第84話 エリーゼの選択


 セシルは王都に滞在する間、神殿の部屋を貸してもらった。部屋はベッドとクローゼットしかない簡素なものだが、清掃はきちんとしてあったようで埃もなく綺麗だ。

 朝目が覚めて昨日のことを思い出す。昨日遅くまでハイノ……クロードの部屋でお喋りしてたからちょっと眠い。

 クロードがおじいちゃんということが分かって、一緒に帰ると明言してもらって、おばあちゃんとの約束も果たせる。旅の目的は果たせたと言っていいだろう。

 だけどセシルにはまだやらなきゃいけないことがある。ケントのことだ。

 セシルは急いで着替えて城にある軍の救護室へ向かうべく神殿の部屋をあとにした。





 軍の救護室に到着した。部屋は昨日までは怪我人で全てのベッドが埋め尽くされていたが、今日はだいぶベッドが空いたようだ。今残っている人たちは治癒魔法でもすぐに起き上がることのできなかった重症患者ばかりということだろう。


 部屋に入るなり真っ直ぐケントのベッドへ向かう。すると今日はエリーゼが来ていた。彼女はどうやら今までケントに対して治癒魔法を試みていたようだ。効果がないと再確認して肩を落としている。


「セシルさん……ごめんなさい。やっぱり何度治癒魔法を試しても駄目でした」


 しょんぼりしたエリーゼが伏し目がちに告げる。ケントに魔法は効かないからいくら試しても無駄だ。それでももしかしたらと思って試していてくれたのだろう。

 彼女もまたケントを心配してくれているのだ。その事実が嬉しい。


「エリーゼさん、ケントは魔法無効化の特性があるので魔法は効かないのです。でも、ありがとうございます」


 セシルは深々と頭を下げた。エリーゼはそれを見て慌てて制止する。


「セシルさん、止めてください! 私は貴女たちが戦っている間何もできなかったから……。私にできることはこれくらいしかないので……」


 エリーゼがまたしてもしゅんとして話す。セシルはなんだかそんな彼女に申し訳ないと思った。


「エリーゼさん、敵を倒すのは戦うことが得意な者がやればいいんです。エリーゼさんの得意なこととは違うでしょ?」

「ええ、そうですね」


 そう言うとエリーゼがほっとしたような悲しそうな顔で笑った。


 セシルはケントの傍らに座り両手でその手を握る。

 ケントは今日も昨日と変わらず、その顔色には生気がなく呼吸も弱々しかった。このままだといつ容体が急変しても不思議ではない。何もしないで待っていてはいけないのかもしれない。でも自分に一体何ができるだろう……。


「ケント、わたしはケントにたくさん報告したいことがあるんだよ。だから早く目を覚まして……」


 そう語りかけて昨日と同じように両手で彼の手を持って額に付け神様に祈る。だが祈ってどうなるというのだろう。やはりこのままではいけない。クロードに相談してみよう。


 しばらくそうしてケントに語りかけたあと静かに立ち上がると、エリーゼがそれまで痛ましそうにケントへ向けていた視線をセシルへ移す。

 そしてセシルに静かに礼を言った。


「今日私はセシルさんとケントさんに会おうと思ってここへ来たんです。セシルさん、ディアボロスを倒してくださってありがとうございました」


 エリーゼがそう言って頭を下げる。昨日からいろんな人に頭を下げられて申し訳ない気持ちのほうが大きくなる。


「エリーゼさん、分かりましたから頭を上げてください。わたしは昨日からいろんな人に頭を下げられて恐縮しっぱなしです」


 それを聞いてエリーゼがはっとしたように言葉を続けた。


「本当に貴女は幼いのにしっかりしてるんですね……。でもごめんなさい、これだけは言わせてください。私はずっとエメリヒの呪によって命を握られてきました。言いなりになるしかなかった。でも貴女のお陰で解放されたのです」


 エリーゼはとても嬉しそうに笑った。なんだかセシルもその笑顔を見て胸が温かくなる。エメリヒは今魔封じの手枷を嵌められているらしく呪術も魔法も使えない。もうこれで彼女が怯えることはないだろう。

 そして彼女はさらに話を続ける。


「そしてもう一つ。昨日の謁見で勇者と聖女の解放を進言してくださったそうですね。私は8才のときにこの神殿へ連れてこられてから、ずっと自分の意志で何かをすることができなかったんです。このままだと王族に嫁がないといけなくて自由に恋愛することもできなかった。だからとても嬉しい。」


 その言葉を聞いてはっとした。エリーゼもまたおばあちゃんと同じように愛する人と一緒になりたいと願っていたのだ。そしてそれがこれからは自由に叶うのだ。彼女の幸せな未来を想像するとセシルまでうきうきしてくる。

 彼女はそこで大きく深呼吸をして言葉を続ける。


「あまり頭を下げられても居心地が悪いと思って、一度にたくさん話してしまいました。もう一度だけ頭を下げさせてください。本当にありがとうございます。この御恩は一生忘れません」


 そして再び頭を深く下げた。セシルはやはり恐縮してしまったが素直に彼女の感謝を受け入れることにした。なぜなら彼女の嬉しそうな顔を見ていて、セシルもとても嬉しかったからだ。


「エリーゼさん、貴女はこれからどうするんですか? もうエメリヒさんは居ませんから聖女からは解放されましたよね。これからは好きな所で好きなことをできるでしょう?」


 セシルがそう問いかけるとエリーゼはにこにこ微笑みながら答えた。


「私はこの神殿に残ろうと思います」


 エリーゼの選択を聞いてもあまり驚かなかった。なぜなら彼女はあまりに聖女として嵌っていたからだ。まるで生まれつきの聖女であるかのように。素質は勿論だけどその精神も聖女そのもののような気がした。


「そうですか。貴女は本物の聖女なのですね」


 セシルの言葉を聞いて少しクスリと笑ったあとエリーゼは告げる。


「私ずっと聖女を辞めたかったんです。今までは上の指示に従って特定の人の治癒や浄化だけを行ってきました。でもあの悪鬼が現れてからたくさんの怪我人が運ばれてきて、初めて自分の意志で治療をしました。他の治癒士と協力してたくさんの怪我人を治療して感謝されました。こんなことを言うのは不謹慎かもしれませんがとても生甲斐を感じたのです。だからこれからは私自身の意志で聖女をやりたい」


 初めて見るエリーゼの自信に満ち溢れた表情にセシルは息を飲む。目の前にあるのは繊細で儚げな笑顔じゃなくて、太陽のような煌めく笑顔だった。彼女の笑顔は眩しいほど美しかった。そしてエリーゼは本来意志の強い女性なのだろうと思った。


「貴女にぴったりだと思います。貴女が聖女ならこの国も安心ですね」


 セシルがそう言うとエリーゼは再び花が咲くように笑った。


 それにしてもセシルにはずっと気になっていることがあった。どうしてエメリヒはこんなことをしたのだろう。神殿を支配し、勇者や聖女を支配し、国を支配してまで成し遂げたかったこととは何だろう。私腹を肥やしたかった? それとも何か別の理由? いくら考えてもよく分からない。

 セシルは一度彼と話したいと思った。




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