第10話 再会と約束
フローラが屋敷に来て何事もなく3週間程たった。そしていつものように街へ出かけ、ユリアン邸へ向かいながら考える。
(あれからイザベラでジークハルト様に会うことはなかったけれど、やっぱりお仕事がお忙しかったのかしらね。)
ユリアン邸に到着し、今日も張り切って練習しよう、と気合を入れつつユリアンに挨拶する。
「おはようございます! ユリアンさん。」
「おはよう、イザベラ。早速だけど今日は貴女にお願いがあるの。」
「なんでしょう?」
「実はね、マリア(バラキミの女中)役の子が明後日家の事情で故郷に帰らなきゃいけなくなったのよ。そこで代役を貴女にお願いしたいの。」
「えっ、代役ですか!」
「ええ、公演はまだ1週間残ってて困ってたのよ。貴女全部の役の台詞を覚えてるわよね? 明後日の公演から代役を引き受けてもらえないかしら。急で悪いんだけど。」
「っ……! はい、わたしでよければぜひ! よろしくお願いします!」
「ありがとう、ほっとしたわぁ。ただし、公演が終わるまではお休みは無しよ。」
「はい、頑張ります!」
自分が今期の公演に出ることはないだろうと思っていた。マリア役の先輩には申し訳ないと思うけど、フローラにとっては待ちに待ったチャンスだ。これから毎晩屋敷に戻るのが遅くなってしまうが、このために自分は故郷から出てきたのだからぜひともやり遂げたい!
そして女優になるという夢にまた一歩近づいたことに胸が高鳴った。
練習を終えユリアン邸を出たあと、いつものようにルーカスのアパートに向かった。
広場に差し掛かったところでふと足を止めて劇場の方へ振り返る。ここの舞台をやっと踏めるのね……。
劇場を見て感慨に耽ったあと再び歩き出そうと足を踏み出したところで、後ろから声をかけられる。
「イザベラ嬢……?」
低く艶やかな声に後ろを振り返ると、そこには騎士服を身に着けたジークハルトが立っていた。
「ああ、よかった。また会えた。」
「ジ……騎士様、なぜここに……?」
「帰宅する前にこの辺りの警邏をしていました。最近この街は夜間の治安が悪いようなので。」
「そうですか、それはお疲れさまです。」
そう言って軽くお辞儀をする。
(わたしが襲われてからなのかしら。)
自分のせいで仕事が忙しくなったのかと思い、ジークハルトに対して申し訳ないなと思った。そんな考えを巡らせていると、彼が少し緊張した面持ちで尋ねてきた。
「イザベラ嬢、この後のご予定は?」
「今から友人の所に行こうかと思っていましたの。」
「ご友人ですか……。それは男性……?」
「ご想像にお任せしますわ。」
フローラがフフっと笑うと、ジークハルトは少し悔しそうな表情を浮かべたあとさらに言葉を続けた。
「この間の約束、覚えておいでですか?」
「約束、ですか?」
「ええ、今度お会いしたら一緒に過ごしてくれるという……。」
えっ、そういう話だったかしら? 誘ってもいいかってだけじゃなかった?
若干釈然としなかったので物申そうとしたフローラに、ジークハルトが言葉を続ける。
「もしよかったらこれから私と食事に行きませんか? 貴女と会えるのをとても楽しみにしていたのです。」
とても楽しみに……そうまで言われると、基本お人好しのフローラは断りづらくなる。
一度一緒に食事をすれば満足してもらえるだろうか。気のないそぶりを続けるほうが余計にジークハルトの熱を長引かせるような気がしたので、彼の誘いに乗ることにした。
「まあ、お誘いありがとうございます。ぜひご一緒させていただきますわ。」
艶然と答えて彼から差し出された腕をとる。
「それでは行きましょうか。この先に評判のいいレストランがあるのです。」
彼は満面の笑みでフローラにそう提案した。
そんなに嬉しいのかしら。彼女はいつになく無邪気に笑いかける彼を見て不覚にも可愛いと思ってしまった。
ジークハルトは街の東にある、いかにも穴場といった感じのこじんまりとした佇まいの上品なレストランにエスコートしてくれた。二人はテーブルにつきメニューを見る。
「そういえばまだ名乗っていませんでしたね。私はジークハルトといいます。王国騎士団に所属しています。」
「ジークハルト様、ですね。今日はもうお仕事はよろしいのですか?」
「ええ、帰宅前に見回っていただけですから。これから城に戻る必要はないのです。」
「そうだったんですね。」
「帰る前に貴女に会えて本当によかった。」
そんなに手放しで喜ばれると本当に困ってしまう。彼の目の前のイザベラはフローラなのだ。騙しているようでとても後ろめたい。
ジークハルトは二人分の食事を頼んだあと話を続けた。
「こうして会っていただいた貴女に不誠実になるといけないので最初に言っておきます。私には婚約者がいます。」
「まあ……。」
「お互いにプライベートを縛らないという契約で婚約をしました。」
「政略結婚、ですのね。プライベートを縛らないというのは、婚約者に恋人ができても構わないということですの?」
彼の言葉を聞いて、前から気になっていたことをジークハルトに尋ねてみる。
「……そうですね。私は政略結婚とはいえ、彼女のことは可愛い妹のように大切に思っています。彼女が幸せになるのであればそれでもいいと思っています。」
「………。」
フローラはなぜか少しショックを受けている自分の感情に驚いてしまう。
ジークハルトは婚約者ではあるが恋人ではない。王都での保護者のようなものである。だから彼が自分を好きでなくてもそれは仕方ない。その代わり自分だって好きなことをさせてもらっているではないか。そう自分に言い聞かせる。
そうしているうちに食事が運ばれてきた。彼女の目を見つめて彼ははさらに話を続ける。
「イザベラ嬢、私は貴女のことがもっと知りたいのです。不誠実だと思われるかもしれないが、私が貴女に会いたいと思う気持ちは偽りのないものです。」
「光栄ですわ……。でもわたくしは……。」
「いいのです。貴女からの愛を求めるなど烏滸がましい。友人としてでもいい、ただ、こうしてまた会ってくれないでしょうか。お願いします……。」
彼の直接的な言葉に対して瞼を臥せ言葉を詰まらせると、ジークハルトはその言葉を遮るように話を続けた。その彼の切なそうな表情を見てしまっては駄目だと言えない。
「分かりましたわ。ジークハルト様がそれでよろしければ。」
「ありがとうございます、イザベラ嬢。さあ、少し冷めてしまったかもしれませんが食事を楽しみましょう。」
食事が済んでレストランを出ると、ジークハルトが言った。
「イザベラ嬢、よかったらまた貴女を送らせてもらえないでしょうか?」
「せっかくのお心遣いですが、今から友人宅へ向かいますのでここで失礼しますわ。」
「……ではせめてそこまででいいので送らせてください。」
この間襲われた手前それ以上断ることもできず、彼の申し出を受け入れることにした。
そしてそのあとまたルーカスのアパートの下まで送ってもらったので彼にお礼を言う。
「ありがとうございます。ここで結構ですわ。今日は美味しいお食事をご馳走様でした。」
「いえ、こちらこそありがとうございます。貴女と過ごせて楽しかったです。ところで貴女に会いたい時はどこへご連絡すればいいでしょうか?」
「ふふ、ご縁があればまた会えますわ。」
彼の問いかけに艶然とそう答えると、彼はフローラを少しの間じっと見つめ切なそうに溜息を吐く。その色気に思わずダメージを受けそうになる。
「……分かりました。またお会いできるよう願っています。」
「わたくしもお姿を見かけたら声をかけさせていただきますわ。それではお休みなさい、ジークハルト様。」
「おやすみ。」と言って、アパートに入っていくフローラをジークハルトがじっと見送る。
そのままフローラは後ろを振り返らずに階段を上がり、2階にあるルーカスの部屋を訪ねた。
「やあ、フローラ、こんばんは。……どうしたんだい? 浮かない顔をして。」
「ルーカス……。本当に困ったわ……。」
フローラは中に入って促されるままソファーに座ったあと、イザベラとジークハルトとのことをルーカスに打ち明けた。
「こんなはずじゃなかったのよ。一度お食事すれば諦めてくれると思ってた。イザベラとして一緒に過ごせば過ごすだけ危険なのに……。」
「フローラ……。君は侯爵のことが嫌いなのか?」
「そんなことないわ。婚約してからはとても大切にしてもらっていると思うし、わたし自身も彼に感謝してる。なまじ最近フローラのときもジークハルト様と過ごす時間が割と多くなってきたものだから、余計に秘密がばれそうで危険な予感がするの。」
「そうか……。しかしあの女性に対して執着しないアーベライン卿がイザベラをねぇ。」
「え、ジークハルト様は女性のことが好きなんじゃないの?」
「フローラ、あの人は女好きというのとちょっと違うと思う。来る者は拒まず去る者は追わずって感じで、むしろ今までは女性に対する執着は全くなかったと思うよ。」
ルーカスの言葉を聞いて、少しだけ「なるほど」と思ってしまった。確かにそうかもしれない。
秘密がばれないようにこれからは今までより一層慎重に行動しないと、とフローラは決意を新たにした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます