放課後コーヒーブレイク

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第1話 放課後コーヒーブレイク





 何の変哲もない、田舎とも都会とも言えないその街の片隅に、一軒の喫茶店がある。

 菅野会話珈琲喫茶と書かれた看板の下、ガラス張りの、中の様子がよく見えるドアにはこんな張り紙があった。

『当喫茶店では以下のルールをお守りください。

 1.お一人でご来店の方はカウンター席へ。

 2.店内では必ず、会話をして下さい。おひとりでご来店の方は、同じくカウンター席にお座りの方か、店主と会話するようお願いします。』



 変わった店で、一人で入るのがはばかられそうだが、コーヒーとケーキの味の良さから、人気は高く、客足が絶えることは無かった。


 そんなこの喫茶店の常連に、1組の男女がいた。

 窓際の一番奥の机。そこが二人の定位置だった。


「幸せってなんだと思う?」

「どうしたの急に」


 良太の突然の問いに、そう答えつつも美保は驚いてるわけでも戸惑っているわけでもなかった。この喫茶店でする会話は、常にこのようなものと決まっていた。


「いや、今日の英表の授業で古川先生が、『仏教では今持つものに満足してそれ以上求めなければ幸せになるって教えがあってね、確かに我々日本人は少し求めすぎなような気がするね、もっと無欲に生きないといけないね』って言ってたんだけど」


 途中で声のトーンが変わったのは、その教師のモノマネだろうか。クオリティは高かったようで、美保は少し笑っていた。


「でも、今あるものに満足して何も求めない状態って、欲を減らして実現させるんじゃなくて、欲を全て達成させて実現させるものなんじゃないかな」

「それは、やりたいこと全部やって、欲しいもの全部手に入れるなんて無理だから、減らすべきって言ってるんじゃないの?」


 美保がそう言うと良太は「いや、そうなんだけどね」と言いながらコーヒーに砂糖を入れて、かき混ぜた。


「じゃあ、知らない幸せってどう思う?」

「知らない幸せ?」


 良太は、よくその独特な考えから造語を作っていた。美保はその意味を聞くのが好きだった。


「例えば、自分は世界一幸せだと思っている人がいるとする。でも、そう思っているのは本人だけで、世界的に見れば、その人は不幸なんだ。でも本人はそれに気づいていない。不幸であることを知らないんだ。そんなとき、僕達はどうするべきなのかな。知らせてあげるべきなのかな」

「知らぬが仏、ってあるし、何もしないのが1番なんじゃない?本人は幸せなんでしょ?」


 美保がそこまで言うと、良太はようやくコーヒーを一口飲んだ。良太は猫舌だ。美保はとっくに飲み切っていた。


「確かに、本人にとっては、そのままが1番なのかもしれない。でも、僕達は知ってるんだ。その人が不幸なことを。その人は不幸を知らない幸せの中にいながら、幸せを知らない不幸の中にもいるんだ。そんな人を、見て見ぬふりをするのは、正しいことなのかな」

「人としてどうか、っていうこと?」

「そういうこと。でも、知らせてしまうとそれはそれで、幸せを知る不幸を招いてしまうかもしれない。世界にはもっと幸せがある、だからは私は不幸なんだって思ってしまうかもしれない」


 フーフー、と息を吹きかけコーヒーを冷まして残りを飲みきって、良太は答えるもののいない問いを繰り返した。


「幸せを知らないから不幸とするのは、やっぱり他人のエゴなのかな。それとも、それを見過ごすことの方が間違いなのかな」


 二人の内からは、答えは出なかった。

 良太がふと、窓の外を見上げると、秋の寒空にカラスが一匹、飛んでいた。

 翼を持たないのに、空を飛ぶ幸せを知っている人間は、果たして。

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