に注がれていた。

「あーれ、まー」

 ゆっくりと彼を見上げ、見下ろした。

「これは……」

 拝み屋が口ごもる。ちょっと後ろに下がってくれないかという彼女の願いに従い、一歩、二歩、後ずさった。

 拝み屋が再度、視線を上げ、下ろす。先輩の頭頂部の直上で止めた後、一言つぶやいた。

「S……ビルヂング……?」

 心霊スポットであるビルの名前だったという。

「『お前の背中にはビルが乗っている』だってさ。物理的に大きすぎて祓えないとも言われたよ。霊なのに物理的って」

 応急処置として、両肩を二度ずつ叩かれた。それで少しは軽くなったが、両肩と背中の重みは、何か月もの間、消えることはなかった。


「あのビル、今日解体し終わったんだってさ」

 完治した日、柿原からそんな電話があったという。

 以来、先輩は心霊スポット巡りをすることはなかった。


 了


 無生物が憑り付く、という怪談を聞いたことはありますが、この話は創作です。

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