第25話 フローラの願い


◆◆◆ <ジークハルト視点>


「イザ……ベラ?」


 フローラが入っていった部屋の中から出てきたのは、腰までの長い黒髪と蜂蜜色の瞳を持つ美しい女性、イザベラだった。


「ジークハルト様……! なぜここに……。」


 お互いに困惑の表情を浮かべたまま、彼女としばし見つめ合う。

 フローラが入っていった部屋からイザベラが出てくる。これまでの疑問とこの事実から導き出せる答えを、ジークハルトは一つしか持たなかった。


「イザベラ……いや、フローラ、事情を聴かせてもらえるか?」


「……分かりました。どうぞ中へ。」


 イザベラ、もといフローラに招き入れられ部屋の中に入る。促されてソファに座ると、彼女が向かいに座って覚悟を決めたような顔でじっとこちらを見る。目の前のイザベラは間違いなく自分がずっと会いたいと思っていたその人の姿だ。

 そんな彼女をじっと見ながらゆっくりと口を開く。


「フローラ。双子、とかじゃないよな?」


「はい、違います。」


「それじゃ、イザベラはフローラってことでいいんだな?」


「………はい。申し訳ありませんでした。」


 心のどこかでそうじゃないかと思っていた。引っかかることはたくさんあったが何よりも気になっていたのは、どうしても自分の中でフローラとイザベラの瞳の印象が重なってしまうことだった。真っ直ぐにこちらを見つめる彼女を前に話を続ける。


「イザベラは女優だった。ということはフローラは女優の仕事をしていたということだな。」


「……はい。」


「ふむ……。」


 顎に手を当てて考え込んでしまう。フローラは死刑執行を待つ罪人のような面持ちで自分の言葉を待っている。


「ちなみにここは誰の家で、君とはどういう関係なんだ?」


「ここは従兄のルーカス=ハンゼンの借りている部屋です。婚約前から連絡を取っていました。」


「ルーカスは君の従兄だったのか。」


「はい、そうです。ジークハルト様、今からこれまでのことを全てをお話しします。……わたくしは小さな頃から女優になるのが夢でした。貴方の婚約の申し出を受けさせていただいたのは、女優になるために王都に住む必要があったからです。」


「そうだったのか……。あんな理不尽な契約を受け入れたのはてっきり身分差で拒否できなかったからだと思っていた。」


「いいえ、違います。わたくしは極めて利己的な理由で婚約の申し出を受けさせていただきました。けれど女優など侯爵の婚約者としても妻としても決して許されるものではないと分かっていました。」


「だから黙っていたと……?」


「……そうです。そしてフローラからイザベラに、イザベラからフローラになるために、ルーカスに協力してもらってこの場所を借りていたのです。」


「それだけ……?」


「……はい?」


「ルーカス=ハンゼンとは本当にそれだけの関係か?」


「……はい、そうですけど?」


 フローラは嘘を吐いてはいないようだ。彼女の言葉にほっとする。少し不思議そうに首を傾げたあと彼女は再び話を続ける。


「お話を続けさせていただきますね。ジークハルト様には申し訳ないのですが、わたくしは例え一生結婚できなくとも女優の夢だけは諦めることができません。ですからジークハルト様」


 フローラは真っ直ぐこちらを見据えた。その瞳には先ほどまでの怯えるような光はない。彼女は迷いのない声でさらに言葉を続ける。


「……この婚約を解消していただけないでしょうか。」


「なんだって……?」


「わたくしは女優であることは決して自分にも世間にも恥ずかしいことではないと自負しております。けれど貴族の世界で、婚約者が、妻が女優などということが公になればそれは醜聞となり、侯爵家の名誉が失墜してしまうのは火を見るよりも明らかです。」


「まあ、一般的にはそうだろうな。……だが」


「ばれなければいいと、そう思っていました。でもいつまでも隠し通せるものではないですよね。こうしてジークハルト様にも知られてしまったのですから。こうなった以上侯爵家の名誉のために婚約者でいるわけには、アーベライン邸に居続けることはできません。」


「待て! 落ち着け、フローラ。君の言いたいことは分かった。だがその申し出を受ける訳にはいかない。」


「なぜ……ですか?」


 フローラに理由を尋ねられて言葉に詰まってしまう。

 傍にいてほしいからなどととてもじゃないが言えない。今この流れでそれを言えばイザベラに懸想をしていたから、フローラがイザベラだと分かった途端に手の平を返したようにに受け取られるんじゃないだろうか。

 確かにイザベラのことは好ましく思っていたが、実のところイザベラのことは関係なくフローラを手放したくないだけなのだ。


「それは………契約だからだ。」


 ジークハルトは思わずそんな義務的な言葉が口から出てしまった。


「契約?」


「私たちはお互いのプライベートに干渉しないという約束をしている。だから君がどこで何をしようが私は干渉しない。だから君が出ていく必要もないし婚約解消もしない。」


「ジークハルト様、いくら契約とはいえ、それは侯爵家の名誉を貶める危険を冒してまで守らなくてはいけないことなのでしょうか?」


「それは……。」


「それにジークハルト様はわたくしのことを疎んでらっしゃいましたよね?」


「そんなことはない!」


「だってあの民家で助けてくださってから、目を合わそうともしてくださらなかったじゃないですか。」


「それは君が危ないことをしたから……!」


 フローラははっと驚いたような表情を浮かべたあと悲しそうに睫毛を臥せて小さな声で話す。


「そうですよね……。ご迷惑をかけたのはわたくしなのにごめんなさい。」


 フローラがしゅんと項垂れる。自分はなぜかこの状態のフローラに弱いのだ。

 事件のあとの自分の態度が彼女を傷つけていた。それなのに疎まれていると思いながらも、毎日献身的にあの美味しい特製パンプディングを届けてくれていたのか。

 そう考えるとさらに彼女が愛おしく思えた。もう彼女を悲しませたくはない。

 しばらくして彼女が再び口を開く。


「とにかくわたくしは女優であることがばれた以上、侯爵家に居座りながら平気な顔して女優を続けるなんてもうできません。」


 困った。一体どう言えばフローラを引き留められるのか。


「君は今から劇団の所へ行くつもりだったのか?」


「そのつもりでしたが今はもうそれどころではありませんね……。お屋敷へ戻ります。けじめをつけるまで女優活動はやめます。」


「フローラ……。」


 これ以上フローラに何と言えばいいか分からず言葉に詰まってしまう。彼女以外の女性には喜ぶであろう言葉がつらつらと出てくるというのに。

 彼女の夢を叶えさせてあげたい。そして夢を実現させてきらきらと輝く笑顔を浮かべる、活き活きとした彼女を見ていたい。

 どうしてもそう素直に伝えることができないのだった。




◆◆◆ <フローラ視点>


 屋敷に戻ったあとフローラはここ数日、未だかつてないほど考えた。どうすればすべてが丸く収まるのか。自分にとってもジークハルトにとっても幸せな未来とは何だろう。

 自分にとっては女優を続けること。彼にとっては? それは彼が愛する人と結婚することではないのか。そしてその人は彼の足枷になるようではいけない。


 いくら考えても、フローラがジークハルトの婚約者のままでいい未来が見えなかった。自分は女優を続けられず、なおかつ彼の名誉が自分のせいで損なわれてしまうかもしれないからだ。


(なぜジークハルト様は婚約解消を承諾してくださらないのだろう。わたしと一緒にいていいことなんて縁談を回避できることくらいしかないのに。それだけならもっと条件のいい女性がいるはずだわ。)


 そんなある日の朝食で、ジークハルトがフローラに話しかける。


「フローラ、実は今夜城で夜会が開かれるのだが、私と一緒に来てくれないだろうか? 私もぎりぎりまで知らされなかったので急な話になって申し訳ないのだが。」


 彼にそう尋ねられて不安になる。今後婚約解消するかもしれないのに、公に婚約者として紹介されてしまうのではないだろうか。口伝てには既に自分の名前が彼の婚約者として周知の事実でも、お披露目となると話は変わってくる。女優のイザベラとフローラの顔を一致させる人がいるかもしれないからだ。お芝居を観ている貴族も多いはずだ。それは困る。


「あの、わたし」


「もう君と参加する旨を陛下たちにも伝えてしまったから、断らないでくれると助かる。」


 フローラの言葉を遮るように、ジークハルトが話を続ける。

 なんということだろう! 外堀を埋められてしまっている? これでは断れない。彼の名誉にも関わる。


「……分かりました。ドレスはどうしたらよいでしょうか?」


「ドレスもアクセサリーも夜会用に前もって作らせてあるから大丈夫だ。エマに準備を頼みなさい。」


「かしこまりました。」


 ジークハルトに押し切られ、フローラはしぶしぶ夜会に行くことを承諾した。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る