第7話 観劇と感激と
フローラは劇場の前で馬車を降り、御者に戻るように指示をする。
今日はルーカスのところに行く前にいくつか買い物をする予定だった。
広場から西に入った路地に小さな露店が通りを挟んでたくさん並んでいる。その中の果物屋でオレンジを10個ほど買い、雑貨屋を何店舗か梯子して黒のロングヘア―のウィッグと薄い青のドレスを購入した。眼鏡も一応買ってみた。
そして買い物を済ませた後、ルーカスのアパートへ徒歩で向かう。
昨日訪ねたときは偶々アパートにいたけれど、本来この時間彼は城で文官の仕事をしているはずだ。
ルーカスのアパートに入って2階へ上がり、彼の部屋の扉をノックする。やはり今日はいないようだ。仕方がないのであらかじめ彼に貰っていた合鍵で部屋の鍵を開けた。
部屋へ入ったあと買ってきたオレンジをテーブルの上に置いて早速着替えを始めた。鏡を見てスカートの裾を整える。いつもより少しだけ胸の開いたワンピースだ。
鏡の前に椅子を持ってきて座り、持参した化粧道具入れを開ける。いつもなら化粧は薄目で口紅などほとんど塗らないのだが、今日はいつもよりも艶やかな化粧を自らに施した。
そして仕上げに買ってきた黒のウィッグを装着すると、鏡の中には黒いウェーブのかかった腰までの長い髪と蜂蜜色の瞳を持つ妖艶な女優『イザベラ』がいた。
(イザベラはもう一人のわたし。まだ女優じゃないけどね。)
フフっと笑って薄紫のショールを羽織り、ルーカスのアパートを後にした。
ユリアンの屋敷へ到着したあと他の劇団員達と対面したが、皆最初はフローラだと分からなかったようだ。
その反応を見て嬉しくなり、皆に向かって軽くお辞儀をしながら妖艶な笑みを浮かべて挨拶する。
「イザベラと申します。以後お見知りおきを。」
「やあねぇ、フローラったら。それにしても見違えたわ。そんなふうに綺麗にお化粧するともう別人としか思えないわね。私には分かるけれど。」
「そうだな……。それと見た目だけじゃなくてなんか纏う雰囲気が全く違うな。仕草単位で。」
役者仲間のダニエルが感心したように口を開く。
「フフ、お誉めに預かり光栄です。これからはこの姿で参りますわ。今後わたしのことはどうかイザベラと呼んでくださいませ。それと、ユリアンさん。今日は練習のあと公演を見学させてもらえませんか?」
「ええ、構わないわよ。客席は当日席なら少しは空いてると思うからそこで観劇するといいわ。入場料はサービスしてあげる。」
ユリアンがウインクをしながら快く承諾してくれた。それが嬉しくてついはしゃいでしまう。
「ありがとうございます! うわぁ、楽しみ♪」
「うん、やっぱりフローラね……。」
挨拶を済ませたあと、稽古着に着替えてスタジオで演劇の練習をする。
練習は公演中の題目の台本を覚え、演技をしながらの台詞読みと体力づくりの筋力トレーニングだ。どちらもフローラが実家で毎日やっていたことである。
稽古に没頭しているうちに夕方5時になった。
「さあ、皆、夕食を取りましょう!」
ユリアンがそう言うと皆次々にダイニングへ向かった。こんなに大勢での食事は初めてである。笑って仲間と会話を交わしながらの夕食に心が弾んだ。なんて楽しいんだろう!
「さぁ、食べたらさっさと準備して。馬車で劇場へ向かうわよ。」
数台の馬車に皆と一緒に乗り合わせ、劇場へ向かった。そして劇場に到着したあと、皆は控え室のあるエリアへ向かう。そこから先は関係者以外立ち入り禁止だ。
「皆さん、頑張ってくださいね。今日はじっくり勉強させてもらいます。」
「ふふ、存分に楽しんでね。」
ユリアン達と話したあと彼らと別れ、開演よりかなり早めの時間に客席への扉を開いた。
空いている当日席はかなり後ろの方ではあったが、そんなことは気にもならない。6年前に見て以来の久しぶりの観劇で、それはもう最高潮に興奮していた。ああ、もうすぐ始まるわ……!
フローラが客席に座って待っていると、段々他の客席が大勢の人で埋まり始める。当日席ももう満席だ。会場の明かりが落とされ開演のベルが鳴り、ようやく舞台の幕が上がる。
お芝居が全て終わり舞台の幕が下りる。そして観客たちが次々と席を立つ中、フローラだけは座ったまま椅子の背凭れに躰を預け、一人瞼を閉じてたった今観たばかりの舞台の光景を頭の中で反芻していた。
皆のお芝居はどんな言葉を用いても語り尽くせないほど素晴らしかった。彼らの動きが目に焼きつき、言葉が耳に残っている。
劇団員たちは着替えなどでしばらく帰れないだろう。先に帰ると皆に伝えたあと劇場を出て、ルーカスのアパートへ向かって歩き始めた。
しばらく歩いて町の広場にさしかかったところで、女性の悲鳴らしき声が聞こえてきた。それを耳にして急いでその声のした方へ向かって駆け出す。
フローラは基本お人好しな性格である。だから例え無関係でも女性の悲鳴見過ごすことなどできなかったのだ。
声のした方を探って路地裏へ入ると、建物の壁を背に1人の女性が3人の男達に囲まれていた。女性は町娘のようだが、男たちはちんぴらにしては上等な身なりをしている。見た感じ下級貴族か大きな商会のドラ息子といった風貌である。
「や、やめてください……!」
「いやさ、俺たちが夕食を奢るから一緒に行こうって言ってるだけだよ?」
「そうそう、別に取って食おうって言ってるわけじゃないんだしさ~。」
「なんなら皆で君の家に行こうか?」
囲まれている女性は怯えきっていて、震えのあまり今にも足元から崩れ落ちそうだ。この状況はどう見ても彼女が男たちに絡まれているようにしか見えない。フローラは男たちに向かって声を張り上げる。
「よしなさい! 震えているじゃないの!」
男たちは一斉に振り返り下品に口笛を吹いたあと、ニヤニヤと下卑た笑いを浮かべながらフローラに話しかけてくる。
「これはこれは美しいお嬢さん。貴女が俺たちの相手をしてくれるんですか?」
「ヒュ~♪」
「おお、いいねえ。君が俺たちの相手してくれるっていうならこの子を解放してもいいぜ?」
男たちの言葉を聞く振りをしながら女性の方に目をやり、早く逃げるよう視線で促す。
「いいわよ。相手になってあげる。でも貴方たちでわたしを満足させられるかしら?」
「そんな心配はいらないさ。俺たちはこう見えて女性の相手は慣れてるんだぜ。」
「……そう。怖いから一度に痛くしないでね。」
女性が逃げたのを確認すると、蠱惑的な笑みを浮かべながら男たちにそう答えた。
すると男の一人がフローラに伸ばしてきた。その腕をそっと掴んで体を寄せる振りをしながらそのまま掴んだ腕に力を入れ、踵で男の足を払いつつ力いっぱいに投げ飛ばした。そしてすかさず倒した男の喉元へ膝の一撃を加える。
「ぐッ!」
投げられた男は意識を失った。フローラはすぐに他の二人の様子を見る。残り二人の男の表情から笑みが消えうせ、驚きのあまり呆然としている。
「女性の嫌がることをするとこういう目にあうのよ。覚えておきなさい。」
「この女っ……!」
残りの二人が同時に掴みかかろうとこちらに駆け寄る。フローラは「あっ」と転んだ振りをしながら姿勢を低くして、男の一人に下から顎への掌底をくらわせる。するとその男も脳震盪を起こしたように倒れて意識を失った。
すぐに周囲を警戒し、もう一人の姿を探すが迂闊にも見失ってしまう。……どこ!?
「ッ……!!」
一瞬のことだった。最後の一人は二人目に攻撃した隙にフローラの背後に回っていた。そしてその男に後ろから腕を拘束され羽交い絞めにされてしまったのだ。力任せに身を捩るがそこはやはり男の力だけあって全く身動きが取れない。
こうしてるうちにも今気を失っている男たちが起きてきてしまうかもしれない。さすがに不意でもつかなければ3人の男を同時に相手するのは厳しい。どうしよう……!
「おいおい、おてんばなお嬢さんだなぁ! だがこれだけの美人だ。このくらいのひっかき傷は許してやるぜ? 一晩中俺を看病してくれるならな!」
そう言って男は羽交い絞めにしたまま後ろから片手でフローラの顎を掬う。
(やだっ……!!)
そのとき突然背後から低い声が聞こえてきた。
「おい、そこで何をしている!」
「なんだぁ?」
男はフローラを羽交い絞めにしたまま背後へ振り返る。その時に声の主を目にして、フローラは瞠目し心の中で悲鳴をあげた。
(………嘘でしょ!?)
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