△ 番外編 理由の無い6

 翌朝。


 目を覚まして真っ先に目に映った見覚えのない天井に、数秒固まり、それから昨晩ソリュが『家具を買い替えるまで自室は使わない』と言って、先生の部屋に引っ張り込まれたのだと思い出して力を抜いた。


 中途半端な睡眠にしかめっ面になりながらも手首を顔の前に持ち上げて枷が取れていないことを目視し、安堵していると、狭い寝台の中で、隣でもぞもぞとソリュが身じろぎをした。


「狭い……」


 ぼんやりと目を開けていた彼女は、開口一番そう言った。


「……だから昨日言ったじゃないか」

「だって、こうでもしないと……アンタの事だから、扉の前で立って目を閉じるだけで一晩過ごす気だったでしょ……」


 そうするつもりだったので、反論できずに黙って体を起こした。寝る前の緊張で、少々体が軋む。


 同じようにソリュも体を起こした。小さく欠伸をする姿を見ながら、理由もなく彼女の手に触れる。枷の影響で多少動きが重いものの、傷つける心配が僅かでも減るのは安心感がある。


「今日、時間あるか?」

「どうして?」

「揃いの物が欲しいって言っていただろう。だが、俺はこういうのに疎いから……君に注文してもらいたい」


 その手の店ならセリオスやメニアコからあれこれ言われて知っているから。と付け足すと、彼女は窓から差し込む朝日で瞳を煌めかせて笑みを浮かべた。



 それから数日が経っても、彼女はずっと上機嫌だった。揃いの耳にひっかける形の耳飾りを何度も鏡で見てはにこにこしていて、仕事上がりに顔を出したアトラティスカを迎えた時には珍しい程に満面の笑みで、逆に少し心配になるくらいだ。


 鼻歌混じりに薬草の仕入れ値を確認するソリュを尻目に、事前に言われた通りに調合室の家具の配置を戻していると、来訪者が現れた。


「こんにちは」


 聞き覚えのある男の声だった気がして、店の方に顔を出すと、車椅子に座ったアオバが出入口にいた。


「アオバ! どうしたんだ」

「巡行帰りに様子見に来ちゃいました。聞きましたよ、この間の事。大丈夫でしたか?」


 精霊伝いでエルシアから聞いたのか、はたまた聖騎士からの報告か、ある程度事情を把握している様子のアオバに頷いて返しつつ近づく。


「大事にはならなかったよ。俺が来なくても、八番隊が取り押さえていただろうしな」

「アティが駆けつけたから今があるんですよ」


 ちらりと、眼帯で覆われていない方の茶色い目がアトラティスカ達の耳を見やり、アオバは微笑んだ。まだ外面、もとい御使いの仮面を瞬時に外せないとのことで、巡行前後で他人行儀な彼を、それとは別で少し違和感を覚えてじっと見つめていると、先に気づいたソリュが「それ」と、彼の右腕を指さした。


「義手? いつの間に……」

「ペルルが試作品だけど~ってくれたんですよ。精霊の力を借りて、関節が動くようになっていて……ああ、僕はまだ少し曲げるのが精いっぱいですけど。凄いでしょ。もう熱で擦り切れそうなぐらいペルルの頭を撫でましたよ」


 嬉しそうにそう言いながら、彼は頬を掻いた。ペルルは巡行に合わせて学校に戻ってしまったそうだが、アオバの事だから目一杯褒めて抱きしめて感謝を伝えただろうことが想像できる。


 ペルルの望みが叶いつつある現状に微笑ましさと、並々ならない努力に狂気すら感じていると、先ほどまでの穏やかさの中に言いづらさを混ぜて、アオバは続けた。頼み事がある時、彼は時々こういった断りづらい空気を醸し出す。


「それから。今お時間よろしければ、少し話をしたいと仰られている方がおられるのですが」

「いいけど、誰──」


 ソリュが返答し終えるか否かと言ったところで、半開きだった店の扉から昨晩の男が見えて、ソリュが後退った。反射的に彼女を背中で隠し、緊急故に枷を破壊して外したこちらを見て、アオバは慌てた手ぶりをした。


「す、すみません、驚かせてしまって。大丈夫です。謝罪だけ、どうしてもって話だったので」

「何言って……」

「お話聞いた限りですと、反省されたそうですから」


 半信半疑で男に視線をやると、店に上がろうとはせず、泣き腫らした顔で鼻をすすって、静かに頭を下げていた。


 アオバ曰く、町に着いた時にレティモに呼ばれてこの男に会い、そこで相談を受ける形で事の顛末と男の主張を聞いたそうだ。そこで丁寧に彼の思い違いを諭し、結果として彼は間違いを認めたという。


「申し訳ありませんでした。俺の勘違いで、守るべき市民を逆に恐怖に晒した事、謝罪してもし切れない事は理解しています……御使い様とお話になるまで、そのことに思い至れない程視野が狭まっていました。今後一切、貴方に近づかないと約束します」


 以前とは一変した応対に困惑するソリュの顔は頭を下げたままの彼には見えず、時折しゃくりをあげながら彼は自身に下された処分についても話した。


「リヴェル・クシオン連邦の十番隊に、異動が決まりました。一からやり直して来ます」

「そ……そう」

「英雄様も、申し訳ありませんでした」


 こちらに一度深々と頭を下げて、彼はアオバにも頭を下げ、後ろに控えていた八番隊の隊員に囲まれるようにして去って行った。


「ムギア隊長に言われても変えなかった意見をこうも……何をしたんだ、アオバ」

「普通に会話しただけですよ。まあでも、御使い様に言われたから意見を変えやすかったのかもしれませんね」


 根は素直な方みたいですね。と、どこかのんびりとアオバは言う。


「ソリュさんがとても心細くしているように見えて、放っておけなかったそうです。今回は正義感が暴走してしまいましたが、もう同じ過ちは犯さないと誓ってくれましたから……彼の思いは僕が信じますから、お二人はお二人なりの思いでいてください」


 それにしても、と続けながらアオバの片目がこちらと、アトラティスカにしがみ付くようにして半身を隠すソリュとを映し、細められた。


「仲直りされたみたいで、僕も安心しました。他の人達も気にされていましたよ。特にメニアコさんは、『あのアティの事だから、彼女を手放したら次は無いよ。もうこりごり、とか言うに決まっているからね』って」

「……よく分かってるな、あいつ」


 さすが付き合いが長いだけある友人の言い草に、ため息を吐いていつもより弱い力で後頭部を掻く。


「大丈夫だから放っておけ、と言っておいてくれ」

「はーい」

「あ、ねえアオバ。前に言っていた枷の改良品の話、今度詳しく聞かせてくれる?」

「はい、勿論」


 ソリュがやや身を乗り出して約束を取り付けるのを上から見下ろして、旧来の枷で十分だろうというこちらの考えてを見透かしたかのように、彼女はこちらを見上げた。


「身に刻む方が好きなら、そっちも考えておくわ」


 心臓が跳ねるのに表情が間に合わず、遅れて顔に熱が上がるアトラティスカを置いて、ソリュはアオバに「ちょっと待っていて。丁度いいから、渡したいものがあるのよ」と仕事の時の口調で二階へと駆けて行った。


「情熱的だなぁ……。アティもいい加減腹をくくって、きちんと言葉にしたらいいのに」

「歳を食うと、その手の言葉は胸やけがして言えん……」

「アティの場合は、それ以前の問題な気もしますけど」


 赤い顔がみっともない気がして顔を覆った指の隙間から、アオバの左手が見えた。手袋越しに薄っすらと、薬指に刻まれた伝統模様を元にした入れ墨が浮かんでいる。曖昧な記憶だったが、彼の妻であるエルシアにも同じ位置に同じ模様が入れられていたので、あれが彼らの婚姻の印なのだろう。


「……継ぐ家が無いのに、そういうのはな。ソリュも、今は家を継ごうとは考えていないようだが、親の都合もあるし、気が変わる事もあるだろうし……」

「別にいいんじゃないですか? 一緒にいたいからいる、で」


 思わずアオバの顔を見やると、彼は柔和な笑顔で「そういう人たちもいますよ」と続けた。


「結婚せずに一緒に暮らしてるって人聞いた事あります……って……こっちだと珍しい関係なのかもしれないですけど。御使い様のお墨付きってことで、どうでしょう?」

「自分の肩書を安く使い過ぎじゃないか……?」


 御使いは神話にも出て来る程の重い名だと分かっているのかいないのか、アオバは「ペルルにもたまにそれ言われます」とへらへらしていた。


 そうこうしている内にソリュが戻って来て、いくつかの手記と書類をアオバに渡した。


「前にここで保護して亡くなったっていう二人組の事をユラが知りたがっていたでしょう? ほら、私が埋葬した人の事。これはその時取った診断書の写しよ。渡しておいてくれる?」

「わぁ、助かります。じゃあ、今度……」

「──御使い様」


 アオバの言葉を遮るようにして、車椅子を押していた男が耳打ちをした。聞き終えたアオバは、申し訳なさそうに眉を下げてこちらに顔を向き直した。


「すみません、予定が済んだら、また」

「ええ」


 そろそろ出ないと次の予定が間に合わない急かされたのだろう。アオバは最後にアトラティスカとソリュの名を呼んで「また今度」と頭を下げる。ぱっと顔を上げたのを見て、車椅子が後ろ向きに進む中──不意に、アオバの視線が二人を通り越して部屋の奥の方に向いた。


「あっ、先生も。さようなら」


 にこにこしながら彼はさも視線の先に人がいるかのように手を振った。出入口の扉がぱたりと閉じ、車輪が回るきぃきぃという音が遠ざかっていく。


「……」


 残された二人は顔を見合わせた。


「……まあ、たまに……いるような感じはするのよね」

「この間のやり取りも見られていたとしたら、相当恥ずかしいんだが」

「見えないからいいじゃない。精霊みたいなものよ」


 まあ確かに、向こうから話しかけてきたりするわけでもないしなぁ、とぼんやり納得していると、細い指が無骨な指に絡んできた。逃げれば怒られるのが目に見えているので動きを止め──それ以上に、一度無遠慮に触れても平気だったという感覚があったのだが──今は枷を外しているのに怖いもの知らずだな、と思っていると、ソリュは壊れた枷を摘み上げて目を瞬かせていた。


「あの枷、着けていても壊せるのね」

「成人聖騎士の力じゃあな」

「ふーん。じゃあ……今のアティなら、これがあっても兎に踏み潰されたりしないのね」

「状況によるが、そうだな」


 そっか。安堵したように、ソリュは呟いた。


「なら、まあ……着けていても、平気かな……」


 それから彼女は葵色の目を真っ直ぐにこちらに向けた。何か言おうと口を開きかけた彼女より先に、アトラティスカは言葉を紡ぐ。


「ここに住んでもいいか」

「いいわよ」

「……理由は聞かないのか?」


 意外な返答に首を傾げれば、ソリュはただ、「いいのよ」と満足そうに頷いた。


「アンタから、そう言ってくれないかなって、思ってたの」


 期待したくない、そう望んできた彼女の変化や、そう言える関係に自分がなったことを実感して、歳のせいか妙に緩くなった涙腺が刺激されていると悟られないように、曖昧に笑うが、バレバレだと言わんばかりに彼女はおかしそうに肩を震わせた。


「当然次の展開にも期待していいのよね?」

「……時間をくれ」

「いいわよ。そのかわり、私がお婆ちゃんになる前にお願いね」

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