第26話 婚約者です in夜会


 ジークハルトに押し切られ、フローラはしぶしぶ夜会に行くことを承諾した。あれから彼はにこやかに話しかけてくる。黙って女優活動をしていることがばれたのになぜ怒らないのだろうか。それが不思議で仕方なかった。


 夕方4時くらいに夜会に行くための準備を始める。エマがドレスを準備しながらフローラが安心するよう話しかけてくれる。


「夜会のドレスはフローラ様のサイズぴったりにあつらえてありますので心配ありませんよ。」


「そう……。」


 彼女は浮かない表情を浮かべるフローラを心配しているようだ。


「何か気になることでもおありですか?」


「いいえ、なんでもないの。ごめんなさい。」


 気を取り直して気遣ってくれるエマに明るく取り繕う。


「私は初めてフローラ様にお会いした時から、ずっとこうして着飾らせてさしあげたかったんですよ。」


 フローラの柔らかな蜂蜜色の金髪をくしけずりながら、優しい笑みを浮かべてエマが言う。


「さあ、できましたわ。とてもお美しいですわ、フローラ様……。」


 エマに褒められて自分の姿を鏡で見る。これは……かなりイザベラに近い容貌になっている。髪の色が違うくらいだ。イザベラよりは若干柔らかい印象ではあるが。


 髪は緩くハーフアップに編んであり、ドレスは濃い青のAライン。肩から斜めに施された同じ布のフリルがとても美しい。シンプルなデザインだが光沢のある生地の美しさを際立たせたものだろう。フローラにとても似合っている。


 そしてネックレスとイヤリングはアクアマリン。ジークハルトの瞳と同じ色だ。ドレスと同系色で大きめの石がついている。薄いブルーなので一見大きな石もバランスよく見える。その透き通るようなブルーがフローラの白い肌によく映えていた。


(こんな素敵なドレスとアクセサリーを着けたのは初めてだわ。婚約を解消するかもしれないのに、こんなものをいただいてもいいのかしら。)


 そんなことを考えていると、コンコンとノックの音が聞こえる。


「フローラ、準備はできたか?」


 ジークハルトが迎えに来たようだ。


「はい、ジークハルト様。どうぞお入りになってください。」


 フローラが入室を許可するとジークハルトが扉を開け部屋に入る。


「………。」


 彼がこちらを見て目を見開いたまま固まっている。どこかおかしかったのかしら。フローラでこんなに着飾ったことはないからもしかして似合っていないのかも……。


「あ、あの……。ジークハルト様……?」


「あ、ああ、いや、少し驚いてしまって……。」


 驚いて……? それはサーカスで象が玉乗りをして見せた時のような驚きなのかしら……。


「すごく似合ってる。綺麗だよ、フローラ。」


 ジークハルトはその美しい目を細めてフローラをさらに見つめる。


(え、え、なんなの。こんな甘い眼差しフローラで向けられたことないんですけど! 恥ずかしいわ! 居た堪れないわ!)


 彼の自分を賞賛する言葉を聞いて、顔どころか全身が火照るほど恥ずかしかった。耳まで真っ赤になったのを見て、彼が艶やかな笑みを浮かべながら口を開いた。


「さあ、それでは行きましょうか。婚約者殿。」


 そう言ってジークハルトが左腕を差し出す。フローラはその腕にそっと手を添え、彼にエスコートされながら馬車に乗り、屋敷を後にした。



 夜会の会場に入る前から心臓がひっくり返りそうなほどドキドキしていた。今まで夜会に参加したことがないわけではない。だが演技の勉強のために人間観察に勤しんでいたこれまでは、なるべく壁に溶け込むように意識して地味に振る舞っていた。


 ところが今日はそうはいかない。なんせこの類まれなる美貌と色気を持つ騎士団一、いや王国一のモテ男、ジークハルトにエスコートされて入場するのだ。しかも婚約者として。これが目立たないわけがない。

 これまで壁に徹していたフローラには全くと言っていいほど貴族の友人がおらず、殆ど周知されていない自分に「あれは誰だ」くらいの反応が返されてもおかしくはない。


(うう~~~、緊張してきたわ。いっそのことここで引き返したい。)


 そんなことを考えているうちに、ジークハルトと腕を組んだまま会場に足を踏み出す。周囲が一瞬しんと静まり返る。視線だけを動かして周囲を見ると、彼に見惚れる女性、自分を観察するように見る男女、明らかに嫉妬と憎しみの視線を向けてくる女性、それからなぜか呆然と顔を赤らめる男性がいた。

 そんな状況に居た堪れない気持ちでいっぱいだったが、背筋を伸ばして彼の横に並び、微笑みを浮かべて歩みを進める。顔も足も引きつりそうであった。


 そしてジークハルトがまっすぐ一直線に向かう先、そこにはこのハンブルク王国の頂点に立つ人物、アルフォンス王が王妃とともに笑みを浮かべて立っていた。失礼のないように王と王妃の前で跪き頭を下げる。ジークハルトも同じく跪く。


「顔を上げなさい、ジークハルト、フローラ嬢。フローラ嬢は初めてかな。私が王のアルフォンスだ。こっちは王妃のマリーだ。」


 王が自分たちに声をかける。王妃はその横で優しく微笑んでいる。

 王に促されて立ち上がったあとジークハルトがゆっくりと口を開く。


「陛下、王妃殿下、ご機嫌麗しく何よりでございます。紹介いたします。この女性が私の婚約者フローラ=バウマンです。」


 ああ、とうとう言ってしまった。

 ジークハルトがフローラの腰を軽く抱き寄せ、王たちに紹介する。


「陛下、王妃殿下、お初にお目にかかります。わたくしはアーベライン様の婚約者でバウマン男爵家の長女フローラと申します。この度はわたくしのような者にお声かけをいただきありがとう存じます。」


 美しく見える所作で王と王妃に挨拶をする。王と王妃をこんなに近くで見たのは初めてだった。王はプラチナブロンドに紫紺の瞳の美丈夫で、王妃は亜麻色の髪にエメラルドの瞳を持つ麗しい美女だ。二人の厳かな美しさはまるで後光がさしているようだった。


 王と王妃に挨拶を済ませたあと、ジークハルトとフローラは上位貴族に次々と挨拶をする。皆、概ね自分に対しては好意的に接してくれた。


「なんと美しい方なんでしょう。ジークハルト様も隅におけませんわね。」


「アーベライン卿が羨ましい。どこの姫君を連れているのかと思いましたよ。」


 大体このようなフローラの容貌を賞賛する言葉を聞くことができた。それを聞いて内心羞恥にもだえていると、ジークハルトは彼らに負けじと囁く。


「本当に今日の君は、その、本当に美しいと思う。もしよかったら、1曲踊らないか。」


 彼にしては誘い方が不器用な気がする。こんな方だったかしら。イザベラに対しては詠うように褒め言葉が出ていた気がするのだけれど。


「喜んで。」


 彼の誘いを受けにっこり微笑んでその手を取った。会場に流れてきた音楽に合わせてジークハルトはフローラの手を引きリードする。背中に回された彼の手が熱い。彼と手を触れ合わせていると、なんだかそこから温かいようなドキドキするような、今まで感じたことのない感情が沸きあがるのを感じた。2人で永遠に揺蕩っているかのような夢見心地のステップは曲が終わると同時に覚めてしまう。


 ジークハルトのもとには次々に女性たちからダンスのリクエストが相次ぎ、彼は彼女らに囲まれて身動きが取れなくなっている。可哀想だけどちょっと飲み物でももらってこようかしら。

 そう決めて会場の端に設置されているテーブルへ向かう途中何やら見知らぬ貴族の男性が話しかけてくる。


「お嬢さん、よかったら私と1曲踊っていただけませんか?」


「いえ、わたくし足が痛くて少し休もうかと思っていたのです。」


「それなら私がお連れしましょう。」


「いえ、しばらく座れば大丈夫ですから。」


 などという押し問答を何セット繰り返しただろうか。ようやく飲み物のテーブルまで到着することができた。ようやく落ち着いてふうっと溜息を吐きグラスを取ったあと数人の令嬢がこちらへ近づいてくる。

 ジークハルト絡みで何か言われるのかと笑顔で構えていると令嬢の一人が口を開いた。


「貴女はジークハルト様の婚約者でいらっしゃいますの?」


「ええ、そうです。」


「私はベルンシュタイン伯爵家のクリスティーナと申します。貴女とお近づきになりたくて声を掛けさせていただきましたの。」


「そうだったのですか。わたくしはバウマン男爵家のフローラと申します。こちらこそよろしくお願いいたします、クリスティーナ様。」


 若干肩透かしを食らったが揉め事はないに越したことはない。だが自分はどうにも貴族社会の事情に疎い。適当に相槌を打って笑顔を浮かべながら聞き役に徹することにする。令嬢たちのうちの一人がクリスティーナに話しかける。


「そういえばご存知です? リンデンベルク子爵家のご長男の話。なんでも道ならぬ恋に夢中になられて、婚約者がいらっしゃるのにそのお相手と駆け落ちなさろうとしたとか。」


「まあ、ステ……ひどい話ですわね。そのお相手って?」


「それが隣国から来ていた女優さんらしいんですの。それで彼は婚約破棄の上に廃嫡はいちゃくされてしまったんですって。おまけにその彼女とも引き裂かれて、リンデンベルク家は醜聞スキャンダルの後始末に追われているそうですわ。」


「まあ、そうですの。お気の毒に。」


 それを聞いた別の令嬢が口を開く。


「やっぱりそういう職業の方って性に奔放というか、ご自分の美貌の使い方をよく心得てらっしゃるんじゃないんですの? なんだか卑しいですわね。」


 彼女の言葉を聞いて目の前が暗くなる。……ああ、やっぱり貴族の中では女優とはこういう評価なのだ。ジークハルトが子爵家の長男と同じようなことを言われたらと思うと胸が締め付けられるように苦しくなった。




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