第8話 彼女の正体


 デリアがこちらへ振り返り穏やかに微笑む。そしてゆっくりと口を開く。


「お久しぶりです。ジーク様」

「っ……!」


 ジークハルトは目の前の彼女……フローラを即座に抱き締める。そうせずにはいられなかった。これまでの寂寥感を目の前の彼女を抱き締めることで埋めてしまいたかった。自分で思っていたよりも遥かに自分は彼女を渇望していたようだ。


「く、苦しいです。ジーク様」

「もう少しこのままで……」


 それからジークハルトは無我夢中で噛みつくようにフローラにキスをする。


「フローラっ……!」

「んっ……!」


 深いそれにフローラが一瞬驚いたように目を瞠るがすぐにゆっくりと目を閉じ受け入れてくれた。まるで溶け合うようなキスでこれまでの寂寥感が急速に満たされていくのを感じる。突然湧きだす幸福感に包まれ酔ってしまいそうだ。

 心がフローラを求めてやまない。彼女が欲しくて堪らない。これほどまでの渇望を自分の心が秘めていたことに驚いてしまう。今まで自分はこんなにも激しい感情を抑えていたのか。彼女の全てを自分で満たしたい欲望にかられた。


「んんっ……はぁ……」

「はぁ……フローラ……」


 長くて深いキスのあと再び強く抱きしめ、それからゆっくりと体を離し再び愛しいフローラを見つめる。彼女は真っ赤になって蕩けたように潤んだ瞳でジークハルトを見上げている。

 それを見て堪らずもう一度キスしようかと思ったが今は抑える。あまりゆっくりもしていられないだろう。非常に不本意だがな……。

 目の前にいる彼女の姿はどう見てもデリアだが既に自分の目にはフローラ補正がかかっていた。もう彼女のことはフローラにしか見えない。


「フローラ、ずっと君に会いたかった……」

「わたくしもお会いしとうございました。ジーク様……」


 そうしてようやく心が静まり彼女に尋ねる。


「君がなぜここへ……?」


 厳重なこの屋敷に彼女が忍び込めたことが不思議だった。一体どうやって?


「ごめんなさい。ジーク様が心配でじっとしていられませんでした。この国へ来てすぐに、ダウム傘下の会社を通じてそこと繋がりのあるマインツ郊外にある屋敷が、田舎にも拘らず手練れの傭兵と使用人を急募するという情報をレオが掴んだのです。それが貴方が捕まった時期と前後していたこともあり、彼はそれを怪しいと睨んでその傘下の会社にわたくしを潜り込ませました」

「殿下はまたフローラに危ないことをっ! それに君も……!」


 約束したのにフローラにこんなことをさせるとは。一体殿下は何を考えているんだ!

 それに彼女ももう危ないことに首を突っ込まないと約束してくれたのではなかったのか。

 彼女と会えてとても嬉しい感情もあるため何とも言えない複雑な気持ちに包まれる。


「でもこうしてお役に立てたでしょう? わたくしは勿論ですが殿下もジーク様を大変心配しておいでだったのです。そして事態は急を要すると判断しました。それに睡眠薬も活用していただけたようで何よりです」

「あれは君か……」


 フローラがにっこりと微笑んで打ち明けた。

 あれらの道具を置いてくれたのはデリアに扮したフローラだったのか。


「ええ、ジーク様の入浴中にお部屋へ忍び込ませていただきました。実はヘラに怪しい動きがあったのです。彼女が媚薬を準備しているのを見かけてクラウディアが貴方を襲うのも時間の問題だと思いましたから」

「そうだったのか……。ありがとう、お陰で助かったよ」


 お陰でクラウディアに怪しまれずに済んだ。あれがなければ彼女の対処に困っていただろうな。


「だがそれならそうとなぜすぐに教えてくれなかったんだ?」

「それは、その……ジーク様はわたくしを見つめる目がとてもお優しいので……。絶対に周囲の人間に気取られるわけにはいかなかったのです。ですからジーク様をも騙す形となってしまいました。申し訳ございません」


 それは確かに隠し通す自信がないな。傍にフローラがいると分かったら嬉しさのあまり甘い雰囲気を出してしまっていたかもしれない。さすが本職の女優だ。ジークハルトに悟らせないとは。


 それにしても今の現実を前にして複雑な気持ちだった。フローラに危険なことをさせたレオンに対する憤りと、彼女が約束を破って危ない場所へ飛び込んだことに対して何もできなかった無力感があった。


 だが一方で彼女が自分を心配するあまり危険を冒してまでここへ来てくれたことに対する嬉しさと、再び彼女に会えたことに対する大きな喜びがあった。

 そして今は後者の気持ちが圧倒的に強かった。だから目の前の彼女を抱き締めずにはいられなかったのだ。


「それよりも今はあまり時間がありません。すぐに裏口の扉を解錠してください。ヘラはわたくしが監視していますから」

「分かった。……頼む」


 ヘラのことをフローラに任せて裏口の鉄の扉へ向かう。扉を封鎖する鎖を繋ぐ南京錠は2個だ。扉の前へ屈みこみ南京錠の鍵穴に針金を差し込み解錠を試みる。急がなくては。

 しばらくしてようやく2個の南京錠を解錠することができた。重い扉を開き先へ進む。すると目の前にはとても広大な畑が広がっていた。


 それは薄紫の花が咲き乱れる美しい光景だった。畑の周囲も屋敷と同じような高い塀で囲まれており外からは見えなくなっている。

 畑の傍に屈みこみ栽培されているそれを間近で確認する。これはパルウに間違いない。こんなに大量に栽培されていたのか……。

 証拠は掴んだ。ここがパルウ売買の本拠地で間違いない。そしてこの屋敷のどこかにパルウ取引で得た資産を貯めこんでいるのだろう。それを確認すればあとは援軍が来るのを待つだけだ。


 証拠隠滅を図られては元も子もない。裏口を元通りに施錠しフローラの所へ戻る。

 するとどうやらヘラが意識を取り戻しているようだった。だが彼女は後ろ手に縛られ身動きは取れない。体が軽く麻痺しているようだ。そして傍ではフローラが剣を抜いて彼女を牽制している。

 近づいてくるジークハルトの姿を視認しヘラが睨みつけてくる。そんな彼女に早速質問する。


「君はクラウディアの一体何なんだ?」


 ヘラが自分へ向ける憎悪の滲む眼差しを見て、クラウディアにとって彼女がただの使用人ではないと確信する。


「……」

「そうか、ではクラウディアを縛り上げて尋ねることにするか」

「……待って」


 クラウディアを縛り上げるという言葉を聞いた途端ヘラは明らかに顔色を変える。そしてゆっくりとその重い口を開いた。




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